才気あふれる監督のデビュー作にして遺作、『象は静かに座っている』の“静かな凄み”に引き込まれる。

  • 文:細谷美香
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文:細谷美香

Profile : 映画ライター。コメディや青春映画から日々の生きるエネルギーをもらっている。クセが強くて愛嬌がある俳優に惹かれる傾向あり。偏愛する俳優はニコラス・ケイジです。

才気あふれる監督のデビュー作にして遺作、『象は静かに座っている』の“静かな凄み”に引き込まれる。

『象は静かに座っている』は作家でもあったフー・ボーが自身の短編を映画化した作品。© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

上映時間3時間54分。思わず尻込みしてしまう長さですが、ラストシーンを見届ける頃には、監督にとってこの尺がどうしても必要だったのだと納得させられる作品『象は静かに座っている』。この中国映画を撮ったのは、作家としての顔も持っていたフー・ボー。“持っていた”と過去形なのは、彼がこの映画を撮ったあと、29歳という若さで自死の道を選んだからです。

本作は、寂れた中国の田舎町を舞台に、年齢も境遇の異なる4人の登場人物が交錯する一日の物語です。いじめられている友達をかばうために不良少年を階段から突き落とした、主人公のブー。親友の妻を寝取って親友を自死に追い込んでしまった、不良少年の兄・チェン。母親との確執を抱え、教師と関係を持っている、ブーの同級生・リン。ブーと同じマンションに住む、娘夫婦に見放されている老人・ジン。同じ場所で足踏みしている4人は、なぜか一日中ただずっと座っているという象の話に心惹かれ、遠く離れた満州里の動物園を目指して歩き始めますが――。

ハンガリーの鬼才、タル・ベーラに師事したフー・ボー監督は自然光にこだわり、粘り強い長回しで切り取った生々しい映像を、容赦なく差し出してきます。ときにモノクロにも感じられるような映像の光と影には、彼らが生きる世界へと観る者を引き込む力が潜んでいるかのよう。表情を抑えた役者たちの存在感も、いまも世界の片隅でどうにか息をしている人たちのリアルな鼓動を伝えてくれます。

人と人とのつながりが無残に断たれ、誰も信じることができない現代社会。さまよい歩く者たちにとってのユートピアは、世界のどこにもないのかもしれません。フー・ボー監督は、そうした人たちを見捨てないたったひとつの方法は「カメラを通して彼らを見つめることなのだ」と、信じていたのでしょう。市井の人たちのある一日の物語を神話に昇華させた監督の才能が、すでに失われているという事実が、この映画に静かな凄みをもたらしています。

ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞をはじめ国際映画祭で数々の賞を受賞。© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

ダルデンヌやホウ・シャオシェンなど巨匠たちからも賞賛の声が。© Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen


『象は静かに座っている』

監督/フー・ボー
出演/チャン・ユー、ポン・ユーチャン、ワン・ユーウェン、リー・ツォンシーほか
20年 映画 3時間54分 
シアター・イメージフォーラムほかにて公開中。
www.bitters.co.jp/elephant