プロサッカー選手の岡崎慎司が、「清水エスパルス」からドイツ「VfBシュトゥットガルト」へと移籍したのは2011年のこと。以来彼は10年間にわたり、世界のトッププレイヤーたちがしのぎを削る、欧州リーグのただ中を舞台に戦ってきた。5月にスペイン「SDウエスカ」からの退団を発表した彼は、今年ですでに35歳。選手としては最高齢のステージとも言えるが、今後もヨーロッパで戦い続けるという、彼の強い意志に変わりはない。次世代を担う若手選手たちの躍動に沸いたこの夏、ひとり茨の道を進む先達に、タフな挑戦を続ける理由を聞いた。
---fadeinPager---
──ドイツ 、イングランド、スペインと、これまでに3つのリーグで戦ってきたヨーロッパでの選手生活も、今年で10年が経ちました。5月には所属チームからの退団に際し、今後もヨーロッパでの挑戦を続けていく決意を語られていましたが、岡崎さんは人生における進路設計をどのように行ってきましたか?
子どものころから、日本代表になりたいとか、世界で戦いたいといった漠然とした夢はもっていましたが、実際に毎日直面するのは、「これをできるようになりたい」とか、「こいつに勝ちたい」といった目前にある課題。それを一つひとつクリアしながら少しずつ進んでいくなかで、最初に大きな決断を迫られたのは、高校3年生の時です。地元の「ヴィッセル神戸」と「清水エスパルス」から契約のオファーが来て、初めて「あ、俺プロになれるんや!」って実感したのと同時に、どっちのチームを選ぶのかを自分で決める必要がありました。その時に、周りにたくさんの知り合いがいて、みんなに応援してもらいながら地元のチームでプレイしている自分の姿は簡単に想像がつくだけに、なんとなく物足りない感じがしました。一方で、行ったこともない静岡でやっていくことの方が、 なにが起こるのかまったく想像がつかなくて、絶対に楽しいだろうなって思えたんです。こうやって自分が進む道を選択する際に、なるべく未来が予想できない方を選びたいと思う感覚は、いまでも変わっていないと思います。
──今年で35歳と、プロアスリートとしては最終ステージを意識せざるを得ない年齢だと思いますが、Jリーグではなくヨーロッパにこだわり続けるのも、同じような理由からでしょうか?
同じ理由です。僕はゲームも大好きで、オフの時間によくプレイしているんですが、すぐに熱中する反面、ものすごく飽き性でもあります。プレイしているうちに先の展開や攻略パターンが見えてしまうと、一気に興味をなくしてやめてしまうことが多いんです。だからどんなゲームでも、レベル設定を選べるゲームであれば、必ずいちばん難しい“ハードモード”でプレイするようにしています。結局、難しすぎてやめちゃうこともありますけどね(笑)。サッカーの対戦ゲームでも、コンピュータを相手にしているとパターンが見えてしまうことも多いので、なるべくオンラインマッチで知らない人と対戦するようにしています。
──オンラインで本物のプロ選手とマッチングするなんてこともあるんですね!?
いまはアルゼンチンのセルヒオ・アグエロとか、ポルトガルのディオゴ・ジョッタみたいに、ゲーム実況を配信しているようなゲーム好きのサッカー選手も増えているので、タイミングさえ合えばマッチングされる可能性は全然あると思いますよ。話が少しそれましたが(笑)、周りからもよく、「そろそろJリーグでプレイすればよいのに」って言われることもあります。でもいざこのタイミングで戻った時に、ベテランとしてチームでそれなりの役割をもらって、それなりの活躍をして、後輩たちからも慕われて、楽しくやっていけるということは、自分のなかである程度想像ができてしまいます。それよりも、選択肢が残されているうちは、できる限り最もハードな道を選んで、自分の限界に挑戦し続けている方がやりがいを感じるんです。これまでも、「ドイツでは活躍できたとしても、イングランドとかスペインでは無理だろ」って思われるのであれば、そう言われる前に出来るってことを証明してやろうって、縁もゆかりもないリーグに自分から飛び込んでいきました。まだイタリアでもフランスでもやっていないですし、挑戦できる場所がある限り、ボロボロになるまで、その可能性にかけてみたいんです。
---fadeinPager---
どんなに経験を積んでも、常に新たな気付きを与えてくれる恩師の教え
──ドイツ 、イギリス、スペインの3ヵ国は、それぞれ使う言語も文化も異なります。いろんな国を渡り歩いて、その度に違う環境にアジャストすることは、大変なことではないのでしょうか?
そうですね。試合で活躍できるかできないかの前に、まず環境に慣れること自体が、毎回かなりハードな課題となります。日本人同士であれば、ある程度共通の価値観を通してわかり合うことができますが、そもそもヨーロッパはいろんな人種がそれぞれの常識をもって集まってくるところなので、自分の常識を他人に当てはめようとしても、それはお互いのストレスになるだけです。だからいい意味でドライに、自分は自分、他人は他人。難しく考えたり悩んだりする時間がもったいないので、自分の居心地がいいポジションを見極めて、ただ淡々とやるべきことをやるだけです。
実は10年もヨーロッパでプレイしていますが、まだまだ英語が全然ダメで(笑)。だからピッチの外でのコミュニケーションはあまり得意ではありませんが、練習や試合中は別の話。いちいち会話なんかしなくても、思いっきり「ヘーイ!!」って言うだけでも、だいたい言いたいことは伝わりますよ。究極の話、コミュニケーションを取る上で重要なのは、単語や文法や発音以上に、思いを伝えようとする意思があるかないかに尽きると思います。とはいえ、本当は英語が話せたらいちばんよいんですけどね(笑)。もっとグローバルなマインドをもって育ってきた若い世代の選手たちであれば、その部分のハードルは簡単に超えていけると思います。
──若い世代と言えば、先日退団された「SDウエスカ」とともに、日本の選手育成とスペイン文化学習を目的とした、「岡崎慎司SDウエスカアカデミー」を6月に発足されましたね。若手の育成にも興味が湧いてきましたか?
