人形町の老舗「㐂寿司」3代目が語る、江戸前の流儀。

  • 写真:大河内 禎
  • 文:森脇慶子
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鮨における“江戸前”とは何か。大正時代から続く老舗の鮨店「㐂寿司」に立つ油井一浩さんに、現代の江戸前の流儀をどのように捉えているか聞いた。


油井一浩●1970年、東京都生まれ。㐂寿司三代目。一度は別の仕事に就くも、26歳で家業の鮨の世界に入る。掃除から始め、アナゴの骨を外したりゲソの下処理などの下働きを経て30歳過ぎで板場に立つ。築地へは先代とともに毎朝通い魚の目利きを叩きこまれた。「首ねっこが盛りあがっている魚を選べと教えられました」。先代亡き後、三代目を継ぐ。

「時代の流れとともに江戸前鮨のあり様も、随分と変わってきましたね。江戸前の定義にしても、現在では、酢で〆たり、煮たり、茹でたりといった江戸前鮨独特の仕事を指すようになりました。そして、その仕事自体も、昔のように保存を目的としたものから、魚自身のもち味をいかに引き出し、鮨飯とうまく合わせていくか、を目的とした仕事に変わってきていますね」
こう語るのは油井一浩さん。2018年5月、他界した父の隆一さんに代わり、鮨屋「㐂寿司」の暖簾を継いだ3代目だ。江戸前鮨とは何かを聞くべく、100年近い歴史をもつ老舗を訪ねた。

素材の味を活かすため、柔軟にアレンジする。

ここ人形町の地に「㐂寿司」が店を構えたのは大正12年(1923年)。現在の店舗は戦後に建てられ、木造建築の堅牢でありながらも、どこか色香の漂う店構えは、花柳界華やかなりし頃の佇まいを彷彿とさせる。
「祖父の初代油井貫一が、この場所で始めたのは大正時代ですが、㐂寿司の屋号で鮨屋を開いたのは、祖父の父、つまり僕の曽祖父。明治末期の頃、柳町のほうで始めたと聞いています。長男だった祖父は、いわば暖簾分けの形で独立したようですね」と油井さん。
その曽祖父、㐂太郎さんこそ、江戸前握り鮨の始祖ともいわれている両国「華屋與兵衛」出身の職人のもとで修業した人物。ここ㐂寿司が「華屋與兵衛」の流れを汲んでいるといわれる所以でもある。いまは、同店しか見ることのできない通称“ひよっこづけ”はそのいい例だろう。明治末期、「華屋與兵衛」4代目主人の弟、小泉清三郎が書いた『家庭 鮓のつけかた』に記載されているほど古い鮨のひとつだ。
「他にも、才巻海老とおぼろを握る『唐子づけ』に、煮イカに鮨飯を詰めた『イカの印籠詰め』、車海老とコハダの『手綱巻き』など、食材に“ひと仕事”を加えたものをうちでは出します。それが、いわゆる江戸前鮨の代表例といえるのではないでしょうか」
その中には、さりげなくアレンジを加えたものも。「イカの印籠詰め」もそのひとつで、鮨飯に刻んだかんぴょうやガリを混ぜるのは、先々代貫一氏のアイデアによるものだ。


