速水健朗の文化的東京案内。【渋谷篇②西武・セゾン文化と大人の街】

  • 文:速水健朗
  • 写真:安川結子
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スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通して、埋もれた歴史を掘り起こします。第2回は渋谷エリア。駅周辺の大規模開発が進む渋谷は、これまでも時代によって印象を大きく変えてきました。今回は「渋谷は子どもの街か、大人の街か」という切り口でひも解きます。

速水健朗(はやみず・けんろう)●1973年、石川県生まれ。ライター、編集者。文学から映画、都市論、メディア論、ショッピングモール研究など幅広く論じる。著書に『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。

渋谷は、時代によって子どもの街と大人の街の間で揺れていた、と話す速水さん。スペイン坂の歴史を振り返りつつ、そのことを示してくれました。

そして今回は、スペイン坂を舞台に描かれたトレンディドラマ『君の瞳をタイホする!』に映る西武・セゾン文化が、渋谷に与えた影響について解説してくれます。いまではあまり聞かなくなった西武・セゾン文化が、都市形成にどのように関わっていたのでしょうか?


前回【渋谷篇①トレンディドラマと渋カジ族のスペイン坂】はこちら

西武渋谷店が押し上げた、コム デ ギャルソンやイッセイミヤケ

久保田利伸の主題歌「You were mine」とともに、陣内孝則、柳葉敏郎、三上博史が巨大化したビリヤードの玉から逃げ回るオープニングが印象的。『君の瞳をタイホする!』(脚本:橋本以蔵、関澄一輝 1988年 フジテレビ DVD販売元:ポニーキャニオン) 

フジテレビのトレンディ路線ドラマ第一作目『君の瞳をタイホする!』の主要キャストである、陣内孝則、浅野ゆう子、柳葉敏郎、三上博史らは、放映時アラサー世代だった。いまの感覚では若者の範疇に入る年齢だが、当時は若者ではなく大人だった。アラサーという言葉などなかった80年代、彼らに当てはまるのは“ヤングアダルト”である。こちらは現在では使われなくなった言葉だ。英語圏での“young adult”の意味とは違って、若者寄りの中年といった感じだろうか。ちなみに若者役としては、20歳だった蓮舫が出演している。合コンが好きな軽いノリの婦警の役だ。

アフター5に存分に遊び、流行の服を着て、仕事よりも恋愛を優先する。それがトレンディドラマの描いたライフスタイルだった。同時にこの時代には、大人がかっこいいという空気があった。ここでの大人とは、前出のトレンディなライフスタイルの大人というニュアンスである。かつてはなかった消費のふるまいが許されるようになってきた80年代。“ヤングアダルト”という言葉も、まさに新しい大人像を表す言葉だった。それは、実際の渋谷で1987年冬から1988年にかけてロケ撮影されたこのドラマの描き方にも表れていた。

『君の瞳をタイホする!』には、渋谷・西武百貨店の別館である渋谷西武シード館の売り場がよく登場した。脇役の石野真子が演じているのがシード館の販売員である。シード館は、1986年にオープンした西武デパートのインターナショナルブランドを集めたビル。彼女の担当する売り場には「CAPSULE(カプセル)」の文字が見える。70年代、国内の無名の若手クリエイターたちを起用したセレクトショップの先駆けともいえる売り場がカプセルだ。ここからコム デ ギャルソンや山本寛斎、イッセイミヤケなどが名を広めた。

ちなみにこのシード館には、ミニシアターでライブやイベントも行われたシードホール(1986~95年)もあった。シード館自体は、1999年に改装されてモヴィータ館に名称変更。いまでは無印良品がテナントを占めている。無印良品はセゾングループから離れて久しいが、生き残ったセゾン文化の代表的存在だ。

伝説のショップ「カプセル」は、日本では当時まだ無名のラルフ ローレンと契約し、メジャーブランドに育てた。デパートとは思えないくらいにサイケデリックな内装が施されていたという。写真:ACROSS編集室 1987年10月

『君の瞳をタイホする!』の役柄の話をしておくと、浅野ゆう子は陣内たちの上司である私服刑事の佐藤真冬役。設定に男女雇用機会均等法施行(1986年)直後という時代背景も見える。小学生の娘をひとりで育てるシングルマザーでもあった。主役の陣内孝則は新人の刑事である沢田一樹。彼らは一様にDCブランドのスーツを着ている。70年代半ば〜80年代末にかけて盛り上がった、国内デザイナーズブランドによる既製服である。それまではモード・ファッション系のスーツを着た刑事はドラマの中でもいなかった。「公務員は、じじむさくて、給料が安くて」と沢田(陣内)が嘆く。安いボロアパートに住み、生活を切り詰めて服に給料をつぎ込んでいる。アパートに置かれている“BOY”というロゴのファンシーケースにあの時代の若者の物哀しさがにじんでいる。バブル時代だからといってだれもが金をもっていたわけでなかったのは事実。

