自動車の免許をもっていない人間は、いくつになっても、車を運転する人を「大人だ……」と見上げるような気分になることが多いように思います。実際、免許をもっていない自分は田舎の実家に帰るとどこに行くにも親や友人頼みで、どうにもコドモ気分が抜けないような…。免許を取る理由を問われた『森山中教習所』の主人公が「車に乗ったら、どこにでも行けるから」と答える場面には、妙に納得させられました。車に乗っていつでも自由に、遠いところに行ける。それが免許をもたぬ者にとっての、大人のイメージなのです。
ちゃらんぽらんなところのある大学生の清高(野村周平)と、口数の少ないヤクザの組員、轟木(賀来賢人)。ことさら仲がよかったわけではない高校の同級生ふたりがある日、交通事故をきっかけに再会します。そしてひょんなことから一緒に通うことになったのが、山のなかの廃校を利用した非公認の自動車教習所。家族経営であらゆるものが手づくりなうえにグラウンドが練習コース、不法滞在の外国人たちも通うあやしい教習所です。
清高はシングルマザーの教官にほのかな恋心を抱き、轟木は人との壁がない清高のペースにいつの間にやら引き込まれ、何だかんだと真面目に教習所に通う日々。恋人をふったばかりの能天気な大学生と、組長に目をかけられているやくざの青年というまったく違う人生を歩いているふたりの道が、ほんのひとときだけ交差する夏。自転車のふたり乗り、水風船のぶつけあいっこ、焼肉パーティに昆虫取り、こんな思わず嫉妬してしまうような無邪気な時間をいくつも並べながら、映画はやがてふたりが抱えるものを描き出していきます。
免許は清高にとって、両親とままならない暮らしを送る退屈な町から旅立つためのもの。けれども轟木にとっては、親分の運転手を務めるヤクザとしての生き方に縛りつけるもの。教習所の卒業は、ふたりの別れの到来を意味しています。進む方角は違っても、たしかに同じ場所で過ごした一瞬が、彼らの心のなかで永遠になっていく。のどかで淡々としたおかしみが漂う作品だけに、ラストシーンの交差のほろ苦さがじわりと胸に染みてきました。原作は若き漫画家、真造圭伍の同名コミック。原作がもつ“余白”は映画にも引き継がれ、ふたりの夏の記憶を共有したような余韻が残る青春映画です。(細谷美香)
©2016真造圭伍・小学館/「森山中教習所」製作委員会
『森山中教習所』
監督/豊島圭介
出演/野村周平、賀来賢人、岸井ゆきの、ダンカン、根岸季衣、麻生久美子、光石研ほか
2016年 日本 1時間43分
配給/ファントム・フィルム
7月9日より新宿バルト9ほかにて公開。
http://moriyama-movie.com