「月光仮面」を通して読み解く、かつての銀座と現代への予言。【速水健朗の文化的東京案内。銀座篇②】

  • 文:速水健朗
  • 写真:安川結子
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スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通し、埋もれた歴史を掘り起こす。今回は1981年に公開された「月光仮面」の映画に着目。舞台として描かれた銀座の街が、時代をどのように映していたのかを読み取っていく。

速水健朗(はやみず・けんろう)●1973年、石川県生まれ。ライター、編集者。文学から映画、都市論、メディア論、ショッピングモール研究など幅広く論じる。著書に『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。

銀座の過去を振り返るにあたり、速水さんが続いて選んだ題材は、意外にも日本のヒーローものとして1950年代から人気を博した月光仮面。81年には映画も公開されているが、その舞台が銀座だった。背景には現代社会にも通じる深い予言が込められていたようだ。

銀座コアの屋上に、月光仮面現る。

1958年に放映を開始した『月光仮面』のリメイクだが、社会について考えさせられる大人向けのストーリーに。ジョニー大倉や地井武男、ガッツ石松など豪華キャストにも注目。『月光仮面 THE MOON MASK RIDER』(監督:澤田幸弘 1981年 日本ヘラルド映画 販売元:KADOKAWA)

月光仮面は、戦後の最初期に人気となったテレビヒーローで、その後の戦隊モノや仮面ライダーシリーズに多大な影響を与えた存在だ。テレビ放映は1958年。高度経済成長が始まろうとしていた時代である。正義の味方の存在を、おそらく誰もが素直に受け止めていた。

月光仮面の存在は知っていたが、自分が子どもの頃にリメイク版の映画が公開されていたことは知らなかった。81年の映画『月光仮面 THE MOON MASK RIDER』である。当時はさほど話題にならなかったはずだが、観てみるとわが人生でも最高レベルの衝撃作品だった。

まず、敵の存在が突き抜けている。理想国家「ニューラブカントリー」の建国に向け活動を行うカルト宗教団体が登場する。ヒロインの志穂美悦子が演じているのは、ギャング組織「レッドマスク団」の構成員。レッドマスク団は教団の下部組織で、信者たちに隠れて資金集めをしている。これらのモデルになっているのは、おそらくはガイアナの人民寺院事件(78年)とブラックパンサー党(60~70年代)。前者は、カルト宗教人民寺院に集まった1000人近くの信者が集団自殺を遂げた事件だ。後者は、アメリカの過激な黒人解放グループ。子ども向けとは思えない題材が取り上げられている。

話を進める前に、映画でどのように銀座の街が描かれているかを振り返っておきたい。志穂美が当時のことをブログに書いている。

「物凄くごった返す歩行者天国を舞台に、さっそうと駆け抜けた、、ような、、、アクションしたっけ!?」

実際にはやや様子が異なる。銀座での場面は存在するが、人混みの中を駆け抜けてはいない。カットされたのかもしれない。彼女の記憶通りなのは、人混みの中での隠し撮り。映画には、ぶっつけ本番の撮影と思われる場面が多数使われている。映画に映る当時の銀座の歩行者天国は、いまよりも人が多く活気がある。この銀座に月光仮面が降臨する。

1971年開業の老舗ファッションビルである銀座コア。開業当時はラジオ番組の公開録音なども行われていた。

カルト教団に対抗するのが正義の味方である月光仮面だが、そう単純な話でもない。強盗事件が起きた後日、警察のもとに月光仮面から、奪われた現金を返却するという電話がかかってくる。取引の場所は休日の銀座。歩行者天国が開催されている最中に、である。

警察が電話の指定通り、日曜日の歩行者天国で待っていると、確かに現金が入った自走式のトランクが発見される。だが、中には4億5000万円しか入っていなかった。奪われた額は5億円である。トランクの中には月光仮面からの手紙が添えられていた。「手数料として10%差し引かせていただきます」。この主張に警察も世間もあっけにとられてしまう。

月光仮面が姿を現すのはその直後だ。銀座4丁目の交差点近くに位置する、銀座コアの屋上に月光仮面が立っているのを子どもが見つける。ちなみに銀座コアは、3基のシースルーエレベーターが特徴的なビル。71年に開業し、当初は松下電器のショールームだった。現在はショップとレストランがテナントに入る複合商業施設である。

現在のイグジットメルサ。1階から8階までカフェやアパレルショップが並び、免税店も入っている。

月光仮面が立っているコアの向かいにはニューメルサがある。ニューメルサの開業は77年。“ニュー”が付いたネーミングと四角い枠が並ぶファサードが70年代的である。メルサのネーミングは、「名鉄エレガンス・レディース・ショッピング・アベニュー」の頭文字を略したもの。このニューメルサは2015年9月に名称をイグジットメルサに変更し、リニューアルオープンしている。映画の中のニューメルサ付近には、銀座婦人服ダイアナ、ヨシノヤ靴店などの看板が見える。こうした老舗は看板こそ当時のままではないが、いまも営業している。

