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読者の心の揺らぎに、寄り添うブックデザイン
「どうしても書けぬ」「拝啓 〆切に遅れそうです」……苦笑せずにはいられない作家たちの言葉を、大胆にレイアウトした『〆切本』。ハレーションを起こすような配色で表紙絵を際立たせた文学シリーズ。おっ!と思う装丁に、鈴木千佳子の名をよく見ていた。
「装丁の形式にこだわることなく、作品を読んだ気持ちを、素直にデザインに表すにはどうしたらよいか。そんなことをいつも考えています」
鈴木は、アート・ディレクター、寄藤文平のもとでキャリアをスタートさせた。初めの5年間は、大手企業の広告デザインを手がけていたと言う。「私には情報が波及する範囲が広すぎて。ロジカルに物事を説明することが苦手で、デザインでなにをすればよいのか戸惑うばかりでした。でも、この経験のおかげで、広告の仕事には向いていないのだと気付きました(笑)」
書籍は、読者の総数こそ計り知れないところはあるが、実際に本を読む時はひとりきり。読者はよい本ほど事あるごとに手に取り、じっくりと時間をかけて読み込んでいく。
「本の場合、打ち合わせも著者や編集者だけ。身近なところで情報が整理できるので、自分も十分に納得した上で、アイデアをまとめていけるのです」
一方で鈴木は、装丁に使うイラストを自身で描くことも多い。「イラストの実力は、アマチュア以上、プロ以下」と冷静で、デザインが求めるレベルを判別しやすいから、自分で描いているのかもしれないと話す。必要と感じれば、他のイラストレーターを起用。イラスト単独の仕事は受けないなど、彼女なりの明確な線引きもある。
また、鈴木は、作品の温度感を探りつつ、デザインの精度を高めるために散歩をするのが習慣だと言う。
「歩くのは、特に名所があるわけではない普通の住宅街で、1日で15㎞ほど移動していることもあります。不思議な行動に思えるかもしれませんが、日常と非日常の間を漂っているような感覚が好きなんです」
本は人の感情を揺り動かす装置と言っていいだろう。ブック・デザインは、物語との出合いを彩るもの。読み始めて起こる心の動きに、視覚や触覚を通じていかに自然に、心地よく寄り添うことができるか。鈴木のデザインは、人々の心の揺らぎをていねいに包み込んでいく。
3万部を突破した『〆切本』(夏目漱石ほか著、左右社)photo:Chikako Suzuki
左:イラストに重ねるように箔押しを施した『踊る星座』(青山七恵著、中央公論新社) 右:新しい韓国の文学シリーズより『殺人者の記憶法』(キム・ヨンハ著、 吉川凪 訳、クオン)。鮮烈な配色が題と絵の印象を強める。photo:Chikako Suzuki