江戸川乱歩が愛した、半径2km圏内の“モダン東京”とは?【速水健朗の文化的東京案内。上野篇③】

  • 文:速水健朗
  • 写真:安川結子
  • イラスト:黒木仁史
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“スクラップ・アンド・ビルド”を繰り返してきた、東京という街の歴史。そこで埋もれてしまった景色を、ライターの速水健朗さんが過去のドラマや映画、小説などを通して掘り起こす。今回は江戸川乱歩作品で描かれてきた上野を、当時の時代背景とともにひも解いていく。

速水健朗(はやみず・けんろう)●1973年、石川県生まれ。ライター、編集者。文学から映画、都市論、メディア論、ショッピングモール研究など幅広く論じる。著書に『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。

明治維新後、日本初の西洋式公園として1873年に誕生した上野公園は、内国勧業博覧会などの国家的イベントが開催される場となった。そんなかつての華やかな東京の一面を切り取っていたのが、小説家の江戸川乱歩だ。乱歩がモダン東京として度々描いてきたのは上野である。明治期から昭和初期にかけての都市開発との関係も含め、速水さんが当時の上野について話してくれた。


前回【上野篇②“ニューノーマル”を拒んだ若者たちが出向いた、知られざる上野戦争。】はこちら

江戸川乱歩が描いた、都市化の進んだ東京。

明治時代、浅草公園に立っていた凌雲閣。地上12階建て、52.4mほどの高さを誇っていた。©CAPSULE CORP./amanaimages

江戸川乱歩が人気作家となり、多忙を極めていた時期は1920年代末から30年代前半。この時代の乱歩作品には、急速な都市化が進んだモダン東京の名所が数多登場する。

探偵の明智小五郎の事務所として御茶の水文化アパートメント(作中では「開化アパート」)が描かれている。初登場は『一寸法師』(1926年『大阪朝日新聞』連載)。日本初の本格的アパートメントだったこの住宅には、ベッドや机、椅子、ガス付き料理台など西洋式が取り入れられていた。企画した森本厚吉は、中流層の生活改善を訴える「文化生活運動」の提唱者。都市生活の基本的な生活様式の具現化を目指したが、実際に完成したアパートには富裕層しか住めなかったのは誤算だったはず。探偵の明智小五郎は、この3部屋を間借りして探偵事務所を開設。難事件を次々解決する明智探偵は、リッチなセレブである。

両国国技館を舞台にした明智小五郎と怪人の決闘に注目。『吸血鬼』(江戸川乱歩著 春陽堂書店 2019年)写真:青野 豊
1920年に再建され、“大鉄傘”の愛称で親しまれていた旧両国国技館。写真は明治末に撮影されたものの絵葉書。写真:日本相撲協会

『押絵と旅する男』(1929年 『新青年』連載)に描かれているのは、浅草の凌雲閣。浅草十二階と呼ばれたこの塔は、日本初のエレベーターが設置された商業ビルでもあった。ただ、1923年の震災でダメージを受けて解体された建物なので、乱歩作品が発表された時点では既に失われた建築物だった。『吸血鬼』(1930年 『報知』連載)では、墨田区の旧両国国技館が登場する。菊人形展が開催されている中を明智小五郎の助手である小林少年が訪れる。そして、特徴的な丸いドーム状の屋根に明智の恋の相手である文代さんが吊るされてしまう。これは09年に完成した相撲専用の初代国技館ではなく、20年に再建されたもの。亜鉛製の円屋根の姿から“大鉄傘”と呼ばれていた。この建物は83年まで当時の姿を残してきたが、85年に現代の国技館の姿になった。

貴重な美術品ばかりを狙う謎の怪盗、黄金仮面の正体を明智小五郎が暴く。『黄金仮面』(江戸川乱歩著 東京創元社 2016年)写真:青野 豊

御茶ノ水、浅草、両国と、乱歩の描く東京は東側に寄っている。そして上野。1930年に雑誌『キング』で連載がスタートした『黄金仮面』の冒頭は、上野公園の博覧会だ。会場に仮面の怪盗が現れ、目玉の展示物「志摩の女王」なる大真珠を盗み出す。博覧会は、当時の庶民に人気のあった娯楽のひとつである。金色の仮面をかぶる派手な怪盗が現れて、塔のてっぺんで消失し群衆を驚かせるという冒頭は奇術的な場面。黄金仮面が上る産業塔は、不忍池の近くに立っているという設定だ。

