国際的に活躍する1組のアーティストを大分県別府市が招聘し、地域性を活かしたアートプロジェクトを実現する『in BEPPU』。3年目を迎えた今年はアニッシュ・カプーアが参加。県内各地で同時期に行なわれている『国民文化祭、全国障害者芸術・文化祭』のアート展示をあわせて取材しました。
インド・ムンバイに生まれ、現在はロンドンを拠点に制作活動を続けるアニッシュ・カプーア。現代アートの世界でもっとも高い注目度を誇る賞の一つ、ターナー賞受賞作家であり、ロンドンオリンピックの記念モニュメントの制作やベルサイユ宮殿での個展などでも話題を呼んだアーティストです。カプーアは日本有数の温泉地として知られる別府から何を感じ、アートに反映させたのでしょうか。新作も含む別府公園の展示をさっそくご紹介しましょう。
漆黒の闇へと誘うブラックホール
別府駅から徒歩で15分ほど。緩やかな上り坂を歩いてきて軽く息が切れたところに別府公園の芝生広場が現れると、一気に視界が開け、疲れも忘れてカプーアの展示に期待が高まってきます。最初に目にする作品は、『Void Pavilion V』(2018年)。建物には二つの入口があり、まずは向かって右方向に促されます。建物に足を踏み入れ、薄暗い空間に目が慣れるのをじっと待ちます。
壁面に立ち現れるのは、真っ黒な円。あまりに黒いため、こちらに向かってせり出しているのか、向こう側へとえぐられているのか、それとも平べったい黒い円なのか、その凹凸感を視覚では認識することができません。壁がなければ、自分と黒い対象との距離感を目測することすらできないでしょう。イギリスの企業が製造した光の吸収率99.96%という顔料「ベンタブラック」を改良した顔料を使用することで、微かな凹凸も感じさせずに異次元へと吸い込むような漆黒の闇が実現されているのです。
じっと見つめていると、あのブラックホールの向こうには何があるのだろう、という興味が生まれてきます。物質なのだとわかっていても、異次元へと誘う漆黒の穴にしか見えないのです。人の触れることができない「空」「虚」「無」といったものを、カプーアは物質を使いながらも表現してしまったと言えるでしょう。
建物を出ると、「対となる作品が反対側の空間にあります」と、もう一つの入口へと案内されます。やはり目が慣れるのをじっと待つこと数分。真っ黒な壁に、真っ黒な円が徐々に浮かび上がってきます。待ちながら自分の目が暗さに順応するのをじっと待ち、身体的に作品を味わえるのもこの作品の特徴の一つです。
反対側の部屋の作品は穿たれた穴で、こちら側の作品は迫り来る漆黒の球体なのでしょうか? ネガとポジのように対のイメージがあわせて表現されています。仏教やインド哲学の思想の探求もしてきた作家が、「陰と陽」「表と裏」「内と外」といった対となる概念が共存する思想世界を表現した一つの形だと言えるでしょう。
1枚の巨大な鏡が、地中と空の循環を結ぶ。
焼杉による黒い壁面が特徴的な建物で、『コンセプト・オブ・ハピネス』と題されたカプーアの小作品を集めた企画展が行われています。表皮を剥いだ動物の血肉のようにも、燃えくすぶる溶岩のようにも見える立体作品と絵画作品をあわせて10点ほど展示しています。
カプーアは別府でリサーチをして何を感じ、プランをどのように考えたのでしょうか。2つのパビリオンで作品を鑑賞し、残る作品が『Sky Mirror』だということを考えると、全体のつながりが徐々に浮かび上がってくるような気がします。
別府を歩きながら、カプーアは温泉の湯気が空へと上って消える様子を思い描いたのではないでしょうか。真っ暗闇の地中で生まれたエネルギーがマグマ活動を引き起こし、そこで生まれたエネルギーが地下水を熱し、地中に湧いた温泉から蒸気隣空へと消え、やがて雨となって再び地面に降り注がれる。その循環を一連の作品展示で表現したに違いありません。
そう確信を持って『Sky Mirror』が設置された芝生広場に向かうと、その展示全体のストーリー性と、『Sky Mirror』単体が提示する異世界とのつながりに圧倒されました。
インドのムンバイでイスラム教徒の父親とユダヤ人の母親の間に生まれ、イスラエルのキブツで育ったカプーア。ロンドンの大学でアートを学んだ彼は、素材もスケールも問わず多様な手法で現代彫刻のあり方を模索してきましたが、その背景には常に、世界を形づくるエネルギーの循環に身を委ねる東洋思想への傾倒があったのでしょう。『アニッシュ・カプーア IN 別府』が、そのことを鑑賞者に体感させてくれます。
