現代日本の食文化の基本が形作られたといわれるのが江戸時代。季節ごとの食材や行事と結びついた江戸の食文化や料理について知れば、食事の時間がもっと楽しく、幸せなひと時になる。連載「今宵もグルマンド」をはじめ、多くのグルメ記事を執筆するフードライターの森脇慶子が、奥深い江戸の食の世界をナビゲート。今回は初夏を告げる初鰹にフォーカス!
どんなに高額でも、真っ先に手に入れたい。
“目には青葉 山ほととぎす 初鰹” ――
江戸時代初期の俳人、山口素堂によるこの一句は、当時の江戸っ子が好んだアイテムを巧みに詠み込んだ名句として知られるところ。300年以上経った現在でも、初鰹といえば真っ先にこの句が思い浮かぶほどおなじみの俳句だろう。
それほど初鰹は、江戸の人々にとって特別な食べものであり、また、見栄っぱりで粋を愛でる江戸っ子気質の象徴でもあったのかもしれない。というのも、かなりな高額だったにもかかわらず、我先にと初鰹を買い求めようとしていたからだ。当時、一尾の相場はだいたい1~2両(現在の価格に換算すると1両は約¥80,000~¥90,000)。ときには一尾3両(約¥240,000)なんていう昨今の天然本マグロも顔負けの法外な値段が付いたこともあったとか。(*1)鮮度が落ちる昼過ぎになれば半値になると知りつつ、高い金を払ってでも真っ先に手に入れたいと思うのが、宵越しの金は持たない江戸っ子の心意気だったのだろう。
「四月上旬に小判を味噌で喰い」(*2)と川柳に謳われるのも宜(むべ)なるかな、である。ちなみにこの川柳からもわかるように、この頃、鰹は生姜醤油ではなく、辛子味噌や辛子酢で食べていたようだ。
*1 江戸時代の貨幣の現在価値については判断が難しく、江戸時代の各時期においても差があるといわれる。
*2 「四月上旬」は旧暦で、現在の4月下旬〜6月上旬頃にあたる。
縁起のよさを象徴する存在
ところで、なぜ鰹がそれほどまでにもてはやされるようになったのか。その理由を辿れば戦国時代に遡る。時は1537年、戦国武将の北条氏綱が鰹釣りに出かけた際、一尾の鰹が船に飛び込んできた。その様子を見た氏綱は「戦に勝つ魚が舞い込んだ」と大喜び。さっそく出兵したところ、見事に勝利を収めた。この話が世間に広がり、鰹=勝男の当て字とともに縁起のよい魚として知られるようになったらしい。
江戸時代、鎌倉や相模湾で揚がった鰹は、早船や早馬で日本橋まで運ばれ、まずは江戸城へ。将軍家に献上した後、大名屋敷や高級料亭、豪商などが金にものをいわせて買い上げたという。“初物を食べると寿命が75日も延びる”と信じられていたこの時代、初鰹に至ってはその10倍、750日も延びると言われていたそうだから、その特別感が伝わってこようというものだ。
ちなみに、現代では初鰹よりも好む人が多い戻り鰹は、江戸っ子には見向きもされず、二足三文で売られていたそうだ。どうも江戸っ子はさっぱり好みだったようだが、思えば冷蔵技術も発達していなかった江戸時代のこと、脂が多いと身の傷みも早かったこともその理由のひとつだろう。