探偵小説作家の「私」が、美貌の婦人・小山田静子から奇妙な相談を受けることから始まる『陰獣』(江戸川乱歩著 春陽堂書店 2015年)写真:青野 豊

やはり乱歩作品に最も多く登場する場所は、上野ではないだろうか。代表作『陰獣』(1928年 『新青年』連載)の冒頭は、上野の東京国立博物館。当時は帝室博物館という名称だった。上野に仏像を見に出かけた主人公は、上流階級の婦人と会話を交わす。静謐な空間として上野が描写されている。

新宿や渋谷に移っていった、東京の重心。

1906年に建てられた帝国図書館は国立国会図書館の源流のひとつとなった。写真は当時撮影されたもの。写真:国立国会図書館ウェブサイト
帝国図書館の原形保存に努めながら、児童書の専門図書館としての機能を果たすための改修を行い、2002年に全面開館した国立国会図書館国際子ども図書館。写真:国立国会図書館ウェブサイト

また、『吸血鬼』の誘拐犯が身代金の受け渡しに指定する場として帝国図書館が登場する。東京国立博物館の展示館のひとつに法隆寺宝物館があるが、図書館はその奥にひっそりと立つ。明治期の1906年に完成し、その後29年に増築されている。乱歩が書いたのは、この増築直後のこと。建物は健在で、いまは国際子ども図書館となっている。当時から、夜には人気のない場所だから引き渡しの場に指定されたのだろうか。ちなみに近くのブロックの角には、現在は使われていない京成電鉄の旧博物館動物園駅がある。利用者も少なかったのだろう。

日暮里駅~上野公園駅(現・京成上野駅)の中間に位置する駅として、1933年に開業した旧博物館動物園駅。利用者減少により、1997年に営業休止、2004年に廃止となった。

乱歩が描く上野といっても、上野公園にかなり偏っている。西洋化を目指した国家建設を進める明治政府にとって、日本初の西洋式公園だった上野公園はそのセンターといっていいモデルエリア。帝都にふさわしい西洋風の巨大建築物をここに並べたのだ。モダンな東京を好む乱歩の趣味と重なっている。

一方、昭和初期の東京には関東大震災の影もちらほら残る。小説にも当時の状況と照らし合わせたと見える震災の爪痕がある。『黄金仮面』の冒頭で描かれた博覧会は、1928年の御大礼記念国産振興東京博覧会をモデルにしている。震災から5年経ち、ようやく開催された博覧会だった。

『陰獣』の冒頭に登場する帝室博物館も当時は、本館、2号館、3号館ともに震災で損害を受け使用できなかった時期。被害から逃れた東京国立博物館表慶館が小説の舞台だ。表慶館は09年に開館したもので、現存する建物でもある。

上野公園の西郷像の近くには、日本で最初の博覧会である1877年の第1回勧業博覧会の絵図が展示されている。

上野浅草間に地下鉄が開通したのは1927年。これが東京の地下にくまなく張り巡らされる地下鉄計画の記念すべき路線だった。距離にしてたった2.2km、時間にして5分。当初は上野と新橋間を結ぶ計画だったが、不況、震災といった予測外の状況により、短い区間でもスタートになった。地下鉄が新橋まで延伸するのは7年後のこと。さらに39年には渋谷までの直通運転が始まる。

乱歩が活躍した時期と東京の急速な都市化の時期は重なる。都市の人口増に合わせて新しい住宅、アパートメントが登場し、プライバシーという感覚も生まれた。『乱歩と東京』(ちくま学芸文庫 1999年)を書いた建築批評家であり作家の松山厳は、「簡単な戸締まり金具が日本の住宅の扉につくようになった時代が1920年代である」と触れる。密室殺人は、他者から隔離されたプライバシー空間でこそ成立するのだ。都市化が進むことと探偵小説の流行は結びつく。

