アジアでは初の開催となるヴァイオリンの名器・ストラディヴァリウスの大規模な展覧会が、2018年10月9日から10月15日まで、六本木の森アーツセンターギャラリーで開催されました。国内外の楽器博物館や財団、演奏家などが所有する貴重なストラディヴァリウスが21挺も揃ったのは、まさに”奇跡”といえます。
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「楽器の王様」として、ヴァイオリン演奏者はもちろん、クラシック・ファン以外にも広く知られている歴史的名器ストラディヴァリウス。その凄まじいまでの表現力や他の楽器には類を観ないほどの値段の高さは、どんな時代も人々の注目の的となってきました。間近で見るストラディヴァリウスは美術品のような魅力を放ち、300年の歴史の中で多くの人々を魅了してきたことが伺えます。目で見ても、耳で聴いても明らかなほどの「神々しさ」が、この特別なヴァイオリンには宿っているのです。
東京・六本木に国内外の名器21挺が集結し、7日間だけ開催された驚異の展覧会、『ストラディヴァリウス 300年目のキセキ』の模様をレポートします。
奇跡のコレクションが、六本木に集結。
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会場となった六本木森アーツセンターギャラリーの展示スペースは、いくつかの部屋に分かれています。初めの部屋にはヴァイオリンの始祖・アマティ一族とストラディヴァリ一族の制作者たちの系譜を表したパネルを設置。ヴァイオリンという楽器が成立し、現代のかたちや大きさになるまで一望のもとに紹介していました。また現在と過去、音楽ホールでのヴァイオリンの響きの差異をヘッドフォンで認識できるヴァーチャル体験スペースも用意。さらに会場中央にはライヴステージを設置し、毎日展示ケースからストラディヴァリウスを取り出して、ヴァイオリニストがその場でライヴ演奏を行いました。有識者たちのスペシャル・トーク・セッションも行われ、連日大盛況となったのです。
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さて、ストラディヴァリウスとは一体どんなヴァイオリンなのか、その歴史をあらためて追ってみましょう。16世紀のイタリア北部の小都市クレモナでは、さまざまな教会音楽が発生し、グレゴリオ聖歌からバロック様式に音楽スタイルが移行する際に、弦楽器の需要が一気に増えました。のちに世界屈指のヴァイオリン制作者となったアントニオ・ストラディヴァリは、クレモナの楽器製造者アマティ一族の中で最も精巧な腕をもっていたニコロ・アマティに弟子入りをし、やがて自分自身の工房を構えるようになります。そして、この工房でつくり出された楽器が奏でる輝かしい音色は評判を呼び、ストラディヴァリは若くして名声を獲得していったのです。科学技術が発達した現在、彼がつくった楽器、ストラディヴァリウスについてもX線解析などでさまざまな研究が行われていますが、最近では鉄分が含まれたニスの破片が響きと関連しているのではないかという分析もされ、検証が進んでいます。完璧な黄金比率を用い、現代まで続くヴァイオリンの長さ、大きさを確立したのも特筆すべき点でしょう。膨大な幾何学の知識をヴァイオリンという小宇宙に結晶化させていたストラディヴァリの先進性には、驚かされるばかりです。
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約300年前に制作された錚々たる名器はどれも、現在でも演奏可能です。世界に名を轟かせたヴァイオリニストたちが、これらストラディヴァリウスと生涯をともにしてきました。楽器の寿命は人間の寿命よりはるかに長く、プロの修復技術が繊細なメンテナンスを行い最善の状態を保持することで、ストラディヴァリウスは永遠に近い命をもつのです。
アントニオ・ストラディヴァリは93年の長寿を全うしましたが、制作数は膨大な数に上ります。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、マンドリン、ギターを制作し、その数は1100から1300挺にも上るといわれます。楽器には制作者の名前のラベルが遺され、現在では約600挺のストラディヴァリウスが現存していることが判明しています。
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「ストラディヴァリウス 300年のキセキ」の展示の中でもハイライトとして注目を浴びていたのが、2018年に制作から300年目を迎えた、1718年製の「サン・ロレンツォ」です。現存するストラディヴァリウスの中でストラディヴァリの直筆の文字が残る楽器はこのサン・ロレンツォのみで、横板に「栄光と富は、その家にあり」とラテン語で記されています。年代的にもストラディヴァリ最盛期の作であり、全体のフォルムや細部の形状も完璧な美を達成しています。マリー・アントワネットの専属ヴァイオリニスト、ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティが所有していたことから、アントワネット妃もこのサン・ロレンツォの音色を聴いていたと言われています。
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展示の中でも異彩を放っていた1722年製の「ロード」は、世界で10挺しか確認されていない装飾的な意匠が施されたストラディヴァリウス。楽器の輪郭を縁取る螺鈿細工の華やかさが目をひきます。1722年は傑作も多く、ストラディヴァリの黄金期といわれています。王侯貴族のための特注品を、巨匠自らが仕上げていました。
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ところでストラディヴァリはギターも製作しており、世界で5~6挺のみ現存する中で、唯一演奏できるものが1679年製「サビオナーリ」です。端正なフォルムと緻密な装飾部には、確かにストラディヴァリの個性が感じられます。チェロ制作にも挑戦し、1717年制作の名作「ボナミー・ドブレ、スッジア」は最初の所有者である英国紳士の名がニックネームにつけられたもの。音の立ち上がりの速さには卓越したものがあるといいます。ヴィオラも世界で12挺しか残っておらず、この展示では巨匠90歳の製作の貴重な「ギブソン」が注目を集めていました。45年前に制作したヴィオラ「メディチ、タスカン」と類似した型で、ストラディヴァリはこの型を高く評価していたといいます。
奇跡を生み出す職人技と、その音色に迫る。
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会場内では、目や耳でヴァイオリンを堪能できる仕掛けがほかにもされました。ヴァイオリン制作の聖地クレモナで活動するヴァイオリン制作者、フランチェスコ・トトが会場に常駐し、制作のデモンストレーションを行いました。トトはトリエンナーレ「世界最大の弦楽器製作のコンクール」で第1位を受賞した超一流のヴァイオリン制作者で、クラフト・デモンストレーションには、多くの見学者たちが詰め寄せていました。英語が堪能な彼は、見学者からの質問にもにこやかな表情で答えます。緻密な手作業を行う様子は、東京にクレモナの工房が再現されたかのようでした。
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アントニオ・ストラディヴァリは生涯を通じてよりよい弦楽器を追究し、作風を変えていったため、工房に残された道具の数は700点以上にのぼります。今回、イタリア・クレモナ市ヴァイオリン博物館の全面協力のもと、そのいくつかの展示が実現しました。ストラディヴァリ直筆のノートも公開され、ヴァイオリン制作の工程や、ストラディヴァリの研究の軌跡を目の当たりにできました。
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ガラスケースの中で厳重に守られている名器ですが、会期中は毎日そこから取り出されて実際に演奏されていました。オープニング・セレモニーでは、チャイコフスキー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門優勝者で国内外での評価も高い神尾真由子さんが、1731年制作の「モーラン、ルビノフ」を演奏。「タイスの瞑想曲」(マスネ)「ホラ・スタッカート」(ディニーク)を披露し、艶やかな音色と表現力で会場を