レモンサワーブームを巻き起こしたバーオーナーの田中開(かい)さんと、レストランをプロデュー スするなど飲食界を牽引し続けるシェフの森枝幹(かん)さん。食をめぐる話題をお届けする連載。Vol.3は、都心から車で約1時間の南米料理の楽園、神奈川県愛川町で見つけたペルー料理店へ。絶品ハンバーガーからほっとする甘さのプリンまで、新たな味覚を追求する。
長崎県五島市と組んだ「五島の魚プロジェクト」では、捨てられることが多い未利用魚を使った「五島のフィッシュハム」を開発。渋谷パルコに昨年オープンしたタイ料理店「CHOMPOO(チョンプー)」では煮干しラーメンとコラボするなど、国境やジャンルを飛び越えた自由な発想で食に臨む森枝幹さん。ペルーは未訪だが、メキシコなど中南米の食文化にも造詣が深い。ドイツ人の父をもつ田中開さんも、中華からキューバ料理まで世界を股にかけた食いしん坊だ。そんな彼もコロンビアには何度も訪れたが、ペルーは未知の土地だという。
これまでさまざまな旅の記憶をアイデアの根源に、魅惑的な食をプロデュースしてきたふたりは、日頃からエスニックな食材や調味料を求めて、いろいろな場所を訪れている。その中でも、前回の「いちょう団地」同様、外国人が多く住むエリアは、食材ハンティングの重要な候補地。今回は南米の食材を探していた幹さんがハンバーガーの垂れ幕に誘われて入ったら、絶品のペルー料理を楽しめる店だったという「deli’s ケーキ&コーヒー」を紹介。東名高速道路を使えば、都心からクルマで約1時間で到着だ。
うますぎる「ペルー風砂肝の鉄板焼き」から、すべては始まった。
神奈川県中央北部に位置する愛川町は、自然に囲まれた緑豊かな町だ。中心部には巨大な内陸工業団地が存在し、そこで働く南米出身の外国人がたくさん住んでいる。町の外国人比率は5.5%で神奈川一。なかでもペルーとブラジル出身者が多く、全体の70%を占めている。町の中心がある通り沿いには、エスニックマートやレストランが並び、南米の食材やCD、雑誌なども売られている。そんな中、見知らぬ食材を求めて立ち寄った幹さんが、ほんの腹ごしらえのつもりで入ったのが、今回の舞台「deli’s ケーキ&コーヒー」だ。
森枝幹(以下、幹):コレ、何気に頼んだ砂肝の強烈なうまさに、のけぞりそうになった。めちゃくちゃうまいでしょ。しかも、この安過ぎる値段。
田中開(以下、開):ヤバい、うまい、これヤバい。ニュー・ジャンク!!
この数週間、渋谷パルコで行われたエスニック煮干しラーメンのイベント「チョンプー✖️凪」のため、煮干しガラを使ったフードロスゼロラーメンの試作を続けていた幹さん。とんでもない量の煮干しを食べ続けた結果、足の親指辺りに痛風発症による激痛が走ったのだという。 かつては美食家たちの持病とも言われた痛風に、モツと魚卵は最強の天敵。しかし、「ペルー風砂肝の鉄板焼き」は食べたい。シェフの宿命を前に笑顔で見守る開さんと、食欲と激痛の間で悶える幹さん。
開:しかし、ダメじゃん。「サーモン&トラウト(痛風を意味する英語のスラング)」という名前のレストランでシェフをやってた奴が痛風って。
幹:あの店は痛風になっちゃうくらい、罪つくりなおいしいモノを出すって意味だったんだけど……。まさか、自分がなるとは。開も早くなってみろよ、痛さわかるから。
最初に幹さんが発見したのは、アメリカのダイナー風の店の入り口にかかるハンバーガーの垂れ幕。でも、注文して出てきたのは「写真に偽りあり」。素っ気ないほどクラシックな見た目のハンバーガーだった。でも、それは想像を裏切るおいしさと、初めて出合うフレーバーだった。
幹:なんだか、普通のハンバーガーも全然違うよね!?
