多くのアーティストやデザイナーが参加した白井屋ホテル。ホテルのオーナーでありアイウエアブランド「ジンズ」創業者・田中仁さんと、建築家・藤本壮介さんは6年も定期的にディスカッションを重ねたという。画期的なアートホテルはどうやって誕生したのか?
昨年12月、群馬県前橋市に開業した「白井屋ホテル」は、国際的なアーティスト、建築家、デザイナーたちが多数参加した世界でも類を見ないアートホテルだ。
もともと白井屋は前橋の歴史ある名旅館で、1970年代にホテルに建て替えられ、2008年に廃業。数年前から個性的な街づくりが進む前橋のシンボルとして建物を再生したのが白井屋ホテルだ。そのオーナーは、アイウエアブランド「ジンズ」創業者で、前橋の活性化の立役者である田中仁さん。またリノベーションは、世界各国で大型のプロジェクトが進む建築家の藤本壮介さんが手がけている。白井屋ホテルの3つのポイント、「建築」「アート」「コラボレーション」について、田中さん、藤本さんはそれぞれどう考えたのだろうか。
新しいホテルの「建築」は、藤本壮介さんしかいないと思った。
――田中仁さんは、白井屋ホテルのリノベーションをなぜ藤本壮介さんに依頼したのですか?
田中: 藤本さんとはずっと前から交流がありました。彼がプロジェクトのたび新しい建築にチャレンジするところに僕の会社と共通するものを感じ、シンパシーがあったんです。でも当時のジンズの店舗設計の方向性では、建築界のスター街道を進むようになった藤本さんに、仕事を依頼できる機会がなかなかありませんでした。前橋でホテルの建物をリノベーションし、新しいホテルを始めることになって、彼しかいないと思いメールしました。2014年7月のことです。
藤本: すぐに現地に見に行くとまだ以前の客室が残っている状態で、内装だけのリノベーションでは難しいと思いました。そこで4階建ての旧ホテルの中心部をくりぬき、天窓を開け光が降るようにしました。そして吹き抜けの下のロビーラウンジは、ハイエンドな層を受け入れながら地元の人たちも寛ぐことができる、前橋のリビングルームのような空間にしようと考えた。客室数が大幅に減っても、建物が生まれ変わるにはこれくらいの大胆さが必要でした。そんな案を田中さんに提案したら、その方向で行こうと即答してくれました。
田中: 素晴らしい案だと思いましたが、ビジネスを考えたらありえない選択です。でも、このホテルだけで採算を取ろうとは考えず、地域に価値をつくるためにも、いいものをつくることに集中しました。
――以前の白井屋をリノベーションしたヘリテージタワーとともに、隣接する敷地にはグリーンタワーを新築しました。そのコンセプトを教えてください。
藤本: 以前の白井屋も、建物の正面から裏側の商店街に抜ける小道があり、建築が街の一部になっているのがとてもいいと思いました。そこには馬場川という小川が流れ、付近にはヒューマンスケールの魅力的な街並みが広がっています。ホテルと街が調和する風景をつくるために、丘のような建物を発想したのです。丘には人を招き入れる開放感があり、街中に立体的な緑が現れる新鮮さもある。また前橋の街づくりのビジョンを表現する言葉が「めぶく。」なので、緑の丘はその意味合いも反映しています。丘の上に小屋をいくつか建てたのは、人の存在を感じさせるためです。
田中: 「めぶく。」という言葉は、前橋出身のコピーライターの糸井重里さんに考えてもらい、2016年から使っています。現在、この街の再活性化のためにいくつものプロジェクトを進めていますが、白井屋ホテルはそのイメージを具体的に集約したシンボルなんです。
さまざまな「アート」が馴染んだのは、6年という準備期間があったからこそ。
――館内では、ロビーの吹き抜けのレアンドロ・エルリッヒの壮大なインスタレーション『ライティング・パイプ』がとても印象的です。彼の作品を客室にそのままインストールしたようなスペシャルルームもありますね。
田中: プロジェクトが立ち上がるといろんな仲間が協力してくれて、その中のひとりがレアンドロを紹介してくれたんです。ホテルの話をしたらぜひ見てみたいと言うので、一緒に前橋に行きました。彼は建築が大好きだから、藤本さんがリノベーションすることにも興味があったんでしょうね。吹き抜けの工事が進行中で、躯体が姿を現した頃でした。
藤本: 廃墟のような状態が、彼のインスピレーションを刺激したようです。まだ梁や柱に配管を通した穴が残っていて、そこにあったはずの配管が『ライティング・パイプ』のモチーフになっています。リノベーションとともに新しい命をもった光の配管が、ここに住み始めるというストーリーがあるんでしょうね。この吹き抜けの中に新たにつくった階段からは、自由に移動しながら作品全体を体感できます。豊かな体験が楽しめるように、時間をかけて階段の収まりを考え、ディテールを詰めていきました。
