創業者の熱意と探求心から誕生! マメができないオニツカタイガーの魔法靴

  • 写真:加藤佳男
  • 文:小暮昌弘(LOST & FOUND)
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オニツカタイガー創業者・鬼塚喜八郎の卓越した創造性は、生み出された靴だけでなく、会社の経営にも反映された。ここでは知られざるエピソードとともに振り返る。

1960年に完成させた、走ってもマメができない魔法の靴。

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「マジックランナー」はアッパーの前面と側面に小さな孔が開き、シューズ内の空気を外に逃し、足にマメができるのを防いでくれる。

マラソンや駅伝用に開発された「マラップ」は大きな成功を収めるが、あるマラソン大会に視察に出掛けた鬼塚は、マメがつぶれた痛々しい選手たちの足を目にする。すぐにマメができないシューズをつくると申し出ると、選手たちは「そんな靴ができたら、逆立ちしてマラソンを走りますよ」と一笑に付された。

そんな中、入浴中に足にマメができることに気づいた鬼塚は、足の機能とマメの仕組みを学ぶために医学部の教授から教えを請う。マメは一種の火傷で、走ると足が熱をもつことからマメができる。走るときは歩くときに比べて体重の約3倍もの重さが足裏にかかることも知った。鬼塚は足にかかる衝撃熱をいかに取るかを考え、自動車の水冷式エンジンをヒントに靴に水を入れたが、重い上に足もふやけてしまい失敗作に。最終的にバイクの空冷式エンジンから靴内の空気循環システムで熱を逃すことを思い立ち、アッパーに大胆に孔を開けた「マジックランナー」を発売したのが1960年。マラソンランナーの君原健二選手もこの「マジックランナー」の開発に携わったと言われ、銀メダルに輝いたメキシコ五輪を含めて、彼が参加した3度の大会でこの「マジックランナー」を履いて走った。

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立体的なデザインが特徴。靴のソールの形状により、中の空気を強制的に排出し、外からの空気を吸収する「ふいご」のような仕組み。

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※この記事はPen 2020年4/15号「オニツカタイガー完全読本」特集より再編集した記事です。