老舗旅館「松本十帖」の大浴場で、知の源泉にどっぷり浸かる。

  • 写真:藤井浩司(TOREAL)
  • 文:はまだふくこ
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大浴場を再利用した「オトナ本箱」。「本に溺れる」がコンセプトで、タイル張りの湯船に浸かり写真集をめくれば、時を忘れて過ごせる。

古くから交通の要衝として栄えた城下町の風情が残る松本。その中心からクルマで15分ほど走ると、温泉街に到着する。1300年以上の歴史を誇る浅間温泉だ。昭和レトロな街並みが続く、やや寂れた温泉郷ではあるが、その一角で地域創生に向けた取り組みが動き出している。創業335年の老舗旅館「小柳」の再生プロジェクトで、昨秋にリノベーションして誕生した「松本十帖」は、小柳の名を引き継いだファミリー向けのホテルと、1万2000冊の蔵書を有するブックホテル「松本本箱」を核とする複合施設だ。

暖簾をくぐり、松本本箱に足を踏み入れると、すぐに天井まで続く本棚に迎えられる。続く雑誌コーナーの先には、出版取次大手・日販の選書チームによってセレクトされた「知らなかった世界に触れあえる本」や、ブックディレクターの幅允孝がキュレーションしたコーナーが並ぶ。学都・松本にふさわしい学術書や哲学書も陳列され、思いがけない本と巡り逢える場だ。途中から靴を脱ぎ、奥へと進むと、大浴場へ向かっていることに気が付く。温泉旅館・小柳の記憶を継承した設えが随所に残り、広い湯船に置かれたクッションに身をゆだねれば、知識の源泉に浸かるかのようだ。

松本本箱のフロント。館内は「書店」でもあり、本はすべて購入可。夜はバーも兼ね、お薦めは樽生シードル。¥1,320(税込)

あえてむき出しにした配管も印象的。松本本箱では外気に触れる部分を徹底的に断熱し、館内の暖房には温泉の排熱も利用。

本箱のところどころに小上がりや隠れ部屋のような「おこもり空間」が設けられ、人目を気にせずに読書に没頭できる。

「オトナ本箱」や「こども本箱」の入り口には暖簾が掛かり、大浴場の雰囲気を演出。12時~19時は宿泊者以外の利用も可能。

小柳時代の大浴場を改装し、子ども向けの絵本を集めた「こども本箱」。迷路のように本棚が配され、湯船はボールプールに。ケロリン桶を使った照明もユニーク。

温泉街を散策するように、本との一期一会を楽しむ。

レストラン「三六五+二」の名は、日々の大切な食事と信濃川(長野県域では千曲川と呼ぶ)の全長367㎞から。中央の窯で薪を焚き、炎や香りを演出することで食欲をそそる。

松本本箱の1階正面は広々としたダイニングエリアになっており、壁面は食にまつわる書籍で囲まれている。もとは宴会場だった場所で、薪火を使ったグリル料理が味わえる「三六五+二(さんろくなな)」に生まれ変わった。これは全長367㎞におよぶ信濃川が名前の由来だ。松本は新潟県から信濃川を経て運ばれた食材や食文化の歴史もあり、信州のみならず信濃川流域や日本海の食材も取り入れている。

小柳時代の面影は、谷尻誠率いるサポーズ デザイン オフィスが手がけた客室でも感じられるだろう。あえてコンクリートの躯体を露出させた全24室の客室は、各々露天風呂が配され源泉掛け流しの温泉に浸る楽しみもある。

かつては、そぞろ歩く人々が道にあふれたという浅間温泉。今回のプロジェクトではその賑わいを復活させたいという思いから、チェックインは温泉街の一角に設けたカフェで行う。信州名物のおやきとコーヒーのおもてなしで一服してから、レトロな雰囲気が残る道をぶらぶら歩いてホテルへ向かう仕組みだ。回遊性を高める仕掛けとして、外に湯小屋を設け、ベーカリーや地元の特産品などを扱うショップと、古民家を改装したブックカフェも併設。シードルの醸造所も開業予定だ。温泉街の再生物語にも、訪れたい魅力が秘められている。

ディナーコースの一例。アンダーズ 東京やイヌアを経て、昨年11月に就任したクリストファー・ホートン料理長が腕をふるう。写真は「薪の上のアミューズ」。リンゴのミニおやき、有機古代米の五平餅、野沢菜のプチシュー。

メインの「薪火グリル(安曇野放牧豚)」。新潟県村上産の海水からつくる塩を添えて。

野沢菜のキッシュや白菜のグラタンなど、信州や信濃川流域で採れた野菜たっぷりで滋味深い朝食。サラダのトッピングのカシューナッツは薪でローストし、香ばしい味わい。パンは敷地内のベーカリーで焼き上げたもの。

外来利用も可能なカフェ「おやきとコーヒー」は、ホテルレセプションを兼ねる。宿泊者専用の駐車場を併設し、松本駅からタクシーで向かう場合もこちらへ。

共同浴場の一部をリノベーションし、2階はかつて芸者の置屋だった。宿泊者にはおやきとコーヒーを提供。

江戸時代にあった湯小屋を敷地内に再現した「小柳之湯」。宿泊者専用で、自由に利用できる。客室から風呂桶とタオルを抱えて湯に向かうのも温泉場ならではの楽しみだ。

ゆったりと浸かれる露天風呂を備え、北アルプスに沈む夕日や、刻々と変わる空の色を望みながらの湯あみは至福のひと時。

パノラミックな眺めが楽しめる、最上階角部屋のグランドスイート。

2階のコーナースイート。解体時にむき出しになった鉄筋コンクリートの躯体をそのまま再利用した壁と、障子越しに差し込むやわらかな光とのコントラストが、不思議な趣を感じさせる。

テラス付きの露天風呂からは、庭の緑と隣接の蔵を眺められる。

※Pen2021年2/15号「物語のあるホテルへ。」特集よりPen編集部が再編集した記事です。

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、掲載している内容から変更になる場合があります。

松本十帖

長野県松本市浅間温泉3-15-17 
TEL:0570-001-810
松本本箱:全24室、小柳:全14室 
松本本箱:スタンダードツイン¥45,000(税・サービス料込、夕・朝食付) ~、コーナースイート¥76,000(税・サービス料込、夕・朝食付) ~、グランドスイート¥118,000(税・サービス料込、夕・朝食付) ~
小柳:ガーデンツイン¥48,000(税・サービス料込、夕・朝食付) ~
アクセス:JR松本駅からクルマで約20分
https://matsumotojujo.com