550万人の人口に対して、年間に6800万冊の本が図書館で貸し出されているというフィンランド。2018年に開館したヘルシンキ中央図書館が斬新な建築と優れた設備で話題になると、他の図書館も改めて来館者を集めるようになったという。ヘルシンキで3つの図書館を訪れ、その魅力と背景を探った。
2018年12月にオープンし、翌年には国際図書館連盟(IFLA)主催の「2019年公共図書館アワード(2019 Public Library of the Year Award)」を受賞したヘルシンキ中央図書館「Oodi(オーディ)」。フィンランド独立100周年を祝う国家プロジェクトのひとつとして、また国民への贈り物として、国会議事堂と対面する場所に建設された図書館だ。フィンランド語の「Oodi」が意味するのは、古代ギリシャ劇で神の栄光や人の功績を称えるために歌われる「頌歌(しょうか)」。表現と言論の自由や教育機会の均等を約束する民主主義国家の独立100周年を祝い、文化と芸術を愛する国民を称える意図が名前に込められている。そして、この「Oodi」は洗練された建築デザインも非常に魅力的だが、従来の図書館の枠組みを大きく超えた機能性も話題となっている。
2019年、世界一の公共図書館に輝いた「Oodi」とは?
3階建てのヘルシンキ中央図書館「Oodi」の総面積は10000平方メートル。1階にはインフォメーションカウンターやカフェ、映画館などが設置され、多様なクリエイションを行える2階、読書や学習ができて10万冊の蔵書が並ぶ「本の天国」の3階と、フロアごとに機能が明確に分担されている。その意図を、サービス担当ディレクターのカリ・ラムサさんは次のように説明する。
「この建物の設計コンペを実施する前に、市民から大規模な聞き取り調査を行い、その結果ふたつのアイデアをベースに図書館をつくることが決まりました。ひとつは、読書や勉学に集中できる、静かでリラックスできる雰囲気があること。もうひとつは、コンサートなどの文化イベントが開催され、ものづくりや学びの場として人々の創造性に触れるような場であること。従来の図書館の役割をもちながらアクティブなプログラムを実施するために、フロアごとに完全に異なる雰囲気と機能を持たせることにしたのです」
1階を歩いていると、柱がないことに気づく。この建物は橋梁構造が採用されており、1階の南北から3階に向けて斜めに構造体が伸び、2階部分で交差する形で建物が支えられている。つまりこの建物全体を橋と考えると、1階は橋の下にあたる。広いロビーでは自由なレイアウトでポップアップイベントを行うことが可能で、多目的ホールとカフェやロビーをつなぐ形でのコンサートも開催できる。
「多目的ホールでは毎日2〜3のイベントが開催されているのですが、映像と音響システムは最先端のものです。250席の映画館もあって、そこでは教育イベントが企画されることもあれば、通常の映画上映も行われています。カフェも人気があるので毎日大勢の方々に利用していただいていますが、柱のない空間構造だからこそ人の動きのダイナミズムが感じられます」
ガラスとスチールの構造体で建物が支えられ、曲面を描く木製のファサードが組み合わさった「Oodi」の建築。エネルギー効率なども計算された最先端の建築であると同時に、設備にもまた先端技術が採用されている。
誰もが創造性を発揮できる、民主主義を象徴する場所。
「私たちは今、長さ100メートルの橋の中にいるんですよ」と、2階に上がり橋梁構造の建物について説明するラムサさん。「スチールの柱と木のパネルを組み合わせた空間は人々の作業スペースになっていて、8つの異なるスタジオでフロアが構成されています。人気の図書館なので予約を取るのはなかなか大変ですが、利用はすべて無料です。『表現をしたい』『創作をしたい』という市民の声に応えるために多様なクリエイションの場となることを目指しました」
メンバーカードなどをつくる必要はなく、インターネットでfacebookやgoogleのアカウントを用いて施設を予約することが可能。3Dプリンターやレーザーカッター、大判のポスターを出力できるプリンター、コンピューターにはアドビなどのソフトウェアがインストールされていて、支払う料金は材料費のみ。また、コンピューターゲームの部屋や音楽スタジオ、撮影スタジオなども市民は無料で利用できる。
3階に上がると、いよいよ本が並ぶフロアだ。高い天井が白く波打つフォルムで、低い書架が並ぶ空間には開放感があり、「本の天国」というコンセプトが見事に実現している。このフロアでは、電源付きのテーブルでコンピューター作業をする人も、リラックスできるソファで読書をする人も、子どもに読み聞かせをする家族や勉強をする学生の姿も見かける。いわゆる従来の図書館と変わらない利用者たちの姿だ。そして3階のバルコニーに出ると、そこが広場と道路を挟んで対面する国会議事堂の入口と同じ高さであることがわかる。
