714本のホームランを放った、ルイスビルスラッガーのバット【ベーブ・ルース編】
文:小暮昌弘(LOST & FOUND) 写真:宇田川 淳 スタイリング:井藤成一野球ファンならずともその名前を知るベーブ・ルース。まさしく“野球の神様”だ。大リーグが誕生して間もない1895年に、メリーランド州ボルチモアで生まれたルース。本名はジョージ・ハーマン・ルースで、ベーブ(=赤ん坊)は1914年に入ったボルチモア・オリオールズで付けられたニックネームだ。半年後、球団経営の行き詰まりでルースはボストン・レッドソックスにトレードされる。すぐに投手と打者の二刀流で活躍、18年には投手で13勝、打者でホームラン11本。これは現在もメジャー唯一の「10勝10本塁打」の記録だ。翌年にはホームランを29本と伸ばし大リーグ記録を更新した。そんなルースに注目したのが当時、弱小球団だったヤンキース。球界最高額の2倍に当たる10万ドルを払って、ルースを買い取った。投げることよりも打撃力を求めたヤンキースのために、ルースは外野手に転向。ホームランを量産するルースとともに、ヤンキースは23年に初めて世界一の座を射止めた。26年から31年までは6年連続のホームラン王、32年のワールドシリーズでは予告ホームランを放ち、ベーブ・ルースの名前はホームランの代名詞となった。22年間の現役生活で獲得したタイトルは、ホームラン王12回、打点王6回、首位打者1回。通算本塁打714本は、74年にハンク・アーロンに抜かれるまで39年間も破られなかった大記録だ。今回はそんな“野球の神様”に愛された名品を集めてみた。
2019年、ベース・ルース愛用のバットがオークションをかけられ、100万ドル(約1億1000万円)で落札された。それは1929年8月11日のインディアンス戦で、史上初の通算500本塁打を記録したときのバットだった。実は23年にヤンキー・スタジアムが開場した試合でルースが第一号ホームランを打った時のバットも、2004年に126万5000ドル(約1億3750万円)で落札されたという記録も残されている。そこまで払っても手に入れる価値があるのがルースのバットなのだろう。
ルースが愛用していたバットは、1884年創業のルイスビルスラッガーの「125」というモデル。最近ではあまり使われなくなったヒッコリー製で、長さは35.5インチ(90.17cm)と長尺で、重さは38.5オンス(1090g)と現在ではトレーニングで使用するマスコットバットに相当する重さだった。
『ベーブ・ルース』(鈴木惣太郎、氏田秀男著 弘文出版)によれば、1921年、シーズン59本のホームラン記録をつくったとき使っていたのは彼が「ブラック・ベッシー」と名付けたバット。しかし翌年の初め、試合中にこのベッシーが折れてしまう。それで次にルースが手に入れたバットには「ビッグ・パーサー」と名前を付けた。その次が「ビューティフル・ベラ」。27年、60本のホームランを打ち自身の59本という記録を破っているが、このときにはシーズンを通してルースはパーサーとベラを愛用したとその本に書かれている。
ルイスビルスラッガーは、アメリカのケンタッキー州ルイビルで創業された老舗野球用品メーカーだ。創業者J・フレドリック・ヒラリックは、ドイツからボルチモアに移住してきた人物たが、後に彼はルイビルに移り住み、そこで木工業をスタートさせた。彼の息子パドがバットを製作するようになり、1884年に初めて大リーガーにバットを提供するようになる。やがてルースをはじめ、タイ・カップ、ルー・ゲーリック、テッド・ウィリアムズなどの多くのスター選手に愛用されるまでになった。アメリカ野球殿堂入りしている野手の80%が同社のバットを使用、いまでもメジャーリーグでは6割の選手が同社のバットを愛用している。
1948年6月13日、ルースはヤンキースタジアム完成25周年セレモニーに招かれる。これが彼の最後のユニフォーム姿で、バットを杖代わりにして現れたという。そして8月16日、ルースは天国に召された。53歳という若さだった。
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