日本車のヴィンテージを語るときに欠かせないメーカーといえば「日産自動車」だろう。戦前の「フェートン」からレーシングカー「R91CP」まで7台の「伝説の名車」を紹介する。
「速さ」と「燃費」を両立した、国産のグループCカー
ル・マンで最も長い直線「ユノディエール」。グループCマシン時代は、ここでの最高速が400km/hに届こうかという戦いだった。だが同時に「燃費性能」を争うレースだったことを関係者から聞くとそのギャップに驚く。1982年にFIAのモータースポーツ車両規定が変更され、屋根つきレーシングカーが新たに「グループN・A・B・C」と区分された。グループCは最も自由、かつ最高性能なカテゴリーで、マシンは「スポーツプロトタイプカー」とも呼ばれた。
このレギュレーションは、レースごとに使用できる「燃料の総量」を規制した点が新しい。以前は上限が決められていたエンジン排気量・気筒数・回転数が自由に設定できるため、得意分野を生かして燃費と速さを競うべく数多くの自動車メーカーが参戦。世界的な盛り上がりを見せる人気カテゴリーになった。
「デイトナ24時間」で、 速さを証明したマシン
「F1ではなく、市販車の姿が重なる屋根つきレーシングカーで世界の頂点に立つのが、四輪車メーカーとしての本懐」。そう考えていた日産はグループCへの本格参戦を決め、83年から複数のマシンを開発する。そして84年と85年にはシャシーをマーチに統一し、翌86年には「ニッサンR85V」と「R86V」の2台体制でル・マン24時間レースに初参戦。R85Vは総合16位で完走した。
その後もマシンの開発は進む。89年にはシャシーをローラに切り替え、新開発エンジンを搭載した「R89C」がデビュー。翌年には「R90CP」へと進化し、90年のル・マンでは日本車初のポールポジションと総合5位という好結果を残した。しかし、ここで大きな決断をする。純日産製シャシーにスイッチした「R91CP」をデビューさせるのだ。R91CPは91、92年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権を連覇し、グループCに近い「IMSA -GTP」規定で競われていた伝統のレース、デイトナ24時間に出場。2位に大差をつけ総合優勝する。すべてを自らの手で開発し、かつてない完成度に達したマシンで、日産が登りつめた世界の頂点だった。
ところでR91CPが登場した91年は、ル・マンにおいてマツダ787Bが日本車初の総合優勝を遂げている。前年に5位という結果を残した日産は、R91CPでル・マンに挑むはずだと多くのファンが期待していたが、世界スポーツカー耐久選手権への参戦を休止し、その1戦となるル・マンへも姿を見せなかった。もしR91CPがサルテ・サーキットを駆け抜けていたら…… 日本車同士の激しいトップ争いに胸を熱くしたかったモータースポーツファンは少なくなかったに違いない。
こちらの記事は、Vマガジン Vol.02「世界に誇る名ヴィンテージ こんな日本車を知っているか?」特集からの抜粋です。気になった方、ぜひチェックしてみてください。アマゾンで購入はこちらから。