東京国立博物館は1872年に完成後、85年に上野公園に移設された。明治期には内外で開催された大規模な博覧会との関わりをもっていた。

震災復興は、東京の西側への拡大でもあった。西側に人口が流れ、新宿や渋谷が発展する。1925年に神田〜上野間の高架線が完成し、現在と同じ環状運転を開始したのも大きい。東京の重心は浅草や上野から、新宿や渋谷に移っていく。

乱歩は33年から休筆に入り、復帰後もしばらくスランプが続いた。その後小説の路線を変え、少年向けの「怪人二十面相」シリーズを書くようになり大ヒット。乱歩のセカンドブレイクである。これ以降、それまでのような東京の建築や風俗を描かなくなった。たとえ具体的な地名をもつ街が描かれたとしても、麻布や成城といったお屋敷町くらいのもの。たとえば、少年が奇妙な老人を目にし、その後を追うと見慣れない町の外れに旧い洋館が立っているのを見つけるなど、少年向け乱歩作品ではお決まりの展開である。淋しい都市の周辺部といった感じがある。

東京の重心が浅草や上野から新宿や渋谷に急ピッチで移っていく中、乱歩の東京への関心はそのスピードについていけなかったのかもしれない。

前期の乱歩が好んで描いたモダン東京は、上野や浅草を中心とした半径2kmほどの小さなエリア、賑やかなかつての東京だった。実際、「彼が歩き、描き出す世界は意外なほど小さく、浅草を真中に上野公園と両国の間、2kmから3kmの範囲」だったと松山は前出の本の中で指摘する。乱歩の東京への関心は、どこかで街の発展の速度に振り落とされたのだろう。

ここまで3回にわたって、江戸末期から明治大正、昭和初期までの上野の変化を取り上げてきた。この街はそれぞれの時代の姿をところどころに残している。10年前の風景ですら跡形も残らないことが多い東京において、かなり珍しい場所である。そんな上野も、よく見ると少しずつ姿を変えてはいるのだが。

明治〜昭和の香りをいたるところに残し、さまざまな顔をもつ上野。最後に、今回巡った場所を改めて地図とともに振り返りたい。


【上野篇①『JR上野駅公園口』から見える、文化の分断・交流する上野駅。】はこちら

【上野篇②“ニューノーマル”を拒んだ若者たちが出向いた、知られざる上野戦争。】はこちら


まずは、上野公園へのアクセス口であるJR上野駅公園口。駅舎としては1932年完成当時のままだが、2020年4月に公園口だけ整備された。現在は展望施設付きにリニューアルしている。(①)

その公園口と対になる広小路口から御徒町駅の間を結ぶ、上野の名所といえばアメ横だろう。なかでも、アメ横センタービルの地下に入っている「アメ横地下食品街」(②)では、アジア各国のスパイスや鮮魚などが所狭しと並ぶ。

また、上野公園の入り口から階段を上ると目に入るのが、西郷隆盛像(③)である。西郷像は着流しを着て犬を連れており、その姿は平和そのものに見えるが、彼が指揮した上野戦争は凄惨なものだった。

1868年に起きた上野戦争の激戦区は、現在の上野公園前の交差点近く。かつて存在した料理屋「雁鍋」の2階に鉄砲隊が配置され、寛永寺の黒門に向けて狙撃が行われた。寛永寺の大部分が焼失し、一帯は焼け野原となった。(④)

江戸川乱歩の『吸血鬼』の作中で、誘拐犯が身代金の受け渡しに指定すしたのが帝国図書館(⑤)。明治期の1906年に完成したこの建物は現在も残っており、いまは国際子ども図書館として利用されている。

同じく乱歩作品の『陰獣』の舞台として描かれている東京国立博物館表慶館(⑥)は1909年に開館したもの。中央と左右の美しいドーム状の屋根が特徴的だ。

それぞれの時代の痕跡を探しながら、今回紹介してきた小説や漫画から想像を膨らませ、上野の街を歩けばまた違った景色が見えてくるかもしれない。