青森県の三厩であがった177㎏の本マグロ。左からマカジキ、ヒレの中トロ、血合いギシ、ヒレ下、天端、赤身の真ん中。

江戸前鮨の真骨頂、コハダは年間を通して用いる。日々、コハダの状態を見て、塩加減を変える。

また、現代では江戸前鮨の華ともいえるマグロ。現代では、大トロがいちばん多く含まれている「腹かみ」が最も高価で人気の部位だが、トロがもてはやされるようになったのは1955年頃からのことらしい。それまでは、トロといえは屋台店でしか扱われない安物で、高級店はもっぱらマグロの背のほうから買っていたとか。そこが、最も質のいい赤身が含まれる部位だからだ。㐂寿司も一貫して赤身主体。背かみのみを仕入れてきた。しかし、江戸前鮨のイメージが強いマグロのヅケに関しては、「せっかくの状態のいいマグロが手に入るのに、その香りが失せてしまう」からやらないという。
〆ものも「昔に比べ格段に質のいい状態で仕入れられるようになった魚に合わせて〆加減も変えてきました。鮨飯にしても、酢と塩のみしか使わぬやり方は変わりませんが、米自体はいろいろと食べ比べました」との油井さんの言葉通り、魚介類や米などの素材を取り巻くさまざまな環境が目まぐるしく変わっていく現代、ただいたずらに江戸前の仕事に執着するだけでは進化はない。伝統はしっかりと受け継ぎながらも、時代の流れと変化に絶えず目を向けていくしなやかさも必要なのだ。
かつて、東京湾は遠浅の干潟を抱えた恵まれた天然の漁場だった。アナゴにコハダ、車海老や芝海老はもとより、鯛、ブリ、白魚、時には鯨までもが獲れたこともあったようだ。こうした江戸城の前の海で獲れた魚介のことを、“江戸前”と称した。この江戸前の海とは、どこを指すのかという点については、国文学者の池田弥三郎は、著者『日本橋私記』の中でこう述べている。「江戸日本橋の魚河岸に集まり散ずる魚の獲れる海域、それは『江戸前の海』である」。これに基づくならば、現代では豊洲に集まる魚はすべて江戸前となる。時代の変化とともに、流通や保存の技術も変わるもの。江戸前の定義が自ずと変わっていくのもまた、自然ななりゆきといえるのだろう。
大正、昭和、平成と時代を超えて老舗の味を守ってきた㐂寿司。その進化は、そのまま江戸前鮨のいまを示唆しているようだ。


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江戸前の流儀<その1>鮮度

東京湾で獲れた魚介を“江戸前”と呼ぶが、流通が発達した現在では各地から新鮮な魚介が入手可能に。保存機能や処理の仕方も進化したため、ヅケなどの昔ながらの技法にこだわらず、鮮度を活かした握りも提供するのが今日の江戸前流だ。

鉄分の味が強い赤身の真ん中の部分。㐂寿司では、赤身ひとつでさまざまな味が楽しめる。

マカジキ。出前が多かった時代、色変わりするマグロより色の変わらないマカジキが珍重された。

赤身ながら、中トロのような華やかな味わいもある血合いギシ。香りとその余韻が豊かに広がる。

江戸前の流儀<その2>〆る

江戸前の伝統的な仕事である、〆る工程。コハダをはじめ、カスゴやサバ、アジなど塩と酢で〆るものもあれば、白身魚のように昆布で〆るもの。魚によって方法はさまざまだ。〆る時間や塩の量なども、魚の脂ののりや大きさで変わってくる。


撮影時は青森県産のサバ。ベタ塩に2時間つけた後、水に浸けて塩抜きする。その後、酢に1時間弱浸け、一日寝かしてから握り始める。

〆サバの握り。サバ本来の風味を残しつつ、〆加減もほどよくしっとりと仕上げた〆サバと、米の甘みを活かした鮨飯とが絶妙にマッチ。

江戸前の流儀<その3>彩る

料亭が立ち並び、花柳界も華やかな時代には、お座敷への出前の「盛り込み」も、技巧をこらした手綱巻きなどを入れて見た目が美しくなるよう工夫した。江戸前の仕事が施されたさまざまな鮨が、ひとつの作品のように凝縮される。

仕事を施したネタだけでつくるバラちらし。海苔、かんぴょう、ガリを混ぜた鮨飯に、アナゴ、煮イカ、タコなど煮物をのせ、コハダと煮切りで和えたマグロやホタテなどを散らし才巻海老を飾る。

かんぴょう巻き(手前と奥)と手綱巻き、唐子づけなど伝統的な江戸前鮨でまとめた「盛り込み」。握りの上部を左に向け、全体を右に傾けて盛る流し盛りのスタイル。

「唐子づけ」は、才巻海老を背割りにして開き、海老おぼろを入れて握る。唐の子どもの髪型に似ていることから、この名で呼ばれる。

手綱巻きは関西の押し鮨のようだが「これも古い江戸前鮨の手法のひとつ」とは油井さんの弁。車海老とコハダ、海老おぼろでつくる。

㐂寿司
東京都中央区日本橋人形町2-7-13
TEL:03-3666-1682
営業時間:11時45分~14時30分、17時~21時30分(月~金)、11時45分~21時(土)
定休日:日、祝


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この記事は、2019年 Pen1月15日号「江戸前の流儀。うなぎ/天ぷら/鮨」特集よりPen編集部が再編集した記事です。
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