盗撮は性欲ではなく、歪んだ優越感や支配欲が引き起こす
アジア最大規模の依存症治療施設である榎本クリニックで、痴漢や強制性交(レイプ)、小児性犯罪などこれまで2000人以上の性犯罪者の治療に携わってきた精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳氏。彼が、痴漢と並ぶ最も身近な性犯罪であり、性依存症でもある“盗撮”の実態を明らかにした本『盗撮をやめられない男たち』(扶桑社)が話題となっている。
「盗撮とは、相手に気づかれないように、日記を盗み見る行為なんです。その優越感は、日常生活では絶対に味わえないですから。そして画像や動画を保存することで、支配欲や所有欲が満たされるのです」(116ページ)
これは、著者の斉藤氏が521人に及ぶ盗撮加害者へのヒアリング調査を通じて、実際に彼らの口から聞いた言葉をデータ化してまとめたものだ。ここには、やめたくてもやめられなくなっていく性依存症としての盗撮の驚くべき真実が詰まっている。
実は、彼らを盗撮行為に駆り立てるのは、抑えられない性欲や強い性衝動だけではなく、相手のプライベートかつデリケートなものを、自分が一方的に所有しコントロールしているという歪んだ優越感や支配欲なのだという。
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最初は性的関心や「俺でもできるかも」という軽い気持ちから始まり、盗撮画像を自慰行為に使っていた者も、反復し常習化していくにつれ、盗撮する行為それ自体が目的となり、撮った画像を確認すらしなくなっていくのだとか。
「盗撮行為に依存する人は、性欲を満たすことにハマる以上に、一連の行為における『緊張と緊張の緩和』により、ストレスが軽減されることに耽溺していくのです。この『一時的にストレスが緩和・軽減されるからハマっていく』ことこそ、行為依存の本質であると考えています」(114ページ)
つまり、彼らは盗撮で得られる性的快感や精神的な高揚感のみに依存しているのではない。ストレスや劣等感、孤独感、傷ついた自尊感情や満たされない承認欲求など、日々生きていくなかで苛まれるであろうさまざまな心理的苦痛や否定的感情を、一瞬でも紛らわせてくれることに耽溺していくのだ。
依存症とは、生きづらさへの自己治療的な対処行動あり、その人が生き延びるための手段である。いわば盗撮加害者は、盗撮という不適切な方法でしか、ストレスから逃れるための対処方法(ストレス・コーピング)を持っていないのだ。
では、彼らはなぜよりによって盗撮という手段を選んでしまったのだろう。実はその背景にこそ、8月に小田急線で起きた無差別刺傷事件にもつながる、日本の男性全体が抱える問題が隠されているのではないだろうか。
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男性は、女性を見下すことで自尊心を保っている!?
「人は、自分では想像もしなかったものや行為に耽溺し、やめたくてもやめられなくなってしまうことがあります。誰が何にハマるかは、わからない。最近の言葉でいえば『ガチャ要素が強い』とも言えます。その人がいつ、どんな依存症になるかは、当人にすらわからない部分が大きいのです」(122ページ)
この記述は、どんな依存症も決して人ごとではないことを示している。つらいことやしんどいことは誰の身にも降りかかる。そんなとき、たまたま手の届くところにアルコールや薬物があったり、ギャンブルや万引きで嫌なことを忘れることができたり、セックスや暴力で傷ついた自尊感情が回復する強烈な体験をしてしまったなら、あなたもそれに耽溺してしまう可能性は十分にあるのだ。
だが、盗撮の場合、斉藤氏が勤務する榎本クリニックに治療に訪れる盗撮加害者は100%が男性だという。痴漢にしろ露出症にしろ下着窃盗にしろ小児性暴力にしろ、“生きづらさのはけ口”として性犯罪に耽溺する者が、ほぼ男性に偏っているのはなぜなのか。
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「ここからが厄介なのですが、男性の場合、自分の達成感や支配欲、優越感を一時的に満たす不適切なストレス・コーピングとして、女性を支配する、劣位に置く、モノのように扱う、性的に貶めるという手段を取る傾向が強く見られるのです」(122ページ)
これは盗撮に限らず、すべての性犯罪の背景に見られる考え方だという。しかも残念なことに、性依存症者は生まれつきやオリジナルの発想でこうした歪んだ考えを持っているのではない。「依存症は学習された行動である」と言われるように、彼らは社会全体に蔓延している前提となっている価値観を取り入れ内面化しているにすぎないのだ、と本書は述べる。
「(性犯罪の)背景には、女性に対して優越感を感じられないと自分のアイデンティティを保てない、男性たちの『男尊女卑的な女性観』があります。『女性嫌悪(ミソジニー)』ともいわれるものです」(123ページ)
つまり、あえて極端な言い方をすれば、男性全般に「女性を見下すことで(特に性的に貶めることで)失いかけた男らしさを取り戻す」傾向が見られるということだ。性犯罪者は、たまたまそれが依存対象になりやめられなくなってしまった人たちにすぎない、ともいえる。
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やめられない盗撮とフェミサイドは地続きでつながっている
こうしたことを書くと、必ず男性から感情的な反論や脊髄反射的な非難が飛んでくる。
しかし、私は決して「男は全員、性犯罪者だ」などと言っているわけではない。「私たちの中には無意識にインストールしてしまっている偏見や歪んだ価値観があるから、知らないうちに他者を傷つけているかもしれない自らの加害性に気をつけましょう」と提案しているだけだ。
たとえば、仕事で自分よりも立場や能力が上の女性に対して、「扱いづらくて面倒だな」と思ってしまうことはないだろうか(男性にはそんなこと思わないのに)。自分の置かれた過酷で理不尽な状況と比べて、「女はラクでいいよな」と感じてしまうことはないだろうか(あなたの不遇の原因と女性は関係ないのに)。あるいは、知らず知らず女性が嫌がったり虐げられたりする設定のアダルトコンテンツばかりに興奮していないだろうか。
これらは、残念ながら多かれ少なかれ無自覚のうちに男性にインストールされてしまっている普遍的な感覚だ。「俺の不遇感や劣等感は女性のせいである」「自分より恵まれて見える女性をこらしめたい」という歪んだ認識は、ネット上の女性叩きでもよく見られる。
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そして、こうした認識からそう遠くない延長線上に、「幸せそうな(勝ち組と思われる)女性を見ると殺してやりたい」と容疑者が語った、小田急線での刺傷事件のようなフェミサイド(女性であることを理由にした殺人のこと)が存在する気がしてならないのである。
「盗撮加害者として生まれてくる男性はいません。盗撮加害者になりたくて生まれてきた男性もいません。この社会のなかで、彼らは盗撮加害者になっていくのです。これまで見てきたとおり、『自分は盗撮なんてしない!』と強く思っていても、ある日ふとしたことで盗撮行為にハマってしまう可能性があるのです」(128ページ)
本書は、数ある性犯罪から盗撮に特化して分析した一見マニアックな本だ。しかし、「盗撮なんてするのは性欲が抑えられない非モテの変態だ」と自分と切り離して捉えることは、「無差別に切りかかった犯人はたまたま異常な人間だったのだ」で思考停止してしまうことと地続きではないだろうか。共通しているのは、ストレスや生きづらさという誰もが抱えうる困難さと、女性を貶めることが結びついてしまう男性の歪んだ思考回路だ。
その共通する構造を見つめ直さない限り、フェミサイドはなくならない。本書は盗撮を入り口に、より大きな社会の問題に気づかせてくれる一冊といえるだろう。
『盗撮をやめられない男たち』斉藤章佳 著 扶桑社 ¥1,760(税込)