築地「天麩羅なかがわ」店主が語る、江戸前天ぷらの神髄。

  • 写真:大河内 禎
  • 文:浅妻千映子
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卓越した職人と豊かな海が長きにわたり育んできた、日本が誇る食文化「江戸前」。天ぷらは、うなぎや鮨にならぶ江戸前を代表する食べ物だ。その神髄を、「天麩羅なかがわ」の店主、中川崇さんに語ってもらった。

中川 崇●「天麩羅なかがわ」 店主。2004年に「天麩羅なかがわ」を築地に開く。前半は魚を中心に揚げ、後半は野菜へと組み立てられたコースの他、追加で季節の味を注文する客も多い。秋の国産松茸の一本揚げは毎年多くの人の楽しみだ。客本位の店のあり方に常連も多く、しかし一見客にも優しい。カウンター8席、テーブルはふたつ用意されている。

スタートに2本出る海老。まずは身、そして頭が出る。頭は身の6~7倍の時間をかけて揚げており、香りが存分に引き出される。

「そもそも天ぷらは、東京湾で獲れた小魚を胡麻油で揚げていたもの。江戸の町には単身赴任者や労働者も多かったというから、重宝なファストフードだったのではと想像します」
キスにハゼ、メゴチやギンポ。東京湾で獲れる、いわゆる江戸前の魚には小魚が多い。アナゴも含め、旨味はあるが小骨が多く、下処理が面倒な魚でもある。だが、高温で揚げることで小骨まで食べられる。そうしたことからも、江戸前の魚と「揚げる」技術とは、またとない相性だったのではと、「天麩羅なかがわ」の主人、中川崇さんは当時の天ぷら人気に思いをめぐらす。

江戸っ子の心を引き継ぐ、いまの「江戸前」。

江戸の人気をいまに引き継ぐ天ぷらだが、時代とともに変化もある。やはり第一は、揚げる魚が変わったこと。

「東京湾で昔ほど魚が獲れなくなりました。ギンポやハゼをはじめとした江戸前の魚は、近年、極端に数が減っています。加えて、漁師さんたちの高齢化の問題もある。魚の産地はどうしても江戸前だけではまかなえない。ギンポやメゴチなどは、産地を変えても数が少なく、いまや超高級魚です」
その分、流通は発達した。天ぷらのスタートにうってつけの海老は九州から入ることが多い。かき揚げに欠かせない小柱は北海道からやってくる。いずれも鮮度にはまったく問題がない。
「いいものを召し上がってほしいという“気持ち”で仕入れています。生産者や仲買の人、同じ気持ちをもった人から仕入れるようにしているんです」
ちなみに、鯛やヒラメといった、従来、江戸前天ぷらに使われない魚を試しに揚げてみたこともある。
「おいしいことはおいしい。でも、天ぷらで食べるのがいちばんかというと、ちょっと違う。江戸前と言われる魚には“揚げる必然性”があるんですね。不思議と油で揚げることによって、おいしさが出てくる魚たちなのです」


