スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通し、埋もれた歴史を掘り起こしていく。今回は銀座エリア。1970年に開始された中央通りの歩行者天国から、知られざる銀座の姿が語られる。
過去の映画やドラマを通し、埋もれた東京を紹介するこの連載。今回訪れたのは、銀座エリアだ。”銀座”と言われて多くの人が思い浮かべるのは、老舗の喫茶店やバーなどノスタルジックな店だろうか。 速水さんが最初に向かったのは、中央通りの歩行者天国。「銀座の歩行者天国が始まったのは1970年。当時の様子から、銀座がどのような場所だったのかを解説します」。これまで他の銀座案内では触れられてこなかった、予想外の一面が見えてきそうだ。
広告史の転機となった、「モーレツからビューティフルへ」
1970年。いまからほぼ50年前に広告史の転機となる、ある有名なCMがつくられた。キャッチコピーの「モーレツからビューティフルへ」の文字以外は、ナレーションもない。「BEAUTIFUL」と書かれた紙を持った男が銀座の街をふらふらと歩いている。特に説明はない。男はサングラスをかけていたし、観た人は、「誰?」といった感じだったろう。男は歌手、作曲家、プロデューサーの加藤和彦である。「帰って来たヨッパライ」の大ヒットが67年。ザ・フォーク・クルセダーズは1年で予定通りに解散。加藤はアメリカに渡りあちこち訪ね、サンフランシスコでヒッピー文化の洗礼を受けていた。
帰国した加藤のもとに演出家からCM出演の依頼があった。「銀座の松屋の前で紙を持って歩いてくれるだけでいいです」と(『加藤和彦ラスト・メッセージ』加藤和彦 文藝春秋)。声をかけた演出家は杉山登志である。この3年後に「嘘をついてもばれるものです」で結ばれる遺書を残して自死した伝説のCMディレクターだ。画以外のメッセージがなければないほどいいというのは、杉山の作家的特徴でもある。彼の撮る映像は、画だけで人になにかを訴えた。杉山の自殺の理由は、いまでも謎だ。遺書の「嘘をついてもばれる」とは、どういう意味か。広告が嘘だなんて、素人でも知っている。それをプロ中のプロが気にしていたのか。
テレビの前の人々は、なんの商品も登場しないこの富士ゼロックスのCMにあっけにとられた。プロデューサーは、電通で同時期に「DISCOVER JAPAN」を手がけた藤岡和賀夫。彼ですらも、若者が登場して歩くだけという白昼夢のような映像に首をかしげて文句を言ったという。だがこのCMが話題を呼び、特に若者からの大きな反響を得たことから「これでよかったのだろう」と感想を漏らしている(『あっプロデューサー』藤岡和賀夫 求龍堂)。情報量が少ないようだが人の関心を集める、加藤和彦という人選も重要だったのだろう。
広告史の転機となるCMはいくつか存在する。1990年に放送された佐藤雅彦のポリンキーは、テレビをBGM代わりに流す視聴スタイルが増えた当時の風潮の逆手を取り、直接商品名を連呼するCMだった。近年、広告史的転機があったとするならハズキルーペだ。商品のよさを有名人たちが口々に発する。逆手を取ったつもりも、あえて素人っぽくつくったわけでもない。単にストレート。それを消費者が素直に受け入れる時代というのは、YouTube時代と関連しているのか。ちなみに、ハズキルーペを買っているメイン層は、「モーレツからビューティフルへ」を観ていたかつての若者世代なのだ。「モーレツからビューティフルへ」、さらに「ハズキルーペ」へ。
銀座をふらふらと歩くだけのCMが話題になったのと同じ年、同じ場所で、歩行者天国が始まった。1970年8月2日。始まってまだまもない銀座の歩行者天国が映っている、73年の映画『野獣狩り』がある。
