箱根の森で体験――現代美術家、ロニ・ホーン国内初の大規模個展

  • 文:岩崎香央理
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『無題(「実際には、巧みな恩恵がある。」)』 2018-2020年 鋳放しの鋳造ガラス Courtesy of the artist and Hauser & Wirth Photo: Koroda Takeru © Roni Horn

なみなみと水を満たした大きなシャーレを思わせる、ガラスの円柱。自然光を受けて鏡面のように周囲が映り込み、展示室を行き交う人の動きや光の加減によって、刻々と見え方が変化する。底の方まで透き通った泉のようなこの彫刻は、途方もない時間をかけて鋳造された、数百kgものガラスの塊だという。作品なので触ることはできないが、固体なのか、液体なのか? いまにもあふれて流れ出そうな瑞々しいテクスチャーに、思わず触れてみたくなる。たとえ錯覚でも、きれいな水のゆらめきに手を浸したい衝動にかられるのは、人間の本能だろうか?


アメリカの現代美術界を代表する作家、ロニ・ホーンの日本初となる大規模個展が、箱根のポーラ美術館で幕を開けた。『水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?』——詩的に問いかける展覧会タイトル。確かに、このガラス彫刻の澄み切った深淵をずっとのぞいていたくなるのは、観る者の中のなにかが呼び水となり、引き込まれてしまうからかもしれない。

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アイスランドの自然からインスピレーション

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左:『ゴールド・フィールド』 1980/1994年 焼鈍した純度99.99%の金箔 Courtesy of the artist and Hauser & Wirth  Photo: Koroda Takeru © Roni Horn

右:『エミリのブーケ』(部分) 2006-2007年 アルミニウム、成型した白いプラスティック 6本組 Courtesy of the artist and Hauser & Wirth  © Roni Horn

1955年生まれ、アメリカ・ニューヨーク在住のロニ・ホーンは、19歳から断続的にアイスランドを旅し、火山と氷河を地質とするダイナミックな風土に傾倒。アイスランドの自然からインスピレーションを得て、また、辺境で浮き彫りになる自身の孤独に向き合い、写真や彫刻、ドローイング、書籍など多岐にわたる作品へと表現してきた。


本展では、1980年代の初期作から近作まで、40年にわたるロニ・ホーンの思索の軌跡をたどる。19世紀を代表するアメリカの詩人、エミリ・ディキンスンが書いた手紙の言葉を取り出し、シンプルな立体に落とし込んだ『エミリのブーケ』。また、水彩で描かれた文学作品からのフレーズを、細かく裁断してコラージュしたシリーズ『犬のコーラスー地球の果てまで滑り出せ』。これらの作品では、ホーンの独立した自我に寄り添ってきたであろう古典文学が、文脈から切り離された文字というフォルムになって自由に反転したり、色彩を伴う断片として新たなアートを構築している。


さらに、ホーンの視点や思考を象徴する連作写真が一堂に会したのも見どころだ。アイスランドの温泉に身を浸した女性のわずかな表情の移り変わりを、100枚ものポートレートに克明に記録した『あなたは天気 パート2』。そして、テムズ川の水面に無常のパターンを描く流れやさざ波を、詩や散文と相対させる15点の連作『静かな水(テムズ川、例として)』など。時間は連続し、自然は循環する中で、微細なゆらめきにこそ物語や精神性が宿るのを、ホーンは見逃さないでいる。

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ポーラ美術館初、同時代作家の大型個展

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『鳥葬』(箱根、日本)2017-2018年 鋳放しの鋳造ガラス ポーラ美術館 Photo: Koroda Takeru © Roni Horn

ホーンの国内の美術館における初個展が箱根の地で行われたことは、幸福なマッチングと言えるだろう。自身が心の拠り所とするアイスランドと同じ、火山と温泉を有する地質。とはいえ、ホーンはこうも語った。「アイスランドと箱根は似ているけれど、大きく違う。アイスランドには森がほとんどない。対して、ここ箱根には木々が生い茂り、古い大木がたくさんあります。自然環境はそれぞれが特殊。私にとってのアイスランドが、その風土に取り憑かれたことだとすると、箱根はその文化にこそ興味を惹かれます。私の作品がここに似合っているとしたら、日本、そして箱根の文化的要素が共鳴しているのかもしれません」

箱根の国立公園内で豊かな森に包まれるように立つ、ポーラ美術館。モネやルノワール、セザンヌ、藤田嗣治といった巨匠から、岸田劉生、黒田清輝ら日本の近代絵画、また、東洋陶磁やガラス工芸、化粧道具の骨董品まで、多彩なコレクションは約1万点にもおよぶが、じつは2002年の開館以来、同時代の作家を単独で取り上げる大型企画は、ロニ・ホーンが初めてだという。現代美術ファンはもちろん、いままで足を運んだことのない人も、箱根の自然と一体化したモダンな建築でアートを体験する、絶好の機会となるだろう。


美術館の外に広がる森に分け入り、遊歩道を散策すると、ブナやヒメシャラなどの自然林に作品がぽつりぽつりと点在している。冒頭のガラス彫刻と同じシリーズである『鳥葬』も、新たに森の仲間入りをした。森に降る雨がその表面に溜まると、ガラスと水の境界はなくなり、落ちてきた葉が小舟となって浮かんでいる。木陰に薄日が差してほのかに発光するさまは、まるで幻想的な祭壇のよう。水や天気といった自然のゆらめきに心の機微を投影する、そんなホーンのアートの居場所として、箱根の森はふさわしいと実感する。

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『トゥー・プレイス』(部分) 1989-  布装丁の本、オフセット・リトグラフィーCourtesy of the artist and Hauser & Wirth  Photo: Koroda Takeru  © Roni Horn

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『円周率』(部分) 1997/2004年 45点のピグメント・プリント Courtesy of the artist and Hauser & Wirth  Photo: Koroda Takeru © Roni Horn

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『静かな水(テムズ川、例として)』(部分)1999年 15点の写真と文字のオフセット・リトグラフィー/非塗工紙 Courtesy of the artist and Hauser & Wirth  Photo: Koroda Takeru  © Roni Horn

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『犬のコーラス—地球の果てまで滑り出せ』(部分) 2016年  水彩、ペン、インク、アラビアゴム/水彩画用紙、セロハンテープ Courtesy of the artist and Hauser & Wirth Photo: Koroda Takeru © Roni Horn

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『あなたは天気 パート2』(部分)2010-2011年 64点のCプリント、36点の白黒印刷、PVCボードにマウント Courtesy of the artist and Hauser & Wirth  Photo: Koroda Takeru © Roni Horn

『ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?』

開催期間:開催中~ 2022年3月30日(水) 会期中無休
開催場所:ポーラ美術館 展示室1、2 遊歩道
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
開館時間:9時~17時 ※入館は16時30分まで
無休
※臨時休止・展覧会会期や入場可能な日時の変更、入場制限などが行われる場合があります。
https://www.polamuseum.or.jp/sp/roni-horn/