はい。最近は自分が海外で得た経験を誰かに伝えていきたいと考えるようになり、プレイヤーとしての自分のこと以外にも、若手選手の育成や、チームのマネージメントにもどんどん興味の方向が向かっています。僕の母校である兵庫・滝川第二高校の仲間たちと運営する「バサラ兵庫」というクラブがあるんですが、そこを拠点に、日本とウエスカ県の架け橋になるようなアカデミーをつくりたいと思い、「SDウエスカ」と共同でプロジェクトを立ち上げました。神戸とウエスカの交流がどんどん盛んになって、将来的には姉妹都市のような存在になればよいなと思っています。若い頃から海外とのつながりをもつことで、将来活躍の幅に違いが出てくるはずです。
滝川第二時代の恩師、黒田和生先生が書いた『人の心を耕す』と言う本があるんですが、この本は僕にとってのバイブルみたいな存在。黒田先生は「神戸FC」のコーチから始まり、滝川第二高校サッカー部の監督、「ヴィッセル神戸」の普及育成事業本部長、チャイニーズタイペイA代表の監督などを歴任しながら、常に“人間教育”に力を注がれてきました。僕もこれまでのプレイヤーとしての経験を通して、いろいろと気づいたことや、これからやっていきたいと思うこと、伝えていきたいことなどを考えるようになりました。でも、すでに全部、この本に書かれているんですよね(笑)。高校時代は言われていることにただ従っているだけで、正直その意味については理解しきれていませんでした。挨拶ひとつ、練習への向き合い方ひとつ、先生が言っていたことの全てがつながっていたことを、いまやっと、心から理解できるようになったと思います。
---fadeinPager---
日本人として世界と戦う、侍の美学
──「常に“ハードモード”を選択していきたい」とおっしゃっていましたが、結果や数字がいちばんの評価基準となるプロの世界で、ご自身のメンタルのコンディショニングはどのように取られていますか? また海外で戦い続けるうえで、なにか大切にしている考え方はありますか?
いちばん大事なのは、常にブレないこと。調子の浮き沈みや結果に対していちいち一喜一憂していたら、それこそすぐにしんどくなってしまいます。たとえば、試合中にいいシュートを決められた時も、瞬間的にはチームのみんなと大騒ぎして喜びますが、その後はさっぱりと気持ちを切り替えて、心のバランスを取るようにしています。いい時も悪い時も、心の浮き沈みを一定に保てるようにならないと、いざという時に冷静な判断はできません。
海外で戦っていく上でいつも心の中にあるのは、なんだかベタな感じに聞こえるかもしれませんが、「侍」という言葉。高校3年生の年にチームメイトと話し合って、その年の自分たちのテーマを「侍」に決めました。ちょうど映画の『ラストサムライ』を観て、モロに影響を受けまくっていたタイミングということもありますが(笑)。でもみんなでお寺で座禅を組んだり、侍の生き方を勉強したりしていくうちに、自分の中で侍と言う言葉が大きな意味をもつようになりました。いまも海外で生活をしていますが、どんなに長く日本を離れていても、感覚が日本人離れしていくことはありません。あくまで日本人として、毎日世界と戦っている意識が強いです。
実は高校のサッカー部の先輩にも、ひとり世界で戦っている侍のような人がいて、いつもよい刺激を与えてもらっています。「コーネリアンタウラス バイ ダイスケ イワナガ」というバッグブランドを手がける岩永大介さんという方で、地元の神戸から世界に向けてクリエイションを発信し続けているんです。
──今日お持ちになっているバッグもそのブランドの物ですか?
そうですね。財布なども含め、レザーのアイテムはここの物を使っています。岩永さんは世代的には10歳近く上なので直接の面識はなかったのですが、僕が海外でプレイし始めたタイミングに、共通の知人から紹介していただきました。ともに黒田先生の教え子で、世界を相手に頑張っているという部分で共感できることも多く、深いつながりを感じているんです。岩永さんも日本人としての感覚をとても大事にしていて、その部分が他のブランドには真似のできないオリジナリティとなっています。僕はやっぱり、侍として、日本人として、岩永さんのような人がつくっている物を身につけていたいんです。ヨーロッパの選手たちは、みんながみんな同じように、誰もが知っている高級ブランドのバッグを使うじゃないですか。そんな中で岩永さんのバッグ使っていると、「ドヤ! カッコええやろ!」って、自分のアイデンティティを誇らしく思えるんです。常に泥臭く、諦めず、気高く生きる侍であり続けるために、欠かすことのできないアイテムのひとつとなっています。