ライターの速水健朗さんが、過去のドラマや映画、小説などを通して東京の埋もれた歴史を掘り起こす。明治神宮外苑に多くのスポーツ施設が建設されたのは1920年代だが、当初その目的が富国強兵と結びついていたことをご存知だろうか。
国立競技場や明治神宮野球場などの集まる神宮外苑だが、竣工当時はスポーツ施設というよりも軍部による体位向上の場だったという速水さん。そんな時代背景から現代のように個人の活動としてのスポーツが普及した経緯について、昨年話題となったNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』を引用しながら語ってくれた。
個人のスポーツ普及に向けた、長い戦いが描かれた『いだてん』
宗教施設の一部として生まれた神宮外苑に、スポーツ施設が集まるのはなぜか。神宮野球場(第一、第二)や秩父宮ラグビー場、東京体育館、アイススケート場、テニスクラブ、フットサルコート、バッティングドーム、そしてゴルフ練習所。神宮外苑には、いまでも多くのスポーツ施設が集まっている。前回触れたように神宮外苑は、大日本帝国時代の帝都にふさわしいスケールを備えた近代的公園、および公園道路として1920年代初頭につくられた。その外苑がスポーツ施設を集めた場所になった経緯を理解するには、時代背景を知る必要がある。
当時の日本は、日清、日露、第一次世界大戦と連戦連勝の強国。さらなる軍事大国として強大化するためには、軍備だけでなく兵隊となる国民自体の体位向上が不可欠だった。つまり、スポーツ競技以前に「体育思想」が存在したのだ。
運動が国家の目的だった時代に、それを個人のためのものに変えていこうとした人々を描いたのが、2019年のNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』である。明治後期から1964年の東京五輪開催までの時代を舞台に金栗四三、田畑政治、嘉納治五郎ら実在した人物をも登場人物に据え、スポーツ普及の夢を勝ち得る長い戦いの過程が描かれた。
阿部サダヲ演じる“まあちゃん”こと田畑政治は、三波春夫が歌う「東京五輪音頭」(作詞/宮田隆 作曲/古賀政男 1963年)の歌詞「♪ 顔と顔」の部分にいたく感動し、そのフレーズを何度も日常の中で繰り返す。オリンピックは、国のものではなく個人のもの。彼の夢が歌で表現されていたことを喜んでいるのだ。そのまあちゃん自身は、利用してきたと思っていた政治に破れ、組織委員会事務総長の座から失脚してしまうのだが。
『いだてん』は、外苑の国立競技場を巡る物語でもある。神宮外苑に明治神宮外苑競技場が完成したのは、1924年のこと。開場する直前のタイミングで関東大震災(1923年)が襲い、一時は被災者の収容施設としても使われていたエピソードがドラマでも描かれている。そこから約20年後の戦時中には、学徒出陣壮行会という国家の目的を果たす場所として用いられる。スポーツ競技を開催するための場所が、庶民のために使われたり、国家的な目的に利用されたり、まあちゃんたちの目論見通りにはいかない。ドラマの大団円は64年の東京オリンピック。もちろん国立競技場での開会式や閉会式の様子も描かれている。
競技としてのゴルフに、サラリーマン文化を上乗せした日本人。
話は変わるが、ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースの作品に、東京を撮影して回り製作した『東京画』というドキュメンタリーがある。地下へと続く長いエスカレーターやレストランの入り口に並ぶ蝋でつくられた食品サンプルなど、ヴェンダースの目に奇妙に映った東京の風景にカメラが向けられている。なかでもヴェンダースが強く関心を示したのがゴルフ練習場の光景だ。まずは丸の内の交通会館の屋上フロア、展望レストランの目の前にあったスポニチゴルフガーデンである。ここで都心の打ちっぱなしに興味をもったヴェンダースは、次に後楽園遊園地の元競輪場のスタンドに開設されていたゴルフ練習場に出かけていく。よっぽど気になったのだ。
神宮球場の北側にもゴルフの打ちっぱなし練習場がある。ふつうゴルフ場は自然に囲まれた場所にある。その反対にゴルフショップは銀座など都心に多い。打ちっぱなし練習場があるのは、その中間の郊外。外苑の森は人工的な都心の森で、かなり特殊な例外といえる場所。
外苑の歴史は、戦前戦後のスポーツ普及の歴史と重なる。ゴルフは他の多くのスポーツと同様、明治大正期に輸入され、戦後に庶民のものとして普及していった。明治神宮外苑にゴルフ練習場が登場したのは1953年である。これは第一次ゴルフブームの少し前の時代。50年代の流行語に「社用族」という言葉がある。社費で飲み食い遊興に興じる人々を揶揄したものだが、ゴルフもその遊興の一部だったのだろう。とはいえ、当時の外苑のゴルフ練習場は、神宮球場外野席を使ったもので、野球の試合がない日のみゴルフの練習用に開放されていただけである。
外苑に常設のゴルフ練習場がオープンしたのは、72年のこと。翌73年には、第二練習場が開設する。当時は第二次ゴルフブーム。この時期、日本の各地にゴルフ場がつくられ、一気に大衆化が進んだ。神宮の施設は4階建ての巨大打ちっぱなし場だが、その打席は連夜賑わっていたという。
ヴェンダースが83年に来日したときに撮影した有楽町と後楽園のゴルフの打ちっぱなしは、いまではもう存在していない。そもそも都心のゴルフ打ちっぱなしは、いまや絶滅寸前である。外苑は、都心の人工の森という特殊な場所だから残ってきたのだろう。
『東京画』で打ちっぱなしに興じる日本人たちの姿を撮っていたヴェンダースは呆れている。なぜこんなに夢中なのか? 競技としてのゴルフの目的を知らずにやみくもにゴルフクラブを振り回しているのではないか? なぜ都心? 当然、ヴェンダースは疑問に思う。そして、おそらくこうも思っている。自覚も目的もないままに突き進む性質をもつ日本人たちは、同じようなノリで東京の街をやたら開発し、過去の美しい都市の風景を破壊したのではないかと。
そもそもヴェンダースは、聖地巡礼の旅をしていたのだ。大好きな小津安二郎が撮った東京の面影を探す旅。だが、80年代前半の東京に小津映画の面影は残っておらず落胆する。ヴェンダースの視点にはオリエンタリズムが含まれているが、都心のゴルフの打ちっぱなしを奇異に感じる感覚は、それは別として面白い。そこには日本人への批評が含まれている。本来的には自然と触れる競技であるゴルフを輸入する際に、サラリーマン・接待文化の部分を上乗せし、都市文化に書き換えたと。
ちなみに外苑の練習場は残ってはいるが、2020年3月現在は営業休止中である。今回の東京オリンピックで場所を供出するため、再開は未定という。かつて東京に固有の都市的風景だった都心のゴルフの打ちっぱなし練習場が今後も残るかどうかの瀬戸際。オリンピック後の営業方針について、少しだけ気にしてみようと思っている。