スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通して、埋もれた歴史を掘り起こします。駅周辺の大規模開発が進む渋谷は、これまでも時代によって印象を大きく変えてきました。今回も引き続き「渋谷は子どもの街か、大人の街か」という切り口でこの街をひも解きます。
百貨店の屋上に最後に行ったのはいつでしょうか? 近年は気づけば閉鎖されていることも少なくありませんが、かつては華やかな憩いの場として多くのドラマや映画の撮影に用いられてきました。今回速水さんが足を運んだのは、場末と位置づけられていた渋谷の街を一変させた、東急百貨店です。1970年代~80年代、華やかさがまだ残る東急百貨店の屋上を映した映画から、大人になりきれない男たちの姿が見えてきます。
東京中を見渡せる気がした、百貨店の屋上。
2019年7月、東急百貨店東横店の閉店が発表された。20年3月末で86年の歴史に幕を閉じることになった。戦火から逃れ、営業を続けた東横店。歴史的な存在意義のわりには、さして大きな話題にはならなかったように思う。
厳密には、最初期の東館は2013年に閉店済み。今回営業を終了するのは、後に増床された西館、南館で、それぞれ1954年、70年より営業していたもの。歴史的建造物として保護するには新しすぎ、継続するには古すぎたということか。この百貨店大閉店時代にいまさらなのか、東急グループが渋谷駅周辺に商業施設を同時並行的に開業させているラッシュのさなか故に埋もれたのもあるだろう。
東横店といえば屋上である。最も古い東館屋上の施設「ちびっ子プレイランド」は、既に閉鎖済みだが、残りの一部はビアガーデンなどで残されている(19年夏現在)。さすがに敷地面積も小さく、盛り上がっている感じは受けない。かつての百貨店の屋上は、だれでも入れる憩いの場のような場所だった。いや、それ以前には、子どもたちが目の色を輝かせてやってくる百貨店の華が屋上だった時代がある。僕の世代は、その時代のことは知らないが。
百貨店の屋上は、よくドラマや映画にも使われていた。1984年公開の映画『チ・ン・ピ・ラ』では、かつての東横店屋上が撮影に使われている。主人公2人がベンチに並んで子どもの頃の百貨店屋上での思い出話をしている。
「俺がガキの頃なんか、あまり高いビルなんかなくてよ。この上登ると東京中がみんな見渡せる気がしたんだけどな」
「そうだろうなあ俺が東京出て来た時に比べてもずいぶん変わったし」
「たっけーなあ。ほらあのビルなんてまだなかったしよ」
「やっぱり屋上はデパートが最高だね」
「まあな」
超高層ビルが立ち始める1970年代以前、デパートの屋上は街で一番高い場所だったのだ。『チ・ン・ピ・ラ』の主演は、柴田恭兵とジョニー大倉のコンビ。彼らは、やくざの下で競馬のノミ屋の仕事をしているが、本物のやくざになることは拒んでいる。自由でいること=チンピラなのだ。そんな彼らが根城にしているのが渋谷。デパートの屋上をたまり場、連絡場所にしているというのも彼らが大人になりきれない故。
映画『チ・ンピ・ラ』は、それ以前の実録路線、任侠路線とはまったく違った、都市に浮遊する新しい時代のやくざ映画だった。地元の利権をめぐってのいざこざが描かれたかつてのやくざ映画と違い、地元に根ざさない浮遊した存在。だからこそ高いところが好きとの解釈もできる。
映画のクライマックスである銃撃戦の場面にも百貨店が使われているが、そのシーンの撮影秘話を監督の川島透がラジオで話していた(『川島透ほぼノンフィクション劇場 映画を追いかけて』第48回 九州朝日放送)。銃撃戦は一発本番、エキストラを使わずに撮影が行われたという。ジョニーと恭兵が撃たれて血まみれになる場面に出くわした客の表情が、あまりに突然のことで驚くことすらできないでいる。一瞬後に及び腰で逃げ出す。人は、本当に驚くとこういうリアクションになるのか。彼らは、本当に百貨店の客だったのだ。いまでは考えられない。もちろん、百貨店や道路の撮影許可は取っていたという。だが、客には伝えないまま、ゲリラ的に撮影が行われた。別の場所でリハーサルが行われ、入念な準備の上で東急本店前にスタッフたちは集合した。騒ぎになれば、撮影はできなくなる。カメラは目立たないところにセットされ、監督の川島は、無線機を通じて小さな声で「用意スタート」の合図をかけたという。
直前のシーンは東横店の屋上だが、映画のマジックでエレベーターで降りてくるところで渋谷東急本店に変わっている。なので、このクライマックスシーンは、東急本店前である。
百貨店の屋上が衰退したのは、消防法改正のため。
渋谷の駅から東急本店に向かう通りは、現在はなんということもない場所だが、昔はここが渋谷のメインの通りだったのだろう。1971年公開の映画『不良少女魔子』には、この通りにコカ・コーラのロゴ入りの赤白のベンチやパラソルが並んでいる華やかな光景が映っている。歩行者天国も実施されていたようだ。この道は、東急百貨店東横店と本店(1967年~)がつながるセンターライン。まだパルコも公園通りもない時代の渋谷だ。
1970〜80年代は、まだ百貨店が消費の王様だった時代。ただ、百貨店の衰退期は屋上から始まった。歴史をたどると明確に転機となる事件があった。72年の千日前デパート火災である。死者118名の大惨事。これを機に、消防法が改正。屋上は安全管理のための場所として使われるようになり、大型遊戯施設は撤去を余儀なくされる。『チ・ン・ピ・ラ』に描かれたデパートの屋上に哀愁が感じられるのは、こうした背景があった。もう一本、『チ・ン・ピ・ラ』より5年ほど古い、79年公開の『太陽を盗んだ男』にも同じ場所と思われる百貨店の屋上が描かれている。こちらには、まだ華やかさが残るデパートの屋上の雰囲気が残っていて、カラフルなパラソルが目を引く。
屋上にはたくさんの公衆電話が並んでいて、利用者が多かったのだとわかる。主人公役の沢田研二が、この公衆電話から警察に脅迫の電話を掛ける。沢田が演じるのは、中学の理科の教師。盗み出したプルトニウムから原爆をつくり、さまざまな脅迫を繰り返す。ナイターの中継を延長しろ、ローリング・ストーンズの来日公演を実現しろだのと、ふざけた要求だ。この屋上からかけた電話でも、渋谷区神南の交差点のビルから1万円札をばらまけと要求をする。
渋谷とジュリー(沢田研二)。ちなみに閉館した渋谷公会堂で最も数多くコンサートを行い、ラストの公演を飾ったのもジュリーだった。『太陽を盗んだ男』にこんな台詞がある。刑事役の菅原文太が「高いところが好きか」と犯人役の沢田に問いかける。ラスト付近のふたりの攻防戦の場面。沢田が「ああ。馬鹿ほど高いところに上がりたがる。優しい気持ちになる。高いところから街を見ると」と答えた。まさに『チ・ン・ピ・ラ』のふたりとも重なる。彼らは百貨店の屋上が好きなのだ。大人になりきれない故である。