――国道50号線に面したホテルのファサードでは、アーティストのローレンス・ウィナーによる作品が目立ちますね。
藤本: このファサードは、既存の建築に大きく手を入れるのはもったいないけれど、そのままでは微妙な感じがして、どうしようかと悩んでいました。開業が近づいてきた時期になって、ローレンス・ウィナーのアートにしようと田中さんから提案されたんです。ローレンスさんのインパクトのある作品によって、建物の昔の顔を残しながら、いいギャップが生まれました。この作品は、ホテルの従業員のユニフォームにも使われています。
――他にも杉本博司、宮島達男、ライアン・ガンダーはじめ多くのアーティストの作品があります。
田中: 実はホテルがオープンする1年半くらい前まで、アートというキーワードはありませんでした。開業直前にギャラリーを巡って私が選んだアートが多いんです。プロにキュレーションを任せたら、こうはならなかった。でもバラバラであることの面白さもありますよね。たとえばレセプションの壁に掛けた杉本博司さんの『ガリラヤ湖、ゴラン』は、「海景」シリーズの中から杉本さん自身が選び、位置を決めてくれました。ここは前橋には奇跡のホテルだから、キリストが歩いたとされる奇跡の湖がいい、会計する場所には「海景」がぴったりだ、と(笑)。
藤本: プロジェクトの開始から6年間かけてホテルをつくったことが、よかったんだと思います。たくさんのアートを取り入れることが急に決まったのも、それまでの時間があったからうまく馴染んでいった。田中さんの中でもアートの取り入れ方が熟成していったように感じました。
前橋を元気づけるホテルにクリエイターが共感し、奇跡のような「コラボ」へ。
――ジャスパー・モリソンやミケーレ・デ・ルッキなど、著名なデザイナーによるスペシャルルームもありますね。
藤本: ジャスパー・モリソンの部屋は、四角い木の空間と最低限の家具でこんなことができるんだと感動しました。またミケーレの部屋は、最初に受け取ったスケッチではよくわかりませんでしたが、完成するにつれて質感や色づかいに圧倒されました。まったくの異世界が出来上がっています。このホテルの建築は、大枠をゆったりとつくっておき、そこにいろんなものが入ってきた状態をみんなで楽しめることを、いつも以上に大切にしました。僕だけでなくチーム全体で、うまく共存する状態をつくることができました。
田中: ジャスパーもミケーレも以前からの知り合いですが、前橋のことを話すと、向こうからぜひ手伝いたいと言われたんです。元気のない前橋をなんとかしたいという無謀さに共感したんでしょうね。ふたりとも前橋まで現場を見に来てくれて、ジャスパーはオリジナルの家具までデザインした。彼は仕事だったら空間はデザインしないと断言しているので、大変価値のある客室ではないでしょうか。
――田中さんも藤本さんも、ホテルをつくるのはこれが初めてでした。
田中: この建物に出合うまで、ホテルをつくるなんて考えたこともありませんでした。でも起業家として、誰もやっていないことにチャレンジするのが好きなんです。このホテルに藤本さんを起用したのも、それが第一の理由でした。
藤本: 最初から学ぶことばかりでしたね。6年前のプロジェクトの当初から、田中さんたちと月1回の打ち合わせを重ね、時間をかけてすべてを進めてきました。既にあるどこかのホテルを目標にしなかったのが、最終的にはよかったんでしょうね。アイデアがあっちへ行ったりこっちへ行ったりという時期を経て、チーム全員で納得しながら設計していった感じです。
――白井屋ホテルは、建築とアートが結びついたホテルのモデルになるのではないでしょうか?
藤本: 建築とアートだけでなく、リノベーションと新築、コンクリートと緑、幹線道路とヒューマンスケールの街並みなど、いろんな意味で両義性を持った重層的なプロジェクトになりました。アートだけを見ても、世界的なアーティストから地元で活動する作家まで、多様な状況を取り込んでうまく結びつけることができたと思います。
田中: 美術館でアートを見るのとは違って、数百円でコーヒーを飲みながら最高の建築とアートを楽しめる場所です。こんなホテルがあることで、生活とアートの関係が変わっていくと考えています。
白井屋ホテル
●群馬県前橋市本町2-2-15
TEL: 027-231-4618
全25室
ヘリテージタワー スーペリアルーム¥25,000~
グリーンタワー スーペリアルーム¥28,000~
※税・サービス料別
https://www.shiroiya.com/