現代の日本を代表する写真家である森山大道が、新作の写真集『K』(月曜社)を発表しました。それは百数十点のモノクローム写真で構成された古典的美しさをもつ写真集であり、同時に森山の新しいステージを予感させるような、挑発と鋭い剣先を秘めた写真集と言えるでしょう。森山が撮影したものは、東京という巨大な都市の中にある無名性の空間であり、路地の片隅、誰もがその存在に気づかない都市の破片、まさに世界のフラグメントのような光景です。そこでは過剰なノイズは聞こえない。むしろ、抑制されたソリッドな電子音が響いているのみです。写真集の題名の『K』とは、「景」のことにほかなりません。
独断と偏見で言わせていただければ、『K』という写真集は、2年前に出版された森山の写真集『犬と網タイツ』の続編の一冊であり、また発展形とも言えるものです。今回の『K』も『犬と網タイツ』も、いわゆる「見開き裁ち落とし」という森山大道的な写真のスタイルではなく、四方に余白があり、風景全体が見渡せる構成。人類史上、初めて写真を写したと言われるニセフォール・ニエプスを想起させるような、明快でパースぺクティブな写真で構成されたものです。
それは時に、東京都写真美術館で2018年1月28日(日)まで展覧会が開催されている、ウジェーヌ・アジェが撮ったパリの写真を思い出させるかも知れません。もちろん、森山はアジェのような大型カメラではなく、小型のデジタルカメラをジーンズのポケットに忍ばせて、まるでスリの名人のように現在の風景をかすめ撮っていきます。アジェが19世紀末から20世紀初頭のパリを撮ったのなら、森山は20世紀半ばから撮り続け、21世紀初頭の東京から、無限の多様性を見せる世界に向かってシャッターを切っていきます。彼は、自分の身体の中にいるという、えたいの知れない「三匹のいきもの」、犬と猫と虫に命令されてシャッターを押すのだと言います。猥雑な、半端な存在を本能的に撮り、微妙に角度を変えて撮影するのです。そして、「もうひとつの国」を写しだすのです。
写真都市の建設は、終わりのない旅となる。
森山は『犬と網タイツ』のあとがきに次のように書いています。
「たとえばこの一年半、東京を香港を台北を、アルルをヒューストンをロスアンゼルスを、次々と脈絡もなく通り過ぎてきて、さして関連を持たないそれぞれの都市の路上を撮るにつれ、ふと、気持ちのなかに思い当たってくることがあった。それは、ぼくはカメラによって、ひとつの写真都市を、一枚の写真地図を、時をかけて造りつづけてきたのではなかったかという、きわめて素朴な感情であった。ほぼ半世紀あまりに渡って、さまざまな現実世界のディテールを写しつづけることで、ぼくはぼくにとっての仮想都市を、自らの体質と欲望と想像にそって、造ろうとしてきたのではないかと。そして、その都市とは、決して佳い匂いの漂う美しき夢の都市などではなく、雑然と人々と事物とが交差し氾濫する俗世界である。つまり、そんな都市を見たくて、造りたくて、ぼくは紆余曲折の凸凹道をカメラと共に歩きつづけてきたのだろう」
こう語る森山大道の写真都市の建設は、終わりのない旅となるに違いありません。しかし、彼はそれを承知の上で紆余曲折の多い旅を続けています。森山はひとりのカメラマンとして、まさに「シーシュポスの神話」を生きているのです。
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