突如ビルの上に現れた月光仮面は、ヒーロー登場というよりも、やばい奴が現れたという印象を抱かせる。演出上の意図もそれに近いものだろう。

銀座に巻き起こる、空前の月光仮面現象。

1950年代の銀座の夜の様子。森永の地球儀ネオンの見える場所には、現在アルマーニ銀座タワーが立っている。photo by The Asahi Shimbun/Getty Images

リメイク版『月光仮面 THE MOON MASK RIDER』は、正義と悪の対立の物語ではない。むしろ、カルト教団と月光仮面の登場を格好の消費材料にするメディアと、それに狂喜する日本国民の姿を描く物語だ。23年ぶりに姿を現した月光仮面を、連日テレビのワイドショーが報道。中年男性たちは少年時代のヒーローの再登場に歓喜する。若者たちは月光仮面のコスプレをしたロックバンドに夢中になる。それぞれの世代に月光仮面現象が広がっていく。

映画では、無人島に隔離され、「ニューラブカントリー」の理想をカルト教団により植え込まれた若者たちが描かれる。彼らとテレビに洗脳された日本国民の本質はなにも変わらない。映画の裏側に描かれたのは、そんな社会批判なのだろう。月光仮面が手数料として差っ引いた5000万円は、工場の爆発事故の被害者たちに寄付される。結局、月光仮面は正義を貫いたのだという脚本の意図かもしれないが、それすら裏読みが可能である。正義の行為もまたテレビのワイドショーの格好のネタとなったとなったのだ。あらゆることがメディアを通した浮かれ騒ぎでしかない。

月光仮面の原作者は川内康範。楽曲「おふくろさん」のオリジナルに当初なかったひとり語りのパートを森進一が無断で加えたことに抗議し、「森にはもう自分の曲を歌わせない」と宣言して騒動となった、あの作詞家である。川内は、リメイク版でも脚本を自ら担当している。彼の著書を読むことで、この映画の思想背景が読み解ける。

「ちょうどテレビが現代文明のシンボルのように浮かび上がり、洗濯機や電子計算機がもてはやされ、世はまさにコンピューター万能の時代にさしかかっていた。私が『月光仮面』を書き、テレビ化させたのは、こうした時代がいずれは日本人たちに精神的な欠落をもたらすであろうとの憂慮が契機であった」(『アメリカよ驕るな!!―月光仮面最後の警告!!』川内康範 K&Kプレス)

川内は子ども向け番組を通して、日本人の精神的な欠落を描き出そうとしていた。戦後の復興期にはあった日本人の協同の精神が、月光仮面の放映を開始した1958年には失われているように彼には見えていたのだ。映画はその23年後。さらに増した精神的な欠落が描かれたのだろう。

銀座の街がメディアだった時代を思いながら歩く速水さん。SNSの登場により、“場所”がメディアとなることはほとんどなくなったといえる。

月光仮面は正義の味方ではなく、正義の味方というテレビ現象なのである。月光仮面のメディアジャックは、彼が銀座に登場した瞬間から始まっている。なぜ銀座に現れたのか。それは、東京を代表する消費の中心地だからだ。毎日がお祭りのように騒がしい銀座の街は、多くの人々の注目を集める場。つまり衆人環視のメディアであるテレビと同じ機能をもつ場所として、街が描かれている。

銀座の街がメディアだった時代。その始まりは1950年。銀座4丁目の鳩居堂の屋上にネオンサイン広告(武田薬品)が設置された年だ(『ネオンサインと月光仮面』佐々木 守 筑摩書房)。これを手がけた広告代理店の社長である小林利雄は、その8年後に『月光仮面』の「企画」としてクレジットされる立場になった。代理店の次にテレビドラマの制作会社を起こしたのだ。ドラマの実制作に直接は関わっていなかったようだが、実質的なプロデューサーだったことが興味深い。

インパクト大の映画『月光仮面 THE MOON MASK RIDER』だが、この作品は予言的でもあった。映画の3年後に実際に起きた「グリコ森永事件」。江崎グリコ社長の誘拐事件に端を発し、菓子の毒物混入事件に発展。「かい人21面相」を名乗る犯人は、新聞社に向けて「ちょうせん状」なる要求を再度にわたり突きつけた。劇場型犯罪という言葉が、この事件を巡って生まれている。結局、事件は解決には至らず、メディア現象としてのグリコ森永事件の騒ぎだけが記憶された。

話はこれで終わらない。事件の最中に川内は『週刊読売』の誌面を通じ、「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手を引け」と犯人に通告してメディアフィーバーを加速させた。月光仮面が矛盾したヒーローとして描かれたのと、川内自体の存在が重なって見える。

テレビの中の、誰もが信じていた正義の味方。それがメディアの中の出来事でしかないことをヒーロー自らが告発する。そんな月光仮面の自己矛盾は、マスメディア時代の予言のようだ。誰も気付かなかっただけで、月光仮面によってすでになされていた予言。そしてSNSが生み出している状況に世界中が振り回されるいま、再び効力を得ている。優れた予言は一度のみならず、時代が繰り返す度に的中し続けていくのだ。


【銀座篇③アイビーとVAN、そしてみゆき族の足跡を辿る。】に続く。