主演は、藤岡弘。若くて正義感が強く、血気盛んな刑事だ。コーラ会社の社長が「黒の戦線」を名乗る組織に連れ去られる誘拐事件が発生した。犯人の要求は、コーラの原液という企業秘密の公表だ。本部をアメリカにもつ企業は、この要求を認めない。要求が8000万円の現金に変わってもやはりノー。世間は大企業の人命軽視を批判する。彼らは極左組織であり、金のためではなく大企業批判のために誘拐を試みたのだ。ベテラン刑事たちは、普段通り事件の捜査を進めるが、藤岡演じる若き刑事はむしろ犯人たちにシンパシーを覚え始めている。
歩行者天国から発せられた、新たな時代のスタイル
映画には、当時の銀座のさまざまな風景が映っている。日曜日の銀座、歩行者天国の中央通りを新橋側から遠景でカメラが捉える。築地側には三菱銀行や中央信託銀行の看板が確認できる。海外高級ブランドの路面店がない時代の銀座は、老舗と銀行の窓口が多かった。TOTOビルも映っている。しだいにズームアップされ、銀座4丁目周辺が映し出される。いまよりも大きなワシントン靴店の看板がくっきり見える。銀座には多くの老舗が残っているので、昔といまの比較が可能だ。もちろん、和光ビルの時計も同じ場所。この辺りは現在の銀座以上に賑わっている。
カメラは数寄屋橋に移動。有楽町マリオンができるのは1984年だから、映画の中ではまだ存在していない。当時は、ウエスタンカーニバルで知られる日劇がこの場所にあった。日劇前では、クルマの展示イベントが行われている。ケンとメリーの相合い傘のロゴ。ということは、”ケンメリ”の時代の日産スカイラインだ。カメラは銀座4丁目の交差点に戻る。銀座三越の壁面には、「有名女優ヌード展」と書かれたプレイボーイ誌の巨大な広告の垂れ幕がかかっていて驚く。
刑事が走って誘拐犯を追跡する場面では、もっと細かな路地も映っている。刑事が飛び出してくるのは、KETEL’S RESTAURANTの看板脇。銀座5丁目5−14。30年代からあった老舗のドイツ料理店だが、その後閉店。
映画のラストでは、犯人たちが有楽町の東宝ツインタワービルの屋上にライフルを持って立てこもる。この前年にあさま山荘事件が起きている。映画は、連合赤軍による立てこもり事件を題材にして、舞台を高原の別荘地から銀座という都会のど真ん中、衆人環視の環境というシチュエーションに移し替えたのだ。
誘拐された社長の死体が、札束の入った鞄とともに逆さ吊りにされる場面で、このビルの特徴的な建築デザインが大写しになる。建築設計は、帝国劇場も手がけた谷口吉郎。ちなみにこのビルは2019年末で閉館し新たなビルに替わる。
テロリストは社長を処刑し、8000万円の身代金を払わず見殺しにした会社批判の声明を民衆に向けて発表。革命家たちへのシンパシーを感じたこともあった主人公だが、人間の命を軽視し、自分たちのイデオロギーを優先させる彼らに怒りを覚えて拳銃で撃つ。「これが革命か」と問うと、犯人は「死ぬことが革命だと言っただろう」と捨てぜりふを残した。死にざまの残像を人々に残すことが、彼らの真の目的。目的は成就したのだ。
広告的転機となるCMの舞台。映画の中の劇場型テロリズムの舞台。当時の銀座は、人々になにかを伝えるのにふさわしい場だった。
たとえば日清食品は、販売開始まもないカップヌードルの試食販売を銀座三越前で行った。1971年11月21日の日曜日、歩行者天国の開催日。銀座でなら立って食べる新たなスタイルのカップヌードルを若者に周知させることができるという目論見だった。歩きながら食べる若者向けの食べものとして登場したものに、ハンバーガーもある。71年7月には、銀座三越の1階にマクドナルド1号店の店舗ができた。同時にこちらの試食販売も歩行者天国で行われた。その当時の若者というと、やはりハズキルーペを買っている世代ということになる。ハズキルーペのCMで舞台となっている高級クラブも、おそらく銀座という設定にちがいない。