一方、同僚の柳葉敏郎演じる土門は、親が建設大臣という設定。高級オーディオ、バーカウンターにスツールが備わった高級マンションに住んでいる。バブル期とお坊ちゃんブームは同時期の現象である。『踊る大捜査線』シリーズで警視庁キャリアの室井慎次役を演じることになる柳葉がこの時点で既に刑事を演じていたことにも触れておきたい。一方、三上博史演じる田島は、女性の前では優柔不断で引っ込み思案だが、犯人を前にした時は強気な刑事。東大出身という設定はドラマを通してあまり活きていない印象だが、“高学歴”“高身長”“高年収”の“3K”がもてはやされた時代でもあり、三上には“高学歴”の役割が与えられていたのだろう。

バブル期の渋谷は、“新しい大人”が集まる街だった。

1968年オープンの西武渋谷店。渋谷パルコ、シード館、ロフト館など、異なるコンセプトの別館を周囲に続々と展開した。

30年前のドラマなので説明が長くなったが、現代においてはもはや“セゾングループ”についても説明が必要だろう。西武の本体は鉄道である。創業者の堤康次郎が1964年に他界すると西武は大きくふたつに分裂する。康次郎の三男である堤義明が、西武の本体となる鉄道と系列企業であるコクド(もと国土計画)やプリンスホテルなどを引き継いだ。次男である堤清二は、80年代にセゾングループと呼ばれるようになる百貨店グループを継いだのだ。

なぜ西武なのにセゾンと呼ぶのか、不思議に思っていた。前提として、堤清二は、本体から離れた“脱西武”を進めていたのだ。具体的には、広告によるイメージ戦略、文化事業重視という路線による百貨店経営である。

「ビジネス全体がセゾン色に染まるまで八〇年代いっぱいかかった」(『セゾン文化は何を夢みた』永江朗 朝日新聞出版)というのは、自身もセゾン系列の洋書販売店アール・ヴィヴァン出身の永江朗。セゾン色というのは、まさに西武の文化戦略のこと。ネーミングとしての“セゾン”は、1983年に始まる“セゾンカード”から生まれている。カードのブランディングで使い始めた“セゾン(フランス語で季節を意味する)”という言葉。この頃が西武百貨店の全盛期でもあり、トップである堤清二自身も1975〜83年の間が百貨店としての西武のピークと感じていたと振り返っている(『ポスト消費社会のゆくえ』辻井喬(堤清二)、上野千鶴子 文春新書)。これは「不思議、大好き。」(1981年)、「おいしい生活」(1982年)と、いまでも知られている糸井重里のコピーが西武百貨店の広告を飾っていた時代とも重なる。

『君の瞳をタイホする!』本編終了後の「P.S.トーク ホールドアップ」でも登場した渋谷ロフト。渋谷に実在したカフェバー、雑貨屋などで収録が行われたトークパートだが、現在も残っているスポットはここだけである。

百貨店の全盛期よりも少しずれて、西武系列、つまりセゾングループの文化戦略の施設、店舗ができていくのがわかる。シードホールが1986年開業。『君の瞳をタイホする!』本編終了後のトークパートで紹介されている西武渋谷ロフト館が1987年にオープン、ライブハウスのクラブクアトロも同年。その後、書店のパルコブックセンター渋谷店が1993年開業。

団塊ジュニアの僕は、セゾン文化の全盛期には間に合っていない世代といえるだろう。大学で東京に出てきたのが90年代の初頭。『君の瞳をタイホする!』の渋谷から数年後ということになる。堤清二は、1991年の段階で西武セゾングループのトップから失脚する。90年代半ば以降、セゾングループは、整理・解体されていく。僕はセゾン文化の全盛期は知らないが、それでも十分に残り香をかぐことができた。

WAVEの始まりは、1983年オープンの六本木店。その後、1993年に渋谷にロフト店と後述するクアトロ店が誕生した。写真:ACROSS編集室 1996年6月

個人的には、センター街の奥にあったWAVEクアトロ店(1993~97年)の存在がセゾン文化と最も近い接点である。クアトロが入っているビルの1〜3階をこのCDショップが占めていた。1階にはスペースシャワーTVのスタジオがあり、音楽評論家の萩原健太がよくここから放送していた。店に入るとすぐに2階に向かったものだが、2階は輸入洋楽、特に1960〜70年代の米マイナーレーベルが充実していた。やや異質な現代音楽、ニューエイジ、アンビエントといった棚もあった。よく「小西康陽推薦」とCDの説明に書かれていて、それを手に取るもとピチカート・ファイヴのひとり、小西康陽を見かけたこともあった。壁に飾られていたミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画『欲望』のポスターがこの店のアイコンで、イタリアやフランスのB級映画のサントラ盤の数も多かった。

“渋谷系”の発祥地として知られるHMV渋谷(1990〜2010、2014年~)がすぐ目と鼻の先にあったが、当時の僕にはごく普通の品揃えにしか見えなかった。それを思うと、僕自身もセゾン文化からの影響を浴びていたのであろう。

『君の瞳をタイホする!』で描かれた渋谷は、バブル時代の渋谷であると同時に西武・セゾングループの文化戦略が行き渡ったセゾン的な渋谷の頂点を映していた。このドラマを通して見る渋谷は思いのほか大人の街だった。背伸びした若者と消費社会に適応した新しい大人が集まってくる街。1980年代末の渋谷は、“ヤングアダルト”の街だった。