江戸前のキス。皮を下にして鍋に入れ、すぐに裏返してじっくり揚げる。アツアツを口に入れれば、繊細な身がとろけていくようである。

アナゴは皮を下にして揚げ、香ばしく焼くイメージで6割ほど火を通す。身はふわっと蒸すように仕上げる。ふたつに切ると湯気が立ち上る。

中川さんが、絶対の自信をもって揚げるのが海老とアナゴ、そして貝柱だ。客の顔を見ながら海老を手でむく。一本一本の個体差を指先から感じると、どうやって揚げるのがいちばんおいしさを引き出せるかイメージが湧いてくるそうだ。海老は2本出すので、それぞれ揚げ方を微妙に変える。火の入れ方、衣の付け方……。1本目をどんなペースで、なにを付けて食べたか。表情はどうか。それを見ながら2本目の揚げ方を客それぞれで変えていく。
「海老を揚げる時は、どのお客さまも新しい油で。いちばん油の力がある時に、自信のある海老から召し上がっていただく。甘さ、素材の質と揚げ油の味を感じていただきたいのです」
もともと魚の臭みをごまかすために使われたといわれる胡麻油だが、昔とは異なり、現在、胡麻油を使う店の多くが、煎る前の胡麻の油を使用。薄い色で香りが淡い太白胡麻油だ。
「胡麻油は高温に耐えられる油。温度を上げても成分が変化しにくい点は、やはり天ぷら向けと言えます。太白で揚げた衣は軽い食感で、香りも薄いので、現代の江戸前向けだと思います。揚げているうちに魚の旨味が油に溶け込むので、アナゴのように強い味のものは、ある程度ほかのタネを揚げてからのほうがおいしく揚がります」
魚によって最適な衣の濃度も違うため、その付け方も素材によって工夫を凝らすようになってきた。
「旨味をどれくらい閉じ込めたいのか、香ばしく食べさせたいのか。出来上がりのイメージで衣を使い分けるのです。でも、衣をつくる粉鉢はひとつ。実はこの中には、小麦粉の濃度の高い部分、さらさらした部分のグラデーションがあります。それを使い分け、継ぎ足し、油の温度を操りながら理想の味と食感に仕上げていきます」
引き継がれた伝統と、生み出される技。それらを両立させることでいまの江戸前がある。そして、江戸前天ぷらを謳う中川さんの結論はこうだ。
「同じ思いをもったものが一生懸命集めた魚を、お客さまの“おいしいものを味わいたい”という気持ちとともに味わっていただく。魚の産地も技術も大事だけど、こういうみんなの“気構え”こそが“江戸前”なんじゃないかと思うんです。だから江戸前っていうのはひとりでは成り立たないものだと思っています」
この店では、食べ手も重要な江戸前の演出者なのである。

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江戸前の流儀<その1>タネ

油で揚げることで、その素材のいちばんのおいしさを引き出すことができるものを選ぶ。江戸前で揃えたい気持ちはやまやまでも、いまやなかなか手に入らない。値段との折り合いもある。天ぷらならではの素材をいかに揃えるかというところから、店のご主人の仕事と苦労は始まる。

スタートの車海老と締めのアナゴ。アナゴは比較的、江戸前産が入荷しやすい。「なかがわ」では中盤にアナゴが出て、そこから野菜が数品出るが、多くの店では最後に出てくる。

産地を問わず手に入りにくくなり、値段が高騰しているのが小柱。こちらは北海道から。小柱のかき揚げは、近年、大変貴重なものとなっている。

「アナゴも一本一本、本当に違うんです。厚み、脂ののり……。どんなにいいものでも、10本あれば1番から10番まで選べるくらい」と中川さん。

客の顔が見えてからむき始める車海老。この店をはじめ、コースに2本組み込むところも。揚げ方を変え、海老のおいしさを立体的に味わえる。

江戸前の流儀<その2>油、衣、温度

衣の基本は冷たい水と卵、そして小麦粉。グルテンの粘りを出さないことに苦労する。油の基本は胡麻油だ。現在は、香りの薄い太白胡麻油にサラダ油を混ぜる店や、太白胡麻油100%の店もある。高温の油の中で、どこまで水分を出すのか、火を入れていくかに熟練を要する。

現代では、余分な油は落としたいというのがどの店も共通。だが、素材を振って油を落とすか、静かに油を落とすかは職人の考え方で異なる。

色、箸で触った感じ、泡の出具合や音など、揚げ具合を計る要素はいろいろある。いちばん大切なのは、職人の仕上がりのイメージである。

衣の付け方は素材によってさまざまだ。身と皮目で付ける量を変えることもある。中身をレアに仕上げたい海老は、衣を比較的薄めにすることが多い。

粉をふるい入れ、粘度を調整。陶器の粉鉢を使うのは見た目のよさではない。鍋の近くにあるため熱の伝わりやすい素材は避けているのだ。

同じ胡麻油でも、種類やブランドによって香りも揚がり具合もかなり異なる。温度の調整や、仕上がりのイメージで油の配合を考えている。

江戸前の流儀<その3>つゆと塩

江戸前の伝統的な食べ方は天つゆに大根おろしだが、塩で味わう文化も成長してきた。まずは素材の味を塩でと思うところだが、「揚げ立てはあまりに熱い。つゆを付ければ冷めるので、一口目は天つゆ、二口目を塩というのもいい」と中川さん。

昆布、鰹節、干し椎茸を使った出汁でつくった天つゆ。醤油の風味が強め。味わいは店によってかなり差異がある。

店では青首大根を使用、甘さを出したいので一日前におろしている。天ぷらの合間に食べて、口をさっぱりさせてもよい。

天麩羅なかがわ
東京都中央区築地2-14-2 築地NYビル1F
TEL:03-3546-7335
完全予約制

この記事は、2019年 Pen1月15日号「江戸前の流儀。うなぎ/天ぷら/鮨」特集よりPen編集部が再編集した記事です。

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