【らしく、美しく暮らす──。】Vol.3ファッションデザイナー、コシノジュンコが語る唯一無二の街「青山」とは

  • 写真:杉田裕一
  • 文:小久保敦郎
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1978年のパリコレクションを皮切りに、世界的なファッションデザイナーとして活躍し続けているコシノジュンコさん。独立後、北青山にブティックを構えて以来、拠点にしているのはずっと青山。コシノさんにとって青山とはどのような街なのか、懐かしいエピソードを交えて話していただいた。

東京の白金に2023年竣工予定の都市型タワーレジデンスを展開する、旭化成不動産レジデンス×ワールドレジデンシャル。コンセプトは「らしく、美しく」。この連載企画では、その地に縁のある方に登場いただき、この特別なエリアの文化的な背景と、街の魅力をひも解いていく。第3回は、ファッションを中心に幅広いデザインを手がけるコシノジュンコさんが語る「青山」。仕事だけにとどまらず、生活の拠点でもある青山には、語り尽くせぬほどの思い出と愛着があると言う。

高感度な大人が集う、エレガントな憧れの街

コシノジュンコ(デザイナー)●大阪府岸和田市生まれ。文化服装学院デザイン科在学中、新人デザイナーの登竜門とされる装苑賞を最年少で受賞。1978年のパリコレクションを皮切りに、世界各地でショーを開催。オペラやブロードウェイの舞台衣装など服飾デザインのみならず、インテリアや食など幅広い分野のデザインも手がける。

コシノさんが青山と関わり始めたのは、いまから50年以上前に遡る。ファッションデザイナーとして独立後、初めて路面店を開いた場所。それが北青山だった。

「1966年にCOLETTEというブティックを開きました。その頃、石津謙介さんのVANはあったけれど、まだファッションの街という感じではなくて。でも、どうしても青山にお店を出したいって思ったの。銀座や渋谷のような繁華街ではなく、どこか上品な街。そんな青山に憧れていたんです。店舗のデザインは宇野亜喜良さん。名付けたのは高橋睦郎さん。豪華なメンバーがみんなでつくってくれたお店でしたね」

以来、青山を拠点にコシノさんは世界へと羽ばたくことになる。

ブティックや人気レストランが集まるキラー通り。名付け親であるコシノさんはキラー通り商店会のGM(ゴッドマザー)に任命されている。

3年後、ブティックを外苑西通り沿いに移転したコシノさん。通称である「キラー通り」という呼び名は、実はコシノさんが考えたものだ。

「自分のお店がある通りに、なにか覚えやすい名前がほしかったんです。ちょうど通産官僚だった堺屋太一さんとお仕事でご一緒したので、『通りの名前って誰が付けるんですか』とお聞きしたの。すると『あなたみないな人が付けちゃえばいいんだよ』って軽くおっしゃる。ひらめいたのが、キラーストリート。青山霊園が近くにあるし、その頃ピンキーとキラーズが人気だったこともあって。それで、お店の案内状にキラーストリートと印刷してみなさんにお配りしたんです。とはいえ、タクシーに乗って『キラーストリートに行ってください』と言っても『どこですか』と言われてしまう。『あら、知らないんですね』というやりとりを繰り返しているうちに、いつの間にかキラー通りとして定着してましたね」

開館30年を迎えたワタリウム美術館。キラー通りとその周辺にはギャラリーも点在し、アートなエリアの一面もある。
キラー通りを北に進むと見えてくるのが新国立競技場。「杜のスタジアム」をテーマに隈研吾のデザインで生まれ変わった。

外苑西通りは1964年の東京五輪に向けて着工された道路。「オリンピック通りとか先に名前を付けておけばよかったのに」と笑うコシノさんは、「青山はスポーツ面でも魅力ある街」と言う。

「陸上をはじめさまざまな競技が開催される国立競技場だけでなく、神宮球場があり、秩父宮ラグビー場もある。とても集客力があり、クリーンなイメージにもつながっています。そうそう、2019年に新国立競技場が完成した時、オープニングイベントがあって。場内のパレードに、地元枠として青山キラー通り商店会が招待されたんです。私、商店会のGMを務めているのでパレードに参加しました。みんなノリがよくてね。地元の仲間と盛り上がれるような温かいつながりが、青山には残っていますね」

