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死後ののぞき見か プリンスの「新譜」でパープル・レイン再降臨
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プリンスの歌声は今も私たちの心を揺さぶる。photo: MICHAEL OCHS ARCHIVES/GETTY IMAGES
<プリンス死後初の「新アルバム」は未発表音源集。完璧主義者で知られたアーティストは何を思う>
「照明を落としてくれる?」
24歳のプリンスはエンジニアに声を掛け、自宅スタジオのピアノの前に座った。
後に代表作となる3曲の初期のバージョンのほか、カバーが2曲、未発表の3曲。34分間の弾き語りは、やがて始まる黄金時代の前奏だ。
録音されたのは1983年。既に『ダーティ・マインド』『戦慄の貴公子』『1999』とヒットを連発してスターになっていたが、プリンスは何事にも全力投球だった。
「目の前で誰も聴いていなくても、多くのアーティストがアリーナに向かって歌うときと同じように私たちの感情を揺さぶる」と、プリンスの音源アーカイブを管理するマイケル・ハウは語る。
エモーショナルな弾き語りは35年の時を経て、今年9月に未発表音源集『ピアノ&ア・マイクロフォン1983』としてリリースされた。プリンスが2016年4月に急死して以来、初めて発表されたアルバムとなる。
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最新アルバムのジャケット
録音されたカセットテープ(TDK・SA60)は、ミネソタ州チャンハッセンの自宅兼スタジオ「ペイズリーパーク」の広大な倉庫に眠っていた。ハウによると、ほかにも未発表の音源が「文字どおり数千本のカセット」に収められている。
録音の詳しい時期は分からない。「1999ツアー」の合間の1月か、あるいは初主演映画『パープル・レイン』の撮影が始まる直前の10月だろうか。
『ピアノ』は、秘密主義で知られたプリンスの創作の過程が垣間見える生々しい記録でもある。専属のレコーディング・エンジニアだったドン・バッツに指示する声。ピアノを演奏しながら床を踏む音。1987年に発表された「ストレンジ・リレーションシップ」の初期のバージョン。
翌84年に発表されるあの名曲は、わずか1分半の演奏が私たちをじらす。「公表されている『パープル・レイン』の音源で、これより昔のものは聞いたことがない」と、ハウは言う。一方で、84年に「ビートに抱かれて」のシングルB面に収録された「17デイズ」は、アレンジもほぼ完成されている。
ジョニ・ミッチェルをカバーした「ア・ケイス・オブ・ユー」は、最後となった2016年のツアーを含め繰り返し披露した曲。プリンスの元恋人でバックコーラスを務めたジル・ジョーンズは、彼が「物悲しい曇りの日にミネアポリスで延々と車を走らせるときは」この曲をかけていたと、『ピアノ』のライナーノーツに書いている。
もう1つのカバー「メアリー・ドント・ユー・ウィープ」は19世紀の霊歌だ。映画監督のスパイク・リーは最新作『ブラッククランズマン』のエンドクレジットで、プリンスの演奏を使っている。
ファンの後ろめたい喜び
プリンスがこの弾き語りを人に聴かせたかったかどうか、その答えを知るすべはない。未公開の音源について、指示や遺言は残されていない。
「死後ののぞき見」
1つ確かなのは、彼が自分の仕事やイメージを守ることに執着していたことだ。『ピアノ』のような未加工の音は決して発表しない完璧主義者だった。
従って、今回のアルバムも多くの人を魅了する一方で、ファンサイトなどでは議論が白熱しており、プリンスの思いを無視していると主張する人も少なくない。あるレビューは、本人が聴いてほしいと思わなかったかもしれない歌を聴いて喜ぶ後ろめたさを、「死後ののぞき見」と呼んでいる。
プリンスの思いを尊重することは、「(音源の)発表をめぐる議論で何よりも重視している」と、ハウは強調する。「芸術的に最高レベルのものしか発表するつもりはない」
『ピアノ』の好調な売れ行きと絶賛の評価を考えれば、今後もアーカイブの音源がさまざまな形で発表されるだろう。
「録音したものの最終的に採用しなかった音源も、その多くがほかのアーティストの最高傑作より素晴らしい」と、ハウは言う。プリンスにとっては、ほんのおまけのようなものだったかもしれないが。
文:ザック・ションフェルド
<2018年11月20日号掲載>