開:アメリカン(フード)だけど、全然アメリカンじゃない。相模の端っこで、南米がこんな風にアメリカナイズされたんだって感じ。
幹:まずコレ、パテ自体にソースがかかってないよね。
開:でもパテそのものには味がしっかりついてる。
幹:なにが入ってるんだろう? スペアミントとニンニク、クミンも入ってるよね、パクチーは?入ってないか⁉
開:全然アメリカンじゃない(笑)
幹:なんかさ、めちゃくちゃいいでしょ、ここ。
開:懐かしいし、ファミレスだし、新しいし、ドキドキする。
ていねいに裂いた蒸し鶏が入った「マヨチキンサンド」は間違いのないうまさだが、ひと口食べて驚くのは現地で「チチャロンサンド」と呼ばれるポークサンドのうまさ。チチャロンは豚の皮を揚げたもので、ラテンアメリカ全域のソウルフード。もともとはスペインのアンダルシア発祥で、長らくスペインの植民地だった中南米ではソウルフードになっている。ペルー人にとっては朝食の定番。後述の「サルサ・クリオージャ」ソースをたっぷりかけて食べる。
幹:さっきのハンバーガーがヒントになると思うけど、肉にていねいな下味が付いてて大量のニンニクが入っていながらハーブ使いで結果さっぱり、みたいな……。
開:この味の感じ、なんだろ⁉ コロンビア行った時に食べた味の感じだ。パンの食感とか、素揚げっぽい感じとか……。あと、化学調味料を1ミリも使わない。
幹:油の感じとか、水分が少なくて、いい意味でパサパサした感じ。
開:なんだか、「つなぎ」がない感じだよね。
トマト、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ。日本でもお馴染みの食材たちの共通のルーツはアンデス。すべてペルー原産の野菜たちだ。「チリの着道楽、ペルーの食道楽」と言われるくらい食にこだわる人たちが多く、南米一の美食の国と呼ばれている。この店のていねいな下ごしらえや、スパイスやハーブの絶妙なバランスに、すっかりペルー料理にハマってしまうふたり。
幹:料理に使われている肉にそれぞれのうまさがあるよね。ていねいにマリネしたり、素揚げしたり。野菜の味と辛さと、すべてのバランスが抜群。
開:コレ、夜のゴールデン街とかで食べられたら最高でしょ。このソース、なに⁉ サルサ⁉ これかけると、なんでもうまい。
禁断のソース、サルサ・クリオージャとの出合い。
食べ物をオーダーすると、まずテーブルに運ばれるのが、ケチャップ、マヨネーズ、マスタード、そしてペルーの辛いサルサソース「サルサ・クリオージャ」の‟味変四兄弟”。メニューの一つひとつにきちんと下味が効いているのでなにも付けなくてもおいしいのだが、独特のフレーバーをもつサルサをかけ始めると、気分は一気にペルーの地へ。すべてのパンやパイに、どんどんかけたくなってしまう。見た目はごく普通のサルサだが、風味や旨味がきわめて強く、香りもフルーツっぽい。
幹:このソース、なんなんだろう。単なるチリの辛さじゃないような。フルーティな香りに乗せられてどんどんかけると、意外に激辛、でも、旨味があるよね。
開:素揚げしたり鉄板で焼いたり、割と油を多用してるのに、このソースをかけると急に口がさっぱりする。スペアミントもたくさん使われてるから、口当たりが軽く爽やか。
サルサ・クリオージャの材料について、ホールを仕切っている弟さんに尋ねると、キッチンの奥から持って来てくれたのは冷凍のロコト。「inca's food」と書かれた袋の中には、トマト色をしたピーマンのような丸くて大きなトウガラシがゴロゴロ入っている。サルサ・クリオージャは、大量のロコトにタマネギ、レモン、コリアンダーなどをすり潰してつくったペルーを代表するソース。もちろん、「deli’s」では自家製だ。ちなみに、日本でお馴染みのピーマンの肉詰めは、現地ではロコトに挽肉を詰めたものだそうで、激辛好き国民には欠かせないトウガラシらしい。
幹:メキシコとかもそうだけど、南米はチリ(トウガラシ)の本場だから、すごくたくさんの種類が市場に並んでたりするけど、これは初めて。なんか果実っぽいね。
