漫画家・萩尾望都がいま告白する、自身の“人間関係失敗談”としてのある「地雷」とは?

  • 文:一ノ瀬 伸
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「1970〜1972年の2年間 夢を見て大泉に集った 漫画家たちがあった。仕事をし、語り合った。 だが地雷があった。 それが爆発して大泉は解散した」(P329)

“大泉サロン”と呼ばれ、少女漫画界の革命が始まった場所とも説明される東京都練馬区の大泉での共同生活について、『ポーの一族』など数々の名作を生み出した漫画家・萩尾望都が本書『一度きりの大泉』で打ち明けている。

約50年前、のちに少女漫画界の伝説となるふたりの漫画家が大泉のアパートで一緒に暮らしていた。当時駆け出しだった萩尾と、竹宮惠子だ。近くには、竹宮のブレーンとなっていく漫画原作者の増山法恵も住んでおり、その他の同世代の才能ある少女漫画家らも数多く出入りした場所だった。SFやファンタジー、同性愛などのジャンルで、それまでの少女漫画の固定概念を覆す革新的な作品が次々と生まれていった。

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長らく封印されていた、共同生活終了の理由

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だが、そんな華々しく、勢いのある場所は突如姿を消す。わずか2年で共同生活が終わることになったのだ。それから長らく謎のままで封印されていた解散の理由や経緯が、萩尾の視点で語られていく。口を開いたきっかけは、竹宮が2016年に上梓した自伝本だという。大泉時代の生活についても触れられ、出版以降、萩尾にドラマ化の企画や竹宮との対談のオファーなどが急増した。萩尾は断り続けるが、依頼は止まらず、本書で事情を説明することにしたのだ。

「仕方ない、もう、これは一度、話すしかないだろうと思いました。これで私の気持ちをご理解いただき、外部からのアプローチが収まるよう望みます」(P5)

なぜこれほど頑なに依頼を断るのだろうか。そう、萩尾にとって大泉時代は、懐かしく微笑ましい青春の1ページではないのだ。もちろんデビュー直後に仕事が広がっていく充実や同じ志をもつ仲間と語らう楽しさも大泉で味わった。しかし、ある出来事によって、萩尾の中ですべてが終わり、いまもなお蒸し返されたくない話になっている。

「これは私の出会った方との交友が失われた、人間関係失敗談です」(P5)

「この筆記を書くに当たって、封印していた冷凍庫の鍵を探し出して、開けて、記憶を解氷いたしましたが、その間は睡眠がうまく取れず、体調が思わしくありませんでした。なので、執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです」(P328)

萩尾が「地雷」と表現したある出来事が何であったかは本書を読んで確かめてほしい。生々しく繊細な感情の描写からは、著者が痛みを伴いながら書いているのが伝わってくるようだ。身近な人との関わり合いに悩み苦しむ萩尾。誰もが認める天才の、ひとりの人間としての姿を見る。

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『一度きりの大泉の話』萩尾望都 著  河出書房新社 ¥1,980(税込)