近年、欧米を中心にポスト・クラシカルと呼ばれる音楽が注目を集めている。ひと言でいえば、西洋のクラシック音楽をベースに、エレクトロニカをはじめ現代のさまざまな要素を重層化した音楽だ。このムーブメントの中心的存在であるピアニストで作曲家のマックス・リヒターが新作アルバム『ヴォイシズ』を発表した。それは1948年に国連総会で採択された「世界人権宣言」(※)にインスパイアされた作品だ。
リヒターは66年ドイツ・ハーメルン生まれ。イギリスで育ち、エディンバラ大学と英国王立音楽院でピアノと作曲を学んだ後、イタリアの現代音楽の巨匠ルチアーノ・べリオに師事。2002年にオーケストラとエレクトロニクスのための『メモリーハウス』でソロ・アルバム・デビュー。それ以後は破竹の勢いで話題作を制作している。
代表作は、たとえばアメリカを中心とする多国籍軍によるイラク侵攻に反対した『ブルー・ノートブック』(2004年)、村上春樹の小説にインスパイアされた『ソングズ・フロム・ビフォー』(2006年)、ロンドン地下鉄テロの犠牲者を追悼した『インフラ』(2010年)、ヴィヴァルディ『四季』全曲をリコンポーズドして英米独のiTunesクラシックチャート第1位を獲得した『25%のヴィヴァルディ』(2012年)、リスナーが睡眠中に聴くことを前提としてつくられた8時間の大作『スリープ』(2015年)など……。常に斬新なアプローチと感覚で、クラシックとエレクトロニカを融合した作品を発表している。また数多くの映画音楽も作曲している。
スタジオ・アルバム9作目となる新作『ヴォイシズ』は、リヒターが1948年に国連総会で採択された世界人権宣言にインスピレーションを得て構想10年以上をかけた労作である。1曲目の「オール・ヒューマン・ビーイングズ」から「マーシー」まで10曲で構成されたアルバムについて、「考える場としての音楽というアイデアに惹かれた」とリヒターは言う。楽曲の中では、「世界人権宣言」を起草したエレノア・ルーズベルトが「宣言」の前文を読む声、クラウドソーシングで世界中から集まった人たちが「宣言」の条項をそれぞれの言語で読む声、コントラバスやチェロの重低音が静かに響くオーケストラ、コラール、バイオリンの音がレイヤーのように折り重なっていく。それはドキュメンタリーを思わせる実験的作品であると同時に、聴く者の心にかつてない角度から訴えかけてくる、悲しいほど美しい旋律をもつ曲である。また「オール・ヒューマン・ビーイングズ」と「マーシー」には英国アカデミー賞受賞の映像作家であるユリア・マーが監督したMVがあり、リヒターの音楽を感動的なまでに映像化している。まずは一度、聴いてみてほしい。
※世界人権宣言 第1条
「すべての人間は、生まれながらに自由な存在であり、尊厳と権利において平等である。人間は理性と良心を授かっており、相互に兄弟の精神をもって行動すべきである。」(「世界人権宣言」英文より訳出)
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