日本最古! 有楽町にあるアーチ式高架下の昭和グルメ

  • 写真:中庭愉生
  • 文:吉田けい
  • 編集:小松めぐみ
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高架下をくぐろうとすると、右手の焼き場から漂ってくる煙に誘われて、「それじゃ、一杯」と足を止めずにはいられなくなる。

高架下あるいはガード下の赤提灯といえば、日本ならではの居酒屋文化のひとつ。なかでも有楽町に残る煉瓦造りのアーチ式高架橋は、日本最古の高架下として知られている。時折頭上を電車が通過する音が響き渡り、それに負けじと声を張るため、酒を酌み交わす客たちの笑い声も自然と高くなっていく。そんな賑わいこそが高架下の赤提灯で飲む醍醐味だろう。

有楽町と新橋を結ぶ高架線が開通したのは1910(明治43)年のこと。赤い煉瓦造りのハイカラな高架橋は、その下に店舗が並ぶとあって注目を集めた。当時の有楽町周辺は、東京駅が完成したこともあってビジネス街として発展し、銀座通りには三越や松坂屋などの百貨店が次々と進出した。そして昭和に入り、1927年に朝日新聞が新社屋を構えた頃には、新聞社が集中するエリアとして“新聞街”と呼ばれていたという。高架下は、各新聞社の記者たちが集まり、杯とともに議論を交わす場所でもあったのだ。

そんな有楽町高架下の一部は、昨年9月に「日比谷オクロジ」として生まれ変わった。洗練された店が軒を連ねる一方で、古くから多くのファンに愛され続ける赤提灯も残る。新旧どちらも近隣で働く者にとっては憩いの場。ガタゴトと心地よいBGMに乗って、笑い声が高らかに響く。


登運とん──いつの時代も昼も夜も、もつやきとホッピーで幸せに浸れる。

高架橋がアーチ式であるため、天井は斜めに。窮屈そうに見えるが、奥側に腰掛けてみると、身体がすっぽりと店に収まっている感覚があり、不思議と心が落ち着く。

昼休憩が終わって人の波がオフィスへと戻りだすと、「もつやき」と書かれた看板に明かりが灯る。まずやってくるのはリタイア世代の常連たちや観光客。日没が近づいてくると、スーツ姿のグループが串焼きを頬張り始め、20時頃になると店から少しはみ出したテーブルも含め、ほぼ満席となる。

「先代によると、店ができた1953年頃は有楽町に闇市があって、もつやきを売る店がたくさんあったそうです。いまは減ってしまいましたが、うちはずっとこの場所でやっています」と話すのは現在、店を切り盛りする眞田正宏さん。

冷凍ものは味が落ちるとして新鮮なモツのみを使い、その日に焼く本数だけを毎朝串打ちする。炭は火力が安定している紀州備長炭が中心だ。煙に燻されて、やや煤けた店だが、当たり前のことを真っ正直に行うという磨き上げられた心意気が、時代を超えて長年愛されている理由だろう。

ゴロゴロとした半殺しの芋の食感が、まさに“おふくろの味”。酒飲みの心をつかむ「ポテトサラダ」¥462(税込) 

さんざん飲み食いしたあとでも、これを食べれば口の中がリセットされ、もう一本と手が串に伸びる。「キャベツ漬け」¥495(税込)

まずは「豚盛り合わせ(シロ、カシラ、ハツ、レバ、タン)」¥935(税込)と、老舗店でのみ飲める「生樽ホッピー」¥550(税込)で乾杯を。

東京都千代田区有楽町2-1-10
TEL:03-3508-9454
営業時間:13時〜23時(月〜金)、12時〜23時(土、日、祝)


こちらは2020年12月15日(火)発売のPen「昭和レトロに癒されて。」特集よりPen編集部が再編集した記事です。
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