開:香りも味も、なんとなくフルーツ感があって、ただ辛いだけじゃない。ソースに加えられているレモンとひとつになって、食欲が危険なくらい増殖するなぁ。
砂肝の鉄板焼きで証明済みのグリル使いの妙は、絶妙な下味を付けられたグリルチキンサンドでも爆発。これにサルサをかけたら大変。果てしない食欲が覚醒するうまさだ。合わせるのは、ペルーの国民的飲料のインカコーラ。アメリカでもゴールデンコーラの名前で売られているコーラは、通常のコーラより甘く、炭酸が弱い。甘いといえば、ペルーの人気ドリンク、チーチャ・モラダもかなり甘い。これはペルー産の紫トウモロコシを煮込んで、砂糖やレモン汁を加えたもの。このドリンク類の甘さと辛いソース、さまざまなハーブ、肉の旨味が無限ループのようにこだまするペルー料理。一度ハマると、強烈な依存性がありそうだ。
幹:ちゃんとハーブとかを混ぜ込んだパテを一つひとつ鉄板でグリルして、いろんな具を挟み込む。見た目はアメリカのサンドイッチっぽいのに、味はまったく違う。とにかく、仕事がていねいだし、手を抜かない感じがすごい。
開:キッチンにいるお姉さん、小柄で美人で気さくだけど、料理のバランス感覚は天才クラスだよね。物凄いことを、笑顔でサクサクこなしてる感じ。どれも、全部うまい。姉弟を呼んでコラボイベントやりたいね。
料理だけじゃない、デザートのおいしさにも脱帽。
本来はお菓子屋さんが本業だという「deli’s」には、ひっきりなしにケーキのテイクアウトのお客さんが訪れる。ショーケースに並んだたくさんのメニューは信じられないくらいリーズナブルで、申し訳ないほど大きい。ペルーのリマからやって来たダマキ・フェルナンド(姉)さんと、モロミザード・ロクサナ(弟)さんのふたり。彼らがつくり出す味と温かいムードには、日本人が失ってしまったなにかがある。SNSに投稿される姉さんメイドの注文ケーキの完成度には、インカの民の末裔を感じさせる精緻な造作と完成度にびっくり。
幹:ここのケーキって、なにか原点感があるよね。「そう、このくらいの甘さだよ、そう、君だよ」って感じ。
開:そう。このプリンも、このくらいのやわらかさでいい。いまどきのとろけ過ぎるような感じとか、豪華すぎる付加価値なんていらないと思う。
決して高級じゃないんだけど、いまの時代の「おいしい」とはひと味違った「おいしい」が全部この店にある。そう断言してしまうほど「deli’s」がお気に入りの幹さん。その魅力の焦点は「ずらした価値観のよさ」にあると言う。もちろん、店のふたりに「ずらした」認識はないだろうし、微笑みながら全力投球する彼らの姿は、都会人に元気をくれる癒しのパワーがあふれている。その味の総仕上げは、フェルナンド姉さん得意の、初めてなのに懐かしいデザートだ。
幹:ちょうど僕たち世代が共通してもっているデジャヴュ感みたいなのを、ハートのいちばん奥の方で揺さぶってくるような甘さだよね。
開:ペルーのはずなんだけど、練馬の商店街のおじさんがやってるケーキ屋さんみたいな……。子どもの頃、時々、親にせびって買って貰ってたケーキの味がする。
この店に入るきっかけになった、ハンバーガーの垂れ幕の前で談笑し合うふたりは、店に着いた頃よりずっと元気になっている。垂れ幕に使われているとってもアメリカンなハンバーガーの写真は、店の実物とはまったく別物だ。でも、そんなことはお構いなしに、異国の町で肩を寄せ合っておいしい料理を提供するペルーの人々。「おいしいものってなんだろう?」。そんな飲食の原点について話しながらの帰路は、1時間かからずに表参道に到着。愛川町への小さな旅は、これからのふたりの活動にたくさんのヒントをくれたようだ。
deli’s ケーキ&コーヒー
神奈川県愛甲郡愛川町中津963-1
TEL:046-280-6725
営業時間:16時〜22時(月、水~金)、12時〜23時(土)、12時〜21時(日)
定休日:火
※メニューはほぼすべて持ち帰り可能
https://www.facebook.com/delis16072016