日田の旧料亭と中津の商店街で行われる、水と光の展示。
『アニッシュ・カプーア IN 別府』と同時期に、BEPPU PROJECTが企画した連動プログラムが日田市と中津市でも実施されています。日田市の『水郷ひた芸術文化祭2018』の参加アーティスト、大巻伸嗣さんは日田の歴史をリサーチし、水の流れと歴史に思いを馳せられるように『SUIKYO』と題する個展を企画しました。
「日田の水は天領水と言われるぐらいに、質も量も豊かなことで知られています。実際に滞在すると、本当に水と森に囲まれた土地だと感じられますし、豊かな水とともに歴史を辿ってきた町だということも地元の方から伺いました。このかつての料亭は、材木業の根づいた日田で、木場の卸業をしていた大地主による建物だと聞きました。かつての『存在』や『記憶』を水の流れとなって体感できるようなインスタレーションに最適だと感じて、この建物を会場に選びました」と大巻さん。
趣のある古い建物の1階からスタートし、すぐに階段を上って2階へ。場所によっては床の抜けた様子なども見られ、放置されていた建物でもあることが感じられます。外には水の滴る音が響き続け、廊下の暗闇を歩いていると、台風で停電した古い田舎の家屋の体験なども想像されます。
想像した以上にプログラム豊富なインスタレーションで、自然と寄り添ってきた土地の歴史を追体験する感覚を味わうことができます。『SUIKYO』というタイトルには、水郷、水鏡という二つの意味が込められています。一般的に「すいごう」と読まれることの多い「水郷」の語も、日田では、水も自然も人も濁ることなく清らかであるために「すいきょう」と濁らずに読むのだそうです。複合文化施設AOSEで展示されている『Liminal Air』シリーズの新作インスタレーションと合わせて、水の展示を多角的に味わうことができます。
中津市に移動すると、髙橋匡太さんのインスタレーションが展示されています。テーマはボトルメール。参加したのは、市内の21校の小学校と1校の支援学校の生徒を含めた子どもたち、そして、谷川俊太郎をはじめとする10名の詩人です。遠くにいる誰かに届くことを想像して書いた手紙を瓶に詰めて海や川へと流すように、「未来の友だちへ」と書かれた手紙が「光の川」となって夜の商店街を流れていきます。
アニッシュ・カプーアによる別府の展示にはじまり、大分県内各地で開催中のアートの展示。それぞれのプログラムが土地の特性にひもづきながらも、作家ごとにまったく異なるアプローチで制作を行なっています。秋の大分には、この期間にこの場所でしか体験できない魅力的なアート作品の数々が待っています。
アニッシュ・カプーア IN 別府
開催期間:2018年10月6日(土)〜11月25日(日)
開催場所:別府公園
大分県別府市野口原3018-1
TEL:0977-22-3560(混浴温泉世界実行委員会 事務局)
開場時間:9時30分〜17時30分(最終入場17時)
会期中無休
観覧料:一般¥1,200(税込)ほか
http://inbeppu.com
大巻伸嗣個展『SUIKYO』
開催期間:2018年10月6日(土)〜11月25日(日)
開催場所:日田市複合文化施設AOSE、旧料理屋「盆地」
大分県日田市上城内町395-1(AOSE)、大分県日田市亀山町3-17(盆地)
TEL:0973-22-6868(国民文化祭日田市実行委員会事務局)
開場時間:10時〜17時
会期中無休
会期中入場料無料
※『水郷ひた芸術文化祭2018』として関連イベント多数開催
https://www.suikyo.info
『なかつ水灯り2018』
開催期間:2018年10月6日(土)〜11月25日(日)
開催場所:日ノ出町商店街や耶馬渓など大分県中津市内各所
TEL:0979-22-4942(中津市実行委員会)
開催時間:9時〜22時
会期中無休
観覧料:美術館のみ有料(200円)
https://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2018060100118/