「コロナ時代の哲学」と題した、自身の主宰する思想誌『THINKING「O」』第16号を昨年上梓するなど、現代のさまざまな問題に正面から対峙している社会学者が、大澤真幸だ。
「コロナ禍で、原理的に問い直すべき問題が見えてきている。学問的なジャンル分けにおける“哲学”ではなく、あらゆる学問のベースにある哲学を問い直す視点で3冊を挙げました」
まず佐々木実著『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』。宇沢弘文は、1950年代半ば、アメリカ経済学界の最重要人物で後にノーベル経済学賞を受賞するケネス・アローに論文を認められ、渡米。スタンフォード大学、シカゴ大学などで教鞭を執る。
「宇沢は間違いなくノーベル経済学賞に近い位置にいた人。しかし60年代末に突如帰国する。ある意味、経済学から離れ、それを超えようとした。なぜそうなったのかが、この評伝の問いかけになっています。宇沢は『社会的共通資本』という概念を生み出し、市場経済では測れない人類共有のものをベースにしてモノを考え始め、経済学の限界を悟る。いま、コロナによって、僕らが乗っていた経済という船が沈みかけていたことがはっきりした。元の経済には戻れず、別の経済を考える必要がある。世界中でワクチン開発も始まっていますが、製薬会社の利益を優先せず、すべての人々にワクチンが行き渡らなければ感染の脅威は消えない。社会的共通資本という概念を生んだ宇沢の人生をたどることが、今後の世界を考えるきっかけになるでしょう」
『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』の著者のデヴィッド・グレーバーは、人類学者にして、無政府主義的な活動でも注目された人物。負債という観点から経済史の全体を書いた『負債論』は、大澤いわく「21世紀以降の社会科学系で最も重要な一冊」。しかし昨年、突然の訃報が世界を驚かせた。享年59。
「ブルシット・ジョブとは、俗語で“クソどうでもいい仕事”。中産階級で比較的収入もある、IT、コンサルタント、金融などに携わる人たちの中で、自分の仕事は無意味なのでは、と思っている人が多いことにグレーバーは気づいた。英国では就労者の37%、オランダでは40%が、そう感じているという調査結果もある。これはとんでもない数字です。企業の損失という以上に、精神的搾取であり、社会的拷問のようなシステムではないかと。コロナ禍で倒産や失業者が増える一方、なぜGDPは25%しか下がらないのかと思っている人も多い。仕事とはなにか、なんのために働くのか、どこに社会の間違いがあるのかを問い直します」
大澤はイタリアの政治哲学者ジョルジョ・アガンベンが、イタリア政府のコロナ対応を厳しく批判したことに注目する。近代以前、政治権力は権力者が望まないことを行った者を罰する際に発動された。しかし現在は一変する。
「近代以降“生かす権力”が発動されるようになった。国民を生かすことが優先される政治の目標になり、他のことは放棄してもいいと。今回のコロナ対策では、経済活動は制限され、葬儀や埋葬という死者の権利まで否定された。アガンベンは、これは近代政治の“生かす権力”の露骨な発動だと主張します。自分たちの集団が生き延びることを目標とすると、他を犠牲にして、人間は分断されていく。コロナの問題はひとつの国だけでは解決できず、地球レベルでの連帯が必要なのに、生きることが目標の政治は連帯に向かないと、彼は指摘するのです」
この状況下で、大澤の大学時代の恩師、社会学者の見田宗介が真木悠介のペンネームで書いた『自我の起源』は示唆に富む。人間の自我を、動物学的視点を導入し捉えようとした一冊だ。
「90年代に書かれたものですが、自分の学者人生にとっても重要な本です。動物は基本的に生存競争しており、人間も動物としての本性に立ち返れば、利己主義は宿命かもしれない。しかし自我や利己主義は、動物としての人間をある程度否定した時に生まれるとも言える。人間の動物としてのベースには、むしろそれらを乗り越えるポテンシャルがあるということが、自然科学的な研究成果も動員しながら、説得力をもって示されます。政治も含む、すべての世界観のベースを考えるには格好の本ではないかと思います」
いまこそ世界の再構築を促す、思索の森に踏み込む時だ。
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※Pen2020年11/1号「心に響く本」特集よりPen編集部が再編集した記事です。