今年の直木賞に輝いた川越宗一の小説『熱源』や、コミック『ゴールデンカムイ』は、蹂躙された民族の歴史と文化を掘り起こし、その時代に生きた人間が自らのアイデンティティと格闘する姿を描いて人気を博している。また北海道白老町に国立アイヌ民族博物館をはじめとした文化施設「ウポポイ」がオープン、自然と共生するアイヌ文化への関心も高まっている。
そんななか、阿寒湖のアイヌコタンに生きる14歳の少年の自我の目覚めを描いた映画『アイヌモシㇼ』が公開される。アイヌは「人間」、モシㇼは「国」の意である。父を亡くし、阿寒を離れたいと願う少年カントの成長とともに描かれるのは、大きな注目を浴びるなかでいまを生きる、現代アイヌの人々の暮らしと葛藤だ。監督は、『リベリアの白い血』(2015年製作、2017年日本公開)で衝撃のデビューを飾った福永壮志。トライベッカ映画祭国際コンペティション部門・審査員特別賞に輝いた待望の第2作『アイヌモシㇼ』について、福永監督に聞いた。
――『リベリアの白い血』に続く監督第2作で、アイヌについて描こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
福永監督(以下、福永):アイヌについては、『リベリアの白い血』の前から映画にしたい気持ちがありました。ネイティブ・アメリカンから土地を奪い、いまの自分たちがいるという意識が根づいたアメリカに渡ったからこそ、自分のなかでアイヌについてあらためて意識が向いたと思います。ネイティブ・アメリカンの精神世界や考え方に惹かれる一方で、自分は北海道で生まれ育ったというのに先住民アイヌのことを何も知らなくて、恥ずかしいと思ったんです。学校では習う機会がなかったし、アイヌのことに興味があってもちゃんと知ることができなかった。『リベリアの白い血』も『アイヌモシㇼ』も、場所はまったく違うけれど「人間を描く」という気持ちで制作に向かいました。
――表情豊かな瞳をもつカント少年役をはじめ、アイヌの方々をキャスティングしています。
福永:カント役の下倉幹人君とは母親役の下倉絵美さん(実の母親でもある)を通じて、準備に行くたびに会っていました。すごく感受性が豊かで、特別な子だなと思っていたので、少年の話にすると決めてから主人公は彼しかいないと。(亡き父の友人である)デボ役の秋辺デボさんは、彼自身、映画のなかで復活が議論される伝統儀式「イオマンテ」(熊送りの儀式。さまざまな理由で現在は執り行われていない)を本当に復活させたくて、チビと名付けた子グマを飼っていたこともあるそうなんです。
アイヌの役はすべてアイヌの方です。現在のアメリカは、ネイティブ・アメリカンが野蛮な民族として描かれていた西部劇の時代とはまったく違い、たとえばコロンバス・デー(10月第2月曜日)はアメリカ大陸発見を祝う日であると同時に、ネイティブ・アメリカンにとっては虐殺の始まりであり、彼らの尊厳について考える日だという意識が高まっています。映画でネイティブ・アメリカン役を白人が演じることはもはや時代遅れ。今回、アイヌの登場人物はアイヌの方にお願いすると最初から決めていて、実現できてよかった。とはいえコミュニティを立体的に描くために、外の視点も必要でした。リリー・フランキーさんと三浦透子さんのように、役者でない人のなかで自然と演じられる類まれな方々にも登場いただきました。
――自ら経営するアイヌの民芸品店でカントの母親エミが、観光客から「日本語、お上手ですね」と言われ、彼女が微笑みながらさりげなく「一生懸命勉強したんで」とだけ応えるシーンがあります。このエミの曖昧な微笑みには、いままで言葉や文化を奪われてきたアイヌの歴史が凝縮されているようでした。
福永:阿寒のアイヌコタンは観光地なので、彼らは観光客からそういった失礼な言葉を受けることがよくあります。実際に僕がリサーチで行った時も、同じような会話が交わされていました。だからこそこういったシーンを入れたかったんです。エミさんたちがアイヌ語を勉強するシーンがありますが、いまでは日常会話としてのアイヌ語が話せる人はもうほとんどいません。
微笑みに関しては、演じている下倉絵美さんの人柄もあるでしょう。観光客の言葉に毎度落ち込んでいてはやっていけないでしょうし、言っている人に悪意はないのでしょうが、「日本語お上手ですね」は無知や偏見から発せられる言葉ですよね。ひと口にアイヌといっても、地域ごとに違いがあり、人によっても考え方が異なります。イオマンテについても賛成派もいれば反対派もいて、そういったさまざまな考え方や想い、過去と現代、世代間のギャップなどを、イオマンテを通して描きたいと思いました。
――「少年は世界に触れた」という本作のキャッチコピーは、静けさの中にスリルを孕んだ物語と響き合うものですね。
