定期的に海外のひとつの出版社に焦点を当て、その出版社の本だけを取り扱うショップ「POST」のスタッフが、いま気になる一冊をピックアップ。今回、中島佑介さんが紹介してくれるのは、イルマ・ボームが手がけた食にまつわるアートブックです。技巧的なアイデアもさることながら、彼女のもつ“ある能力”こそが世界から注目される秘密だと分析しています。
Vol.09 裏写りNGのアートブックで“透け透け”をアリにするデザイナー、イルマ・ボームの手腕とは?
1冊の本が出来上がるまでにはさまざまな人が関わり、多くのプロセスを経ています。完成した本からはどんな人がどのような役割を担いながらつくられたのかは見えませんが、共同作業を行うメンバーが同じ目的を共有して仕上がった本には、理屈ではない説得力が備わっているように感じることがあります。アーティスト、出版社、印刷所や製本などの制作現場まで、すべての協業者とよい関係性を築きながら優れたアートブックをつくっているのが、オランダのデザイナー、イルマ・ボームです。
作品の文脈から切り離した、「食」の標本。
イルマは1987年からブックデザイナーとしてのキャリアをスタートさせ、本の三次元的な構造を活かしたブックデザインは初期から注目を集めました。また、彼女はプロジェクトの初期からコミットし、リサーチから編集までを行うのが制作方法の特徴になっています。過去と現代につくられたデザインを類似点で並べる、といったようなユーモアのある批評的な編集は時に関係者から非難されることもあったようですが、書物の価値を編集とデザインの両面から高める仕事が評価され、今日ではアムステルダム国立美術館やルイ・ヴィトン財団といった文化施設、アーティストのオラファー・エリアソンや建築家のレム・コールハースなど世界中のトップクリエイターたちが彼女をよきパートナーとして認めています。イルマのブックデザインは、小口に加工が施されていたり、本が極端に厚かったり、本文用紙が特殊だったり、綴じ方が特徴的だったりと、本の物質的な側面を活かしたものが多いので技巧的な面が注目されます。しかし彼女の優れた仕事は技巧的なアイデアよりも、共同作業を行うメンバーとのコミュニケーションの質の高さに裏付けられているのではないでしょうか。
この『RIJKSMUSEUM COOKBOOK』にもそんな一面が表れています。ヨーロッパでも有数の品質を誇るコレクションをもつアムステルダム国立美術館(RIJKSMUSEUM)の収蔵作品から、食べ物にまつわる部分だけをテーマごとにまとめ直したこの本は、「食」という多くの人にとって馴染みのあるテーマを据えて、美術観賞に新しい視点を提供したアートブックです。中世から近代までのマスターピースから食材の部分だけを切り取り、各作品の文脈から切り離して編集し直してしまうという先鋭的な企画を実現できたのは、文化に対する深い理解が浸透しているオランダならではの土壌に加え、イルマのコンセプトメイキングの手腕と、提案の巧みさによるところが大きいでしょう。また、本文用紙には裏の図版が透けて見えてしまうほどの極端に薄い紙を採用し、その質感を意識的に用いました。たとえば、表題は頭文字が表に印刷されてインデックスの機能をもちつつ、残りの文字が裏に印刷されて一つの単語のようになっています。一般的な本づくり、特にアートブックで裏写りは敬遠されますが、イルマは透けによって読者に裏面を知覚させ、三次元的な本の構造を意識させるようなアイデアを採用しました。
以前、イルマが話してくれたエピソードにこんな話がありました。「仕事の初期段階では、実現不可能そうなアイデアを出す私は現場の人から嫌がられるの。でも、最後にはみんな私のことを好きになってくれるわ」。まさに、協業者たちと親密な関係性を築いている結果でしょう。固定概念を覆し、コンセプトとデザインによってクライアントの理解を得て、確立されていない技術を使った難しい製品化を実現することができているのは、現場でのコミュニケーションが大きな役割を担っているはずです。デジタルメディアが世界中に浸透した今日、本の可能性は改めて見直されている動向もあります。制作現場の熱量が説得力となり、物質を伴って読者へと伝わるメディアとして再評価されているのもその一例です。イルマはまさに、制作現場から読者まで気持ちがダイレクトに通じる理想的なアートブックをつくり続けているデザイナーとして信頼され、世界から注目されているのでしょう。
装丁:ソフトカバー
サイズ:28.0 x 21.5cm
商品コード:ISBN 9789082543711
出版年:2016年
価格:¥8,424