1969年にスタートした『男はつらいよ』。今年の12月27日に50周年を迎えます。国民的喜劇映画には、ちょっと人に話したくなるような面白いエピソードが満載でした!
トリビア1. 寅さんのトランクの中身は?
『男はつらいよ』の主人公、車寅次郎こと“寅さん”のトランクの中にはなにが入っていたのか?については、誰もが気になるところ。当時の小道具担当者によると、着替え用のダボシャツの上下にステテコ、胃腸薬や目覚まし時計、花札などが入っていたとか。第7作の『~奮闘篇』(1971年)では妹のさくらお手製のふんどしを、第25作『~寅次郎ハイビスカスの花』(80年)ではラジオやタコ社長と御前様からの見舞金を、第29作『~寅次郎あじさいの恋』(82年)では鉢巻にも下駄の鼻緒にもなる手ぬぐいを取り出すシーンが登場します。
トリビア2. 寅さんの甥っ子の満男を演じた俳優は、吉岡秀隆だけではない!!
満男と聞くと吉岡秀隆の顔がすぐに思い浮かびますが、実は彼の前にも満男を演じた俳優が3人もいます。第1作(1969年)にだけ出演した初代は餅菓子の名店「川忠本店」の5代目主人・石川雅一(生後6カ月)、3代目は第9作『~柴又慕情』(72年)に出演した沖田康浩。面白いのは第2作『続 男はつらいよ』(69年)から第8作『~寅次郎恋歌』(71年)、第10作『~寅次郎夢枕』(72年)から第26作『~寅次郎かもめ歌』(80年)で満男を演じた中村はやとで、彼は“泣かない赤ん坊”という理由で近所の電気屋から連れられてきた一般人でした。
トリビア3. ファッションアドバイザーとして、ピーコも参加していた。
長い歴史を誇るシリーズだけに、思いがけない人が関わっている作品も。第47作『~拝啓車寅次郎様』(1994年)のタイトルロールを注意深く見ると、ファッションアドバイザーとしてあのピーコの名前が!どんなアドバイスをしたのかとても気になります。
トリビア4. 妹のさくらには、別の兄がいた!
寅さんとさくらは実は異母兄弟で、寅さんの上に、さくらと同じ母をもつ長男の竜一郎がいました。ところが、釣りに出かけた際に事故に遭い、帰らぬ人に。寅さんは団子屋の5代目主人・平造と柴又の芸者・お菊(ミヤコ蝶々)との間にできた子。お菊は、第2作『続 男はつらいよ』(1969年)と第7作『~奮闘篇』(71年)に登場しています。
トリビア5. えっ、寅さんの冒頭の口上が変わってる!?
「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」。映画の冒頭で流れる有名な寅さんの口上ですが、第32作『~口笛を吹く寅次郎』(1983年)では「大道三間 軒下三寸借り受けましての渡世、わたくし、野中の一本杉でござんす」に変わっています。なぜ、変わってしまったのか? どんな心境の変化だったのか? 寅さんに街でバッタリ会ったら、一度聞いてみたいものです。
トリビア6. 寅さんは、一度死んでいる。
『男はつらいよ』はもともと1968年に始まった全26話の連続TVドラマで、その最終回は衝撃的な内容でした。寅さんは当時高額で売れたハブを捕るために奄美大島に渡り、ハブに左腕を噛まれてしまいます。しかも、種違いの弟・雄二郎(佐藤蛾次郎)が迅速に腕を切れなくて即死。ところが、その結末を観た視聴者から「なぜ殺した?」という文句の電話が殺到し、それが映画化につながりました。
ファンならずとも思わずホロリ、寅さん最後のセリフとは?
トリビア7. 8月27日は、寅さんの日。
ドラマ版の反響を受けて、山田洋次監督と主演の渥美清は、今度は映画で『男はつらいよ』を復活させることを思いつきます。その第1作が公開されたのが1969年8月27日。いまでは関係者やファンの間で8月27日は「寅さんの日」と呼ばれています。
トリビア8. 最多登場のマドンナは浅丘ルリ子。
今度のマドンナ役は誰?と毎回楽しみにしていた人も多い寅さんの恋のお相手。最多登場は第11作『~寅次郎忘れな草』(1973年)、第15作『~寅次郎相合い傘』(75年)、第25作『~寅次郎ハイビスカスの花』(80年)、最後の第48作『~寅次郎紅の花』(95年)まで同じリリー役で4度登場した浅丘ルリ子。2位は3度出演の竹下景子ですが、竹下はすべて違う役。浅丘が演じたリリーと寅さんの恋の行方も気になるところでした。
トリビア9. 名監督の娘が、タコ社長にこき使われていた!?
さくらの夫・博も働いていた、団子屋の裏のタコ社長(太宰久雄)が営む「朝日印刷」。寅さんが庭に出て「労働者諸君!」と言っていたのも記憶に新しいが、従業員のひとり、ゆかりちゃん役で、第31作『~旅と女と寅次郎』(1983年)から4作品に、『血煙高田の馬場』(37年)などで知られる名匠・マキノ正博(雅弘)監督の娘、マキノ佐代子が出演していました。
トリビア10. 寅さんが宇宙人になったり、宇宙大怪獣ギララとバトル!?
寅さんが見る夢のシーンはシリーズ初期からあったが、ある期間、その時々のトピックスを織り交ぜながら、生き別れの妹・さくらとの再会を描く冒頭の夢のシーンが定番の見どころ「寅さんの夢オチ」に。『ジョーズ』(1975年)が話題になった頃の第17作『~寅次郎夕焼け小焼け』(76年)では寅さんが人喰鮫と闘う老船長に扮し、第21作『~寅次郎わが道をゆく』(78年)では同年に日本公開された『未知との遭遇』(77年)のパロディに挑戦。さらに第34作『~寅次郎真実一路』(84年)では、寅さんが宇宙大怪獣ギララと対峙。夢のシーンだけを観直してみたくなります。
トリビア11. 主題歌の歌詞は、ずっと同じじゃない!
『男はつらいよ』の主題歌にはさまざまな歌詞があり、第1作の「俺がいたんじゃお嫁にゃ行けぬ♪」の出だしも、さくらの結婚に伴い、第2作以降は「どうせ俺らはヤクザな兄貴♪」に急遽変更されることに。ところが、監督が山田洋次から森㟢東に代わった第3作『~フーテンの寅』(1970年)では連絡が行き届いていなかったようで、第1作の1番と2番「どぶに落ちても根のある奴は、いつかは蓮の花と咲く♪」の歌詞を使用。他にも「どおせ俺らは底抜けバケツ、わかあっちゃいるんだ妹よ♪」「あてもないのにあるよな素振り、それじゃあ行くぜと風の中♪」といった、あまり聞くことのない歌詞もあるとか。DVDなどで観直す時は、主題歌も聴き比べてみてください。
トリビア12. 寅さんの最後のセリフとは?
シリーズ48作目となる『~寅次郎紅の花』(1995年)。舞台がドラマ版の最終回と同じ奄美大島になった本作のラスト、阪神淡路大震災の被災地へと旅立つ際の「みなさま、本当にご苦労様でした」という言葉が、寅さんの、俳優・渥美清の最後の言葉になりました。
こちらの記事は、2019年Pen 6/1号「日本映画を語れ。」特集からの抜粋です。