戦後まもない頃に建てられたホテルが、当時の面影を残し、那覇の街中で過去と未来をつなぐように佇んでいる。幾度も荒波を越えてきた軌跡をたどった。
日本の領土だった戦前の大和世から米軍統治下に置かれたアメリカ世を経て、1972年に祖国復帰を果たし、再び大和世へ。こうした時代を背景に、沖縄観光の歴史を切り拓いてきたホテルがある。その名も「沖縄ホテル」だ。
ホテルが立つ大道という場所は、国際通りや新都心エリアを徒歩圏内に擁する那覇の中心街。大通りに面した入り口からアプローチを抜けて赤瓦門をくぐると、街の喧騒はぴたりとやみ、時空を超えたような錯覚に誘われる。精霊が宿っていそうな大きなガジュマルやサガリバナなど、南国の木々があふれる敷地内は、鳥たちにとっても羽を休める格好のオアシスなのだろう。
祖父の代から受け継ぐ、沖縄建築を象徴する意匠。
遡ること、1941年。沖縄ホテルは那覇市若狭、通称「波の上」と呼ばれる地で、沖縄の観光ホテル第一号として誕生。創業者は、現在の経営者・宮里公宜の祖父、宮里定三。のちに「沖縄観光の父」と讃えられる人物だ。
この頃の那覇には良質な旅館がほとんどなく、VIPの受け入れに苦慮していた。当時の沖縄県知事は、神戸でゑびす屋旅館を経営していた定三の叔父に沖縄でホテルをつくることを要請。白羽の矢が立ったのが、その旅館で働く定三だった。結婚したばかりの29歳。叔父の命令に気が進まなかったが、「やるからには誰にも負けたくない」と総支配人の任を引き受け、県内唯一の貴賓ホテルを開業した。
沖縄初の水洗トイレや冷蔵庫など最新の西洋文化を備えた、地下1階、地上3階建て。外壁はモルタル塗り、内装は総ヒノキ、屋根は赤瓦で唐破風造りに。その威容は、当時の人々の目にあまりにもまぶしく映ったという。
太平洋戦争の暗雲が沖縄にも漂い始めると、沖縄ホテルは軍政下に置かれた。そして、44年の大空襲に始まり、艦砲射撃、激しい地上戦によって那覇の街は壊滅。沖縄ホテルも全壊し、その歩みはいったん途絶えた。
終戦を迎え、収容所暮らしを経た定三は、故郷の羽地村(現・名護市)で食料配給主任や区長などを務めていた。終戦から6年が経とうとする頃、「ホテルをやらないか」という話が再び舞い込んできた。映画配給会社である琉球映画貿易の社長から、こけら落としに本土から有名タレントを招くが、相応な宿がなく困っているという相談だった。急を要するため、大道にある赤レンガ造りの建物を借りて内部を改装。51年、現在の地で全7室のホテルとして再スタートを切った。
戦後の復興期で観光とはまだほど遠い時代、周囲は俗にいう連れ込み宿がほとんどで、当初は赤字続きだったという。「続けるか、辞めるか」の岐路に立たされた定三は、那覇市ホテル旅館組合を設立。沖縄観光そのものを盛り上げるために邁進する。その後、米軍の工事に携わる土建業者、本土からの芸能関係者、大手の商社マン、日本航空の沖縄支店長……と、復興期の時代の流れを映すように客層も変化。山下清、棟方志功、柴田錬三郎など、沖縄を愛した芸術家や作家も投宿した。
現在の旅館棟が建てられたのは、60年。戦後の沖縄建築によく用いられた建材、「花ブロック」を考案した仲座久雄による設計だ。花ブロックは台風や潮風に耐性のあるコンクリート製のブロック。丸や四角の穴を開け、南国特有の強い日差しをやわらげながら風を通す。沖縄の気候条件に合わせた実用性と美観を備え、塀や外壁の重要な建材となった。その花ブロックの素案を沖縄ホテルの外壁に現在も見ることができる。その他、当時の沖縄では珍しかった車寄せのピロティや、粟石や琉球石灰岩を用いた塀、右側通行時代の名残も感じられるアプローチなど、数度にわたる改修を経ても、躯体や外観はほぼそのままの姿を残している。
創業から80年という歳月の中で、迎えた客は数知れない。パスポートが必要だった時代から修学旅行の常宿とする九州の高校や、親子二代にわたって新婚旅行で訪れた夫婦など、世代を超えて愛されてきた。68〜73年まで放映された伝説のテレビドラマ「キイハンター」で当時、初の海外ロケとして沖縄編が撮影された際には、出演者の宿舎に。「丹波哲郎と千葉真一がやってくる⁉」と、近隣の住民が色めき立ったという逸話も残る。祖父、父からバトンを受け継ぎ、3代目となった公宜は、「私には残す使命があります。古いものに価値を見出していきたい」と、未来を見据えて語る。時代に翻弄されてきた沖縄の観光業ではあるが、いつの世も海を超えてやってきた客人を真心でもてなしてきた沖縄ホテルは、凛とした姿でここに在る。
ホテル内部の写真一覧
沖縄ホテルOKINAWA HOTEL
※現在休業中
沖縄県那覇市大道35 TEL:098-884-3191 全78室
アクセス:那覇空港からクルマで約20分、ゆいレール安里駅から徒歩約7分
https://www.okinawahotel.co.jp/
※Pen2021年2/15号「物語のあるホテルへ。」特集よりPen編集部が再編集した記事です。
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