福永:カントは、父親を亡くしてからアイヌの文化や伝統とのつながりが薄くなり、アイヌの行事に消極的です。思春期のモヤモヤを抱え、大人の世界と自分の世界のギャップやルーツとどう向き合っていくのかに戸惑っている。出来るだけ普遍的な人間の姿や本質を描きたいと考えて映画をつくっていますし、誰にでもある身近な成長の物語として、構えずに観てもらいたいですね。
――アイヌコタンに暮らす少年の成長物語をドキュメンタリーなタッチのドラマと、神秘的なイオマンテや、死者の国につながる洞窟というファンタジーの要素が混在していますね。
福永:北海道には「アフンポル」と呼ばれる洞窟があって、その洞窟を通して生者と死者それぞれの世界がつながっているというアイヌの言い伝えがあります。仏教やキリスト教の天国地獄といった上下にある異世界という感覚ではなく、地続きの平行線上にある世界という感覚だと思います。イオマンテの儀式の核となる考え方は、熊の命を取っても、そのなかの神様は死なず、人間たちと楽しい時間を過ごした後に、神の国に送り返されるというものです。独特のアイヌの信仰や精神世界を描く試みをする中で、結果的にファンタジー的な要素も入った表現になりました。
――思春期の通過儀礼、目覚め、成長を映し出す、カント少年の瞳が印象的でした。静寂な引きの風景と寄りの表情。この対比は狙ったものですか。
福永:撮影監督のショーン・プライス・ウィリアムズはニューヨークを中心としたインディーズ映画界で活躍する人物。すごくシャイですが、人と人の顔を撮るのが好きで、人物寄りの絵を魅力的に撮ることで定評があるんです。もともと出演者の皆さんの人としての魅力を出来るだけ自然に引き出したいと思っていたので、アイヌに対して先入観がない人にフラットに撮ってほしいと思いました。
――阿寒から離れたいと望み、カント少年は世界に触れます。福永監督は違う文化に触れたいと、高校卒業後にアメリカに渡りました。ご自身とカントを重ねる部分はありましたか?
福永:僕は自己表現の手段として映画をつくっているわけではありません。作品の題材を選ぶ時、そのことを知りたいという興味があることが大切ですし、その作品をつくることに意義を見出せるかが僕にとって重要なんです。とはいえ脚本は自分の奥にあるものを引っ張り出して書いているので、結果的に自分の思いが重なることはあったと思います。
――福永監督ご自身はアメリカに渡り、どんな世界に触れたのでしょうか。
福永:ものの見方、客観的な視点でしょうか。向こうだと僕は日本人、アジア人というマイノリティですから差別や偏見も受けましたし、貧富や社会的地位の差も顕著に見られた。ニューヨークは、そうした世界の仕組みや厳しい現実を肌で感じる場所です。一方でたとえお金をもっていなくても可能性があることや、必死に前を向くひたむきな逞しさを目の当たりにすることもできる。あの街に長年住んだ経験は確実に作品づくりに影響しています。でも海外暮らしが長くなって気づいたら、自分は日本のことを知らないという危機感を感じるようになりました。去年の夏、東京にベースを移し、いまは東北が舞台の次回作に取り組んでいます。
――その次回作の脚本は、ベルリンの脚本レジデンシー「Nipkow Program」で書かれるご予定だそうですね。
福永:アイヌの話ではフランスの脚本レジデンシーとイスラエルの脚本ラボに行き、次は東北の話でベルリンに行きます。今回の脚本レジデンシーは世界から12人選ばれて、コンサルタントやプロデューサーからアドバイスを受けながら、脚本開発と企画開発を進めていきます。コミュニケーションはすべて英語です。日本でそういった支援プログラムに参加しながら企画を進める人が少ないのは、英語を話す監督が少ないからだと思いますが、これからは増えていくと思います。僕も自分の経験を生かして、次の世代にも企画開発の方法を伝えていきたい。実はVIPOという映像産業振興機構と脚本ラボを立ち上げました。来年の春が第一回で、新人監督3人を選んでニューヨークでラボをやる予定だったんですが、コロナの影響で1年目はオンラインでの実施になりました。
――東北が舞台の映画は、どんな内容ですか。
福永:次回もまた土着的な話で。これまでドキュメンタリータッチの作品を撮ってきましたが、一気に振り切って、今度はフィクションで俳優さんを起用しての時代ものです。時代劇といっても侍とかではなく、村社会を舞台にした、日本独特の自然観や信仰などに焦点を当てた民衆の話になります。順調にいけば、来年の夏に撮影予定です。
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『アイヌモシㇼ』
監督:福永壮志
出演:下倉幹人、秋辺デボ、下倉絵美ほか
2020年 日本・アメリカ・中国映画 1時間24 分
10月17日(土)より渋谷ユーロスペースほかにて公開。
※新型コロナウイルス感染防止のため、公開時期・劇場がしばしば変更されています。足を運ぶ前に確認してください。
http://ainumosir-movie.jp/