『銀幕の松之丞』と聴いて、とうとう映画界も神田松之丞に手を伸ばしたのか。すごい、なんの役だろう、殺し屋かな、いや救命医師もいいな、意外とシングルファーザーとか、『クレイマー、クレイマー』みたいな、フレンチトースト焼いてほしいな……などと考えていたら全然違いました。
こちらはTBS ラジオ最大の狂気『問わず語りの松之丞』Presents。多彩なゲストをお招きし、トークありもちろん講談ありのイベント。なんとそれを全国の映画館でライブ中継するという(夜の部のみ)、前代未聞のスペシャル企画。だってライブビューイングといえば、ももいろクローバーZ さんをはじめとする超スーパースターが、当日会場に来られないお客さんのために迫力の大画面とハイクオリティな音響でライブを遠隔体験してもらうというもの。講談界史上、そして演芸界史上初の試みに「すごい、松之丞さんこんなに立派になられて……」と勝手に感慨に浸るゴリゴリの新規ファン。
平日の昼間だというのに、有楽町朝日ホールのロビーは人で溢れかえっていました。その中心にはもちろんご本人、神田松之丞がいて、出番のギリギリまでサイ ンをしている。各種メディアで取り上げられ、時代の寵児と言われ、チケットは 全く取れない。私だったら楽屋でマライア・キャリーのように寝そべりながら常温のエビアンがない!!と駄々のひとつでもこねてることでしょう、それなのに……。開演時間が迫っても、サインの列は増えていく一方でした。お客さんは、一列に並ぶことが難しいスペースで、自然に順番待ちの秩序を作り上げていて、思わずため息が漏れました。歴史の重みって、こういうところに出るんだなって。
「大人の本音が聞ける場所」なのだそうです、神田松之丞にとってのラジオとは。オープニングに流れたそのアナウンスを自らが証明するような、昼公演。テーマは〈放送禁止の会〉。安心してナックルボールを投げ込む松之丞と、無軌道なボールをひょいと受ける立川談笑。テンポと笑い、鋭い人間観察力。お二人の弟子育成の話で熱くなった心に、突如忍び寄る怒涛の「人間やめますか」、『シャブ浜』。才能が渋滞、どころかお盆の東名大和トンネルくらいひしめきあってる坂本頼光 の『サザザさん』。私もう、純な気持ちで日曜18時半を迎えられません。
そして……これだけのブラック、いや漆黒の演目の後に登場した神田松之丞は、今度は朝日ホールを真っ赤な炎に包み込みました。欲と念と悪と業がぐるぐると渦を巻きながら燃える『鉄誠道人』。ラジオは大人の本音が聞ける場所。そして講談は、ずっと昔から変わらない、人間の本音のおぞましさやあさましさ、おかしさ、せつなさが聞ける場所なのだとあらためて思いました。終わってからしばらくある、身体から魂が抜けたような感覚、あれはなんなのでしょうか。
私の魂がようやく戻ってきた頃、今度は全国の映画館で同時配信される「夜の部」が始まりました。おかえり魂。おかえりエンターテイメント。ナイツと松之丞の大人げない言い争いに、再び魂は息を吹き返しました。ヒールに徹しようと奮闘するもいい人を隠しきれないナイツ土屋と、「『講談入門』読みました」で急所を突こうとするナイツ塙、「常温のエビアンがない」という駄々はこねないのに「出産祝いをくれ」という駄々はこねる松之丞。よっ! 大人げない大人!
そのまま大人げない大人でいてくれてもいいのに、夜の部の締めに松之丞が選んだ演目は『神崎の詫び証文』だったのです。さっきまで出産祝いで悪態をついて いた大人は何処へやら。酒を飲み悪態をついて無理やり取った詫び証文、そこにある本当の意味を知った時の丑五郎の狼狽と、改心。芸で伏線を回収し、この破天荒すぎる昼夜公演のカタルシスを我々に与えて、何事もないように去っていく松之丞。やっぱりまた、魂はどこかに行ってしまったのでした。
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