【Penが選んだ、今月のアート】
記憶や無意識の表れであり、精神的なものや異界からのメッセージである夢をはじめ、自身の体験を自在に描く、横尾忠則の森羅万象。「いかに描くか、それとも―」という想いを重ねた都内での大規模個展開幕前に、横尾が考えることとはなにか?
「不思議なことが重なり、偶然が偶然を呼び、思いもよらない事物や人が自然に集まってきて、願望が達成してしまうというシクロニシティはぼくの人生のパターンのような気がしていた。しかし願望が実現するまでのプロセスといったら、いつも天国と地獄の間で往復運動が繰り返されるみたいで、非常にスリルに満ちている」
かつて、こう自伝に記していた横尾。その人生はもちろん、描かれる世界は、この世に生を受ける遙か以前となる魂のありかに始まるものだ。夢の情景や宇宙、霊界など、幾層もの世界が横尾の作品には交差しており、その深みは、展覧会タイトルに含まれた「原郷」という言葉からも伝わってくる。
「生地、故郷の意味もありますが、『原郷』とは魂のふるさとという、前世の時間における経験のこと。私の作品は現世の経験だけではなく、魂、前世の記憶を抽象化したものでもある。東京展では、今春まで愛知で開催していた展示とは異なり、自伝という主題を排除しました。『何を描くか』という主題ではなく、『いかに描くか』、いや、それとも―、という曖昧さを見せたかったのです」
曖昧さとは、決して固定されることのない余白でもある。変化は必要、作品も未完であり続けたいと願う横尾の姿勢にも連なる点であろう。
「いかなる物事も完成することはなく、常に過程、プロセスにおいて変化し続ける。私たちは完成に生きるのではなく、プロセスに生きています。未完で生まれ、未完という過程を経て、未完で死ぬ。作品も同じです。それが自分にとっての自然体です」
近年の変化も興味深い。数年前から、キャンバスのサイズが大きくなった。
「キャンバスが小さいと頭脳的になり、観念的になる危険性が。キャンバスを大きくすることで肉体的になれる。つまり肉体を脳化するのです」
グラフィック・デザイナーとして脚光を浴びていた1980年、ニューヨーク近代美術館で観たピカソの大回顧展で「いいようのない解放感に恍惚としてしまった」横尾は2時間後、画家になろうと決心した。
その時から40年。現在はこれまで以上に制作に没頭する日々だ。従来の作品や写真にマスクをコラージュした「WITH CORONA?」シリーズをSNSで発信し続け、既に誕生した作品は600点以上。「緊張と不安のなかにあるいまだからこそアートが出番。アーティストにとってこれほど刺激的な状況はありません」
横尾がいま大切だと考えているのは、どのようなことだろうか。
「まず、健康であるべき。次に、不安、恐れを排除すること。そして勇気。さらに、年齢を考えないこと。あとは、想いのまま、なるようになる、を信じ切ること」。そして、と続ける。
「目的を持つことをやめたらどうでしょう。もし持つとするのなら、大義名分的に、何々のためなどとは考えないほうがいい。また、結果も考えない。そのことに縛られると遊びから離れてしまう。自由とは遊びであり、快楽であるのです」
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『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』
開催期間:7/17~10/17
会場:東京都現代美術館
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間:10時~18時 ※入室は閉館の30分前まで
休館日:月(8/9、9/20は開館)、8/10、9/21
料金: ¥2,000(税込)
※開催の詳細はサイトで確認を
https://genkyo-tadanoriyokoo.exhibit.jp
※臨時休館や展覧会会期の変更、また入場制限などが行われる場合があります。事前にお確かめください。