新国立競技場のオープニングイベントに集まった青山キラー通り商店会のメンバー。お揃いの衣装とおかっぱ頭で「おかっパレード」として参加した。

緑豊かな環境と、数々の名店を巡る楽しみ

コシノさんの生活の拠点でもある、骨董通りにあるブティックにて。

大小の個性的なブティックが点在するファッションの街。日本を代表する競技場があるスポーツの街。さらに「青山はクリエイティブな街でもあるんです」とコシノさん。

「ニューヨークに本店があるブルーノート東京。日本のジャズの聖地と呼ぶ人もいますね。それから岡本太郎記念館がありますけれど、あそこは岡本さんが40年以上も住まわれ、創作活動の拠点にした場所なんです。根津美術館は日本と東洋の古美術品コレクションが素晴らしいですね」

青山に事務所を構えるクリエイターも多い。

「デザインやアートの情報発信地として、青山デザインアワードという独自のコンペを実施していた時期もあります。ファッションとスポーツ、そしてクリエイティブ。そのような要素が揃っている街は、あまりないかもしれません」

岡本太郎記念館。所蔵されている作品を鑑賞できるほか、かつて使われていたアトリエも公開されている。
世界のトップアーティストがパフォーマンスを繰り広げるブルーノート東京。30年以上もの間、東京のライブシーンを牽引してきた。

コシノさんにとって青山は、仕事の拠点であり生活の場でもある。生活者の視点として、住み心地はどうなのだろう。

「朝、ジョギングをするのね。よく行くのが青山霊園。お墓ってマイナスのイメージだけれど、青山霊園は緑が多くてとても明るい雰囲気なんです。素晴らしい桜並木があって、花が咲くと桜のトンネルになる。墓地だけど不気味な感じはしませんね。のんびりと歩くのなら、神宮外苑のいちょう並木もいいですね。青山通りから絵画館へ向かう一本道は本当に気持ちいい。都心なのに日常の生活に欠かせない余白のような場所もある。だから長年住んでいても飽きないのだと思います」

青山通りから約300m続く神宮外苑いちょう並木。146本のイチョウが立ち並ぶ様子は圧巻。木陰の歩道を気分よく歩くことができる。
青山霊園の桜並木。園内は歩道が整備されており、都心では貴重な緑の空間を楽しめる。墓所は歴史上の重要人物も多い。

「もう、自分は青山の主みたいなものだから」と話すコシノさんの口から、青山への地元愛が止まらない。

「仕事で海外に行って、久しぶりに戻ってくると本当にホッとするんです。そんな時、ここが自分の生活そのものであることを実感します。東京で生まれ育った人は、自分にはふるさとがないと言ったりする。でも、青山は人がちゃんと育ち、仕事もしやすい場所。私は大阪出身ですけれど、ここで成長した子どもたちは、青山が自分のふるさとだと当たり前のように思っていますから」

それから「青山という住所は保証書のようなもの」とも。

「人はどこに住んでいるかで、見え方が変わってくると思います。住所が青山であるのはひとつのステイタス。それくらい青山は魅力ある街なんです」

憧れの街・青山で仕事を始め、いまは生活そのものであるコシノさん。コシノさんの「らしく、美しく」というセンスは、この街に磨かれたものなのだろう。

アトラス青山レジデンシャル

所在地:東京都渋谷区渋谷2-5-13,14(地番)
交通:東京メトロ銀座線・千代田線・半蔵門線「表参道駅」徒歩8分、
東京メトロ・東急東横線「渋谷駅 」(B4出口)徒歩8分、JR線渋谷駅徒歩9分
構造・規模:プレストレストコンクリート造、地上14階、地下1階
総戸数:61戸 ※非分譲住戸33戸、単独分譲住戸2戸含む
間取り:2LDK・3LDK
専有面積:55.05m²〜81.27m²
竣工予定:2023年7月中旬(予定)


※掲載の情報は2022年3月現在のものです。専有面積や間取り、共用施設、スケジュールなどは、今後変更となる可能性があります。

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問い合わせ先/アトラス青山レジデンシャル
TEL:0120-982-562
www.afr-web.co.jp/atlas/mansion/aoyama/index.html