「この高さは民主主義の象徴として図書館が建設されたことを意味しています。言論の自由、表現の自由を政府が保障し、均等な教育、知識や文化に触れる機会をすべての市民に約束していることがここに表現されています。この国では、政治と同じぐらい学びが重要であると考えられているからです。もし汚職が多かったり、政府は市民の上に立つ存在だと考える政治家がいれば、このような図書館がつくられることはありません。『Oodi』は政府と国民の信頼関係の象徴でもあるのです」
北欧初の図書館で考える、フィンランドにおける図書館の意味。
1882年に開館したリクハルディンカトゥ図書館は、北欧に初めてできた公共図書館として、1986年まで初代のヘルシンキ中央図書館の役目を担っていた。設立の背景には、高い水準の教育を普及させ、すべての国民が政治参加する意識を共有することが、小国であるフィンランドが生き残るために必要だという考えがある。ここで、この国の歴史を簡単に振り返りたい。
旧石器時代からフィン人とサーミ人が住み続けた現在のフィンランドに、北方十字軍を名乗るスウェーデン軍がやってきたのが1155年のこと。国をつくらずに両民族が住み続けたこの土地を征服し、19世紀までスウェーデン王国が支配下に置いた。そして1808年、スウェーデンとロシアの間に戦争が勃発する。対仏大同盟に加盟していた両国だが、フランス革命によってフランス王政が倒れた後、反ナポレオン政策をとったスウェーデンはロシアと敵対することになったためだ。1809年にフィンランドを戦場とする争いにロシアが勝利を収めると、フィンランドはロシア帝国の保護国フィンランド大公国となった。
なかなか独立を勝ち取れないフィンランド。国土の3分の1にあたる土地を失ったスウェーデン。さらに半世紀後の1864年には、デンマークがプロイセンとの戦争に敗れて領土の一部を失うなどしたため、北欧諸国では、大国に敗れないためにどのような国づくりを行うべきか、という危機意識が共通して芽生えていった。
フィンランドでは、教育水準を高めることで、一部のエリートが利益を吸い上げてしまう従来の仕組みからの脱却を計った。すべての国民が高い教育を受け、すべての国民が均等に成功の機会を得ること。もちろん誰もが成功者になれる国というのは理想論かもしれないが、現にフィンランドは国連が毎年発表する「世界幸福度報告書」で、2018年から20年まで3年連続で首位に輝いている。国内での世論調査からも、人生を選択できる自由を多くの国民が感じており、政府への信頼や社会福祉制度への満足が共有されていることがわかっている。
デジタルが普及しても、紙の本の魅力は失われない。
図書館や学校と共同でオーサービジットの企画運営を行うなど、広く読書のプロモーションを行うフィンランド・リーディング・センターのディレクター、イルミ・ヴィラシスさんは、「図書館は子どもたちが時間を過ごし、集中力を養える場所としても大切な場所」だと語る。
「現在私たちが進めているプロモーション企画のひとつに、『Bookstart Finland』というものがあります。小さな子どもへの本の読み聞かせの普及が目的です。家族のオープンな関係を育み、子どものボキャブラリーを増やし、好奇心を広げるために、手に取って一緒に見つめながらお話を追いかけられる紙の本は、デジタル書籍が普及したいまでもやはりとても大切なものです」
フィンランド・リーディング・センターでは、小さな子どもの保護者や保育士などに向けた読み聞かせの利点やコツなどをウェブサイトやフリーペーパーにまとめ、また、俳優やミュージシャン、YouTuberなどが作家と本について語り合ったり、朗読したりするイベントをキャンペーンの一環として行っている。そこに政府からは準備資金として10万ユーロ(1500万円)ほど、ほかにも多くの財団から支援が行われている。
フィンランドには、1928年に制定され、2017年に改正施工された図書館法がある。そこには「読書文化」を普及させることに加え、「教育と文化にアクセスできる均等な機会」や「生涯学習を通して能力が成長する機会」のすべての国民への提供と、「民主主義と表現の自由に関わる積極的な市民性」を促進することが、図書館の機能として明記されている。
つまりは、民主主義国家としてのアイデンティティを図書館が体現しているのだ。「Oodi」では、市民の声に応えて生まれた豊かなコンテンツと、国会議事堂との立地関係でそのコンセプトを理解することができ、3つの図書館で利用者の話も聞きながら、多くの市民がこの社会サービスを積極的に活用していることもわかった。洗練されていて活発に機能しているフィンランドの図書館にはは、この国が大切にする民主主義の本質が表れているのだ。