オニツカタイガー創業者・鬼塚喜八郎の卓越した創造性は、生み出された靴だけでなく、会社の経営にも反映された。ここでは知られざるエピソードとともに振り返る。
タコの吸盤から誕生した、日本初の競技用“バッシュ”
創業したときに、日本一のスポーツシューズメーカーを目指した鬼塚喜八郎。スポーツ用でもどんな靴をつくればよいか考えていたときに出会ったのが当時のバスケットボール強豪校、兵庫県立神戸高校の松本幸雄監督だ。当時、バスケットボール用のシューズは俊敏な動きが要求されるため、製造が最も困難だと言われていた。しかし鬼塚は、困難に立ち向かうことでスポーツシューズの製造工程のノウハウも蓄積できる、とバスケットボールシューズの製造を決断。ようやく出来上がった最初の試作品は「ワラジのようだ」と酷評されたが、鬼塚は選手の動きを研究し、監督や選手たちに試してもらい、意見や要望を吸い上げ、ついに完成。1950年、「タイガー印バスケットボールシューズ」を発売した。
しかし現場からはより敏捷な動きに耐えられるようにとの声が上がり、翌年に進化形に挑む。このモデルはソール全体が凹型になっているのが特徴。夕食に出されたタコの酢の物を見た鬼塚が、吸い付いて離れないタコの吸盤の原理を応用すれば、速攻や急停止など、バスケットボールに欠かせない動きが容易になると考えて、グリップが強い凹型の形状のソールを生み出した。
※この記事はPen 2020年4/15号「オニツカタイガー完全読本」特集より再編集した記事です。