伝統に学んだ建築家は、
現代の日本らしさを探る。

  • 写真:笠井爾示(MILD) photograph by Chikashi Kasai
  • 文:山田泰巨 text by Yoshinao Yamada
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アイデアの扉
笠井爾示(MILD)・写真
photograph by Chikashi Kasai
山田泰巨・文
text by Yoshinao Yamada

伝統に学んだ建築家は、
現代の日本らしさを探る。

佐野文彦Fumihiko Sano
建築家/美術家
1981年、奈良県生まれ。中村外二工務店で数寄屋大工として働いたのち、設計事務所などを経て、2011年にFumihiko Sano Studioを設立。大工として培った技術や素材、文化へのまなざしと現代の感覚を融合させて、新しい日本の価値観をつくることを目指した作品をつくり続けている。

数寄屋大工の修業を経て建築家へ。日本の伝統的な意匠や素材、技法を学んだ建築家の佐野文彦は、それらを大胆に取り入れた空間設計やインスタレーションの設計で注目を集めている。

高校時代は陸上に明け暮れ、卒業後は競輪選手を目指していたという。しかしその後進路を見失っていた。佐野はある日、運命を変える出合いを果たす。以前から心惹かれる建物があり、思い切ってその扉を開けてみたのだ。扉の向こうに並んでいたのはミッドセンチュリー期のアメリカや北欧の名作家具。それに一目惚れして、その家具店で働くことに。やがて店の母体が数寄屋建築で名高い中村外二工務店であることを知る。家具に続き、今度は建築がもつ可能性に魅了された。

「ここで大工として経験を積むことで建築家になるという独自の道を切り開けるんじゃないかと思ったんです」

修業を終え、建築家になりたいと申し出て京都を離れた。東京の設計事務所で働く前に、初めて海外を旅する。建築も絵画も素晴らしいが、旅に「実感が足りなかった」と話す佐野。設計事務所を退職後、彼は他の国で実感を得るために、2カ月、デンマークの家具工房「PPモブラー」で働いた。

佐野が建築家として独立したタイミングは、折しも若い世代が陶芸や茶道に注目を始めた時期。独立初期からこれまで歩んできた道と再び向かい合うことになった。2016年には文化庁文化交流使に任命され、およそ8カ月半にわたりヨーロッパ、アジア、南米など16カ国32都市を巡っている。オランダでは現地の廃材を使ってホテルの一室を和室に改装。ほかにも、韓国やフィリピン、エチオピアなどで現地の人々と現地の素材を使って小屋を建て、もてなしの会を開いた。

「茶の湯の本質にある〝人をもてなすこと〞を軸に、空間をつくってティーパーティを開くというワークショップを行ってきました。海外のローカルな文化に日本のものづくりを学んだ私が交わることで、新しい発展のかたちが生まれ、さらに、その場所が継続して使われることで、新たな文化が生まれるきっかけになってほしい」

この旅を通じて改めて地域固有の文化がもつ魅力を再確認した佐野は、現代の日本らしさを探る。「建物をただつくるのではなく、そこに埋もれている価値や魅力をどう引き出しつくり上げるのか。新しい価値を生む行為を重ねていきたいです」

works

オランダ・アムステルダムにあるロイドホテルの一室をリノベーション。現地の素材を用いて、自ら施工を行い完成させた。

コワーキング・スペース「MTRL KYOTO(マテリアル京都)」は、築110年の木造3階建の擬洋風建築をオープンな空間に改装した。

※Pen本誌より転載