2020年のオリンピックに向けスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通して、埋もれた東京の歴史を掘り起こします。初回は深川エリア。アートシーンやサードウェーブコーヒーで盛り上がるこの地が、水辺を軸にどのような変遷をたどってきたのかひも解きます。この連載は毎月第1・第2・第3水曜、夜9時公開です。
明治や大正から続く老舗の蕎麦屋や和菓子屋が並ぶ一方で、最近では若い世代によるギャラリーやコーヒーショップも増えた深川。このエリアの歴史を振り返るにあたり、速水さんが最初に向かったのは新大橋でした。橋のたもと近くの堤防に佇み、ゆったりと流れる隅田川を眺めながら語ります。「実はここ数年の東東京ブームが来る以前から、深川は一部で注目されていたんですよね。隅田川をパリのセーヌ川に見立てたりして」
今回、速水さんがこの地をひも解くにあたって引き合いに出したのは、90年代後半に絶大な人気を誇ったテレビドラマと、明治末期の新進芸術家たちが集まる会合でした。早速、その話を聴いてみましょう。
『ロングバケーション』が隅田川に重ねたイメージは?
先だって話題になった、「ここにいてはダメ」という強めの文言の水害ハザードマップを公開したのは江戸川区だ。とはいえ、同じ危険性は、周辺区にも広がっている。お隣の江東区も水害発生時にはやはり全域が「ここにいてはダメ」なエリアである。東京は、隅田川の流域、さらには荒川(荒川放水路は、隅田川の氾濫を防ぐためにつくられた人工河岸)の流域の広大な平野につくられた都市である。急速な発展を見せるのは江戸時代以降のことだが、その江戸、東京の歴史は常に川の氾濫と隣り合わせだった。その一方で、川は生活の身近にあった。被害をもたらすだけではなく、生活の中にある自然として、親しまれてもいる。東京の川の近くの暮らしは、どのように位置づけられ、ブランディングされてきたのか。それをドラマや映画、小説から切り出してみる。ここで取り上げ、実際に訪れてみたのは、隅田川が東京湾にそそぐ下流近くの東側に広がる地域、深川である。
まずは、もう20年以上前のドラマの話題から始めてみたい。木村拓哉演じる売れないピアニスト、瀬名が住んでいたアパートに山口智子演じる売れないモデル、南が花嫁衣装で飛び込んでくる。結婚式当日に相手が現れないというショッキングな第1話である。結婚相手が住んでいるはずの部屋には、事情をなにも知らないシェア相手の瀬名がいるだけ。途方に暮れる南だが、住む場所もない。そこから南と瀬名のとりあえずの同居生活が始まる。フジテレビ月9ドラマ『ロングバケーション』、通称ロンバケである。このドラマでは、年の差恋愛(南31歳、瀬名24歳)と同時に、川が流れる場所での暮らしが描かれていた。
ふたりが住んでいるアパートは、新大橋の東側のたもと。駅でいうと都営新宿線の森下が最寄り駅である。2000年に大江戸線が開通するが、ドラマの頃はまだ開通前だ。その意図はなかったであろうが、大江戸線の開業によって始まる東京の東側の再評価をバックアップしたドラマと見ることもできる。
瀬名が住むのは、住居用ではない古いオフィスビルの一室。部屋としては広い洋室。瀬名は普段、街の教室で子どもにピアノを教えるピアニストだ。コンテストでの入賞を目指す日々を送ってもいる。住んでいる部屋が広いのは、ドラマのご都合主義だけではない。グランドピアノが置けるという職業的理由で部屋が広い。その広めの部屋に、瀬名は友人とシェアして住んでいた。ドラマ当時は、1996年だからシェアルームというのはまだ新しかった。
既に触れたようにこのドラマでは、東京の東側での生活が描かれた。だがそれは、果たして意図的なものだったのだろうか。それについて脚本家の北川悦吏子とイベントでご一緒した際に聞いたことがある。彼女が脚本で示したのは、アパートはレンガづくりの3階建て以上であること。そして近くに川が流れていること。そのふたつだったという。つまり、東京の東側を舞台に選ぶという意図は脚本家にはなかったのだ。
瀬名のアパートとなったこの物件を見つけてきたのは、ドラマのロケハンチームだ。条件の1つ目は3階建てということだが、なぜかについては、ドラマを見ていればすぐにピンとくる。木村と山口がスーパーボールを窓から投げ下ろしてキャッチする印象的な場面。その場面のためにアパートが3階建てである必要があった。2つ目は近くに川が流れていること。このドラマで最も回数が多いのは、ふたりの会話の場面。部屋のソファや窓辺のこともあれば、クルマの中のこともある。そして屋上。場所はさまざまだが、重要な場面では、背景に川が映っていることが多い。それは、アパートの前を流れる隅田川である。
北川の脚本は具体的に隅田川との指定はない。だが、彼女なりに意識していたイメージはあったという。脚本を書く前に滞在したパリの光景。つまり、セーヌ川が北川の頭にあった。結果、ロンバケのロケハンチームが見つけた場所が、新大橋の東側のたもとだったのだ。隅田川左岸である。隅田川に左岸や右岸といった呼び方はちょっと聞いたことがない。だが、セーヌ川の場合、左岸という呼び方をするようなのでまねてみる(セーヌ川同様、川の進行方向を向いて右手側を右岸、左手側を左岸とする)。隅田川の左岸は、基本的には深川(1947年以前に存在した江東区になる前の区分)と呼ばれる場所でもある。
さて、ロンバケの舞台となった森下・新大橋界隈を歩いてみる。20年経ったいまでは、風景は変わっている。瀬名のアパートとして撮影されたビルは、ドラマ放映時には多くのファンが聖地巡礼に訪れていたものの放映終了後に取り壊されてしまった。再開発によって違う建物が建っており、面影はない。そういえばドラマの中でもアパートの向かいは広い空き地だった(スーパーボールを拾いに行った辺り)。既に放映時に再開発が予定されていたのだ。残っている風景をしいて挙げるなら、隅田川とその向こう岸の光景くらいである。
パリの芸術家を気取った「パンの会」
そもそも東京では、海辺や川辺から離れた“山の手”が価値をもってきた。なぜなら水辺には、川の氾濫や津波といったリスクが付き纏ってきたからだ。川や運河がある下町は、庶民の暮らしの場所と考えられてきた。だが、その山の手、下町という区分けも、いまでは忘れられつつある。東京の東側の再評価は、同時に水辺の暮らしの見直しでもあったのだ。
ちなみに脚本家の北川同様、隅田川をセーヌ川に見立てた人々が、ロンバケを遡ること90年ほどの明治末期に存在したことにも触れておきたい。木下杢太郎、北原白秋、永井荷風ら当時の新進芸術家たちが集まる会合「パンの会」である。彼らは100年とちょっと前に隅田川に近い西洋料理店を選んで、仲間内の催しを続けていた。セーヌ川が見える場所で集うパリの芸術家たちを気取って、この会を結成したのだ。パンの会の開催場所は点々と移り、いつしか永代橋のたもとにあった「永代亭」という西洋料理店に定着する。永代橋東詰。ここもまた隅田川左岸、深川である。彼らは、川沿いがまだ氾濫の危険に満ちた下町でしかなかった時代に、水辺の都市の生活を思い描いたのだ。