
ウディ・アレンが、当時7歳だった自身の養女、ディランへの性的虐待の容疑で捜査されたのは、1992年のことだった。告発したのは、ウディ・アレンの長年のパートナーでディランの養母でもあるミア・ファローだ。
ウディ・アレンは、アカデミー賞に史上最多の24回ノミネートされ、「ウディの映画に出演すればオスカーを獲れる」とまで言われた人物。女優のミア・ファローは、ウディの公私にわたるパートナーで、ウディの映画13本に出演している。
ミアがウディの性的虐待容疑を告発する少し前、2人の関係を揺るがす大きな出来事があった。ウディの自宅で、ミアはあるものを発見する。
「目に入った途端、ミアは凍りついた。それは六枚のポラロイド写真で、その全部に性器と、女性の顔が写っていたのだ」(P100〜101)
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ポラロイド写真に写っていた女性

その女性は、ウディより30歳以上年下で当時大学生だったミアの養女スンニだった。セレブリティファミリーに起きた、養女への性的虐待疑惑と、養女との恋愛関係という醜聞は、マスコミを大いに賑わせたが、その後、ディランへの性的虐待は、証拠不十分で不起訴となり、ウディは、スンニと結婚した。
「(中略)この時は無罪とされたこともあり、以降、世間はそのことをほとんど気にとめることはなかった。その事情が、「#MeToo」運動が盛り上がるにつれ、変わってきたのだ」(P8〜9)
撮り終わったばかりのティモシー・シャラメ出演の映画『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は、北米での配給が中止になり、映画界は、ウディと完全に距離を置いてしまったのだ。ロサンゼルス在住の映画ジャーナリストである著者は、ウディとミアの双方の生い立ちを追い、このスキャンダルを極めて冷静にレポートする。
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養女への性的虐待は事実なのか?
ウディは、ミアの子どもたちに対してずっと無関心だった。ところが、新たに引き取ったアメリカ生まれの白人の女の子ディランは違った。
「驚いたことにウディはディランに夢中になったのである。くるくるしたやわらかい髪の毛が伸びてくると、ますますウディはディランを可愛がるようになり、ついに『みんなで一緒に住もうか』と言い出した」(P82)
そしてディランが7歳の時、ミアの自宅で起きたとされるのが性的虐待だ。
「その間、ウディは『動かないで。じっとしていてくれたらパリに連れていってあげる。自分の映画に出してあげる』と言ったとディランは語った」(P119)
だが本書では、これらがミア側からの申し立てに基づくものであることを明記する。報告書には、こう書かれていた。
「ディランが何かを語る時、それは自発的ではなく、先に話すことを決められていて、リハーサルをしていたような感じがある」(P145)
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養子のひとりは、ウディを擁護するブログを発表
結局、白黒つかないままだったのに、なぜここにきてウディは、映画界から追放されてしまったのか。ディランが2017年になって、ロサンゼルスタイム紙に、「『#MeToo』はなぜウディ・アレンを除外するのか?」という意見記事を寄稿し、さらにウディとミアの実子で、ピューリッツァー賞を受賞したジャーナリストのローナンもこのように呼びかけた。
「(中略)僕の姉の話に耳を傾けてください。彼女は今もウディ・アレンに苦しめられています」(P190)
一方で、養子のひとりであるモーゼスは、ウディを擁護するブログ記事を発表。過去にミアが子どもたちに理不尽な態度をとっていたことについても言及した。
「自分が注意深く作り上げた現実から少しでもずれたことをされると我慢ならないミアに抑圧され、『僕は自分の声を奪われたのです』と、モーゼスは訴える」(P197)
さらにこう証言した。
「心理カウンセラーであるモーゼスは、職業的観点からも、ウディが小児性愛者である可能性は極めて低いと考える。この手の犯罪者は衝動を抑えられず、同じことを繰り返すからだ」(P199)
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ドキュメンタリー『アレンv.ファロー(原題)』が放映
ようやくほとぼりが冷めそうになったところで、2021年2月に、このスキャンダルについてのドキュメンタリー『アレンv.ファロー(原題)』が放映された。
「性犯罪被害者のためのアクティビストであることを自認するこの監督コンビは、ウディとミアのスキャンダルも、完全にミアの視点で語った」(P216)
家族の愛憎劇の幕はなかなか降りそうにない。