編集者や出版社代表など“本のプロ”4人が語る、読書の記憶。ここでは、新たな視点をもたらした本についてそれぞれ紹介してもらう。
もやもやとした世の中の疑問に、確かな言葉をくれたマルクスの書
下平尾 直(しもひらお・なおし)
●「共和国」代表。1968年、大阪府生まれ。2014年に出版社「共和国」設立。21年8月末日現在、既刊60点。
“文化批判”をコンセプトに活動する独立系出版社「共和国」。代表を務める下平尾直が「新刊よりも、好きな作家の戦前・戦中の本を古書店で集めるほうに興味があるのですが」と推薦するのが、マルクスの『経済学・哲学草稿』だ。
20代のマルクスが、後発資本主義のしわ寄せが集中するドイツを見つめ、考えを断章的に記した本書。はじめて読んだのは大学に入学した直後、社会科学に関心を寄せ始めた頃だという。
「働くことやお金を使うことの意味、人間と自然、人間と動物、女性と男性など、世界と自分との関係についてもやもやと悩んでいた疑問に、確かな言葉を与えてくれました」
いまある世界だけを肯定するのではなく、多様な世界観に触れる。共和国の原点と言える一冊だ。
---fadeinPager---
「自分はなにを苦しいと感じるのか」バイオレンス小説が教えてくれる
添田洋平 (そえだ・ようへい)
●フリー編集者。1981年、熊本県生まれ。フリー編集として文芸、コミックのノベライズなど幅広く活動。
フリーの文芸編集者として活動する添田洋平。最近は人文、社会、思想など社会情勢に対する興味から本を選ぶが、若い頃に出合った小説『神は銃弾』は特に強烈な印象を残している。
「編集者になってすぐ、右も左もわからない時に手に取り、作品全体を貫く激しい暴力性に衝撃を受けました」
カルト教団によって元妻を惨殺され、娘を連れ去られた警察官のボブは、教団の元メンバーで麻薬中毒者のケイスを相棒に娘を取り戻す旅に出る。添田は読後、「まるで自分が破壊されるような体験だった」と感じたという。
「自分はなにを苦しいと感じるのかを知りたくて、バイオレンス小説も読むようになった。小説や物語とは、『破壊的体験を提供するものでもよいのだ』と勇気づけられたのです」
---fadeinPager---
不安な時に必ず読み返す、人生の道標
鶴我百子 (つるが・ももこ)
●『新潮』 編集者。1993年、福岡県生まれ。新潮文庫編集部を経て、2018年から現職。おもに純文学作家を担当。
月刊文芸誌『新潮』の編集者である鶴我百子。彼女が「人間観を変えてくれた」と語るのが、山田詠美の『アニマル・ロジック』だ。主人公は誇り高き黒人女性のヤスミン。言葉や理屈より“五感のせつなさ”を信じるという主人公を通して、ニューヨークに暮らす人々の人生が垣間見えてくる。
「属性も立場もばらばらな登場人物たちの姿を、まるで友人や自分自身のように感じられるのは、山田さんの作品ならでは。現実の世界以上に、人間の悲喜こもごもとした感情が凝縮されているように思います。それは作者の人間愛がこの作品の根幹をなしているからではないでしょうか」
現代にいたるまで連綿と続く差別や貧困、そして死。作中ではあらゆる悲劇が描かれるが、結末に読者が見出すのは、自らが人間に生まれついたことの喜び、そして人類の可能性だ。
「不安や絶望に苛まれた時、必ず読み返す“人生の道標”です」
---fadeinPager---
もてなす楽しさを教えてくれた、スタイリッシュな料理本
佐々木礼子(ささき・れいこ)
●小学館 国際メディア事業局 クロスメディア事業センター。1985年、東京都生まれ。広告代理店を経て現職。『#おうちでsio』を企画。
映像コンテンツ事業に携わりながら、食やレストランを愛し、料理本編集も手がけている佐々木礼子。彼女が選んだのは、母から受け継いだ一冊。
「母はいつもこの本を参考に料理をつくっていました。私がキッチンに立って実際につくり始めたのは高校生くらい。どれも簡単につくれるので、学生だった私にも再現しやすかったです」
イタリアンからエスニック、和食まで幅広いレシピを紹介。個性に富み、他の料理本では見たことのない料理がたくさん紹介されている。おもに季節に沿ったおもてなし料理が多く、彼女の母親はホームパーティを開く際も、ここから料理を選んでいたという。
「最近出版された本と言われても疑わないほど、デザインがスタイリッシュ。料理への興味と“おもてなし”の気持ち、海外の食文化の楽しさを教えてくれました。この本がなければ料理をつくることも、料理本編集をすることもなかったかもしれません」