松任谷由美のコンサートでも着た、トム ブラウンのスーツ【加藤和彦編】
文:小暮昌弘(LOST & FOUND) 写真:宇田川 淳 スタイリング:井藤成一加藤和彦が京都・伏見で生まれたのは1947年。母親は京都の人で、父親も京都に近い敦賀出身だったが、老舗会社のビジネスマンだったので転勤も多かった。子どものころに移り住んだのは鎌倉。『加藤和彦 ラスト・メッセージ』(文藝春秋)では、「米軍基地が近いこともあって、太陽族がウロウロしていたし、僕はアメリカンなお兄さんに遊んでもらって、母親はコンバースとか、食べ物ではスキッピーのピーナッツバターとか、そういうものを僕に買ってきた」と語る。ロールアップしたリーバイスにウエスタンシャツ、首元にはバンダナを巻いていたとも書かれている。高校生になるころにはファッションにも目覚め、雑誌『メンズクラブ』を読み、当時流行っていたVANのジャケットを買うためにアルバイトまでした。
同書には「僕自身の興味に、逗子と鎌倉の経験からきているアメリカンな感覚があるから、アイビー・ファッションはすんなりと受け入れた。(中略)僕は音楽よりもファッションに興味が持ったのが先で、その付録としてアメリカン・フォークが僕のなかに入ってきてしまった」とある。『優雅の条件』(ワニブックス)には「ぼくなど生まれてこのかた300ぐらいはジーンズをはいた。だから一番好きなヤツははっきり言えます」と断言する。戦後に生まれたほかの人たちと同じように、幼少から学生時代に触れたアメリカ文化が加藤本人のセンスの血となり肉となったことが伺える。
同じアメリカでも、2000年代に入って加藤が特に惹かれたのがトム ブラウンだ。アイビーやアメリカントラッドをモダンに、そしてアバンギャルドに昇華させたブランドで、加藤がファッションの薫陶を受けた50年代〜60年代のスタイルをも彷彿とさせるブランド。加藤はトム・ブラウンがニューヨークの新進デザイナーとしてデビューしたころから注目していたという。『加藤和彦 ラスト・メッセージ』には晩年の2009年、松任谷由美のコンサートにゲスト出演を果たした際、トム ブラウンのスーツをステージ衣装にしていたと書かれている。この本の筆者、松木直也は「裾を短くするなど相変わらず品のいい、前衛的な加藤さんだった」と書いている。流行に敏感で、どんな国やテイストのファッションを取り入れても、あくまで自分流に着こなせる。これが粋人、加藤和彦であった。
問い合わせ先/トムブラウン青山 TEL:03-5774-4668
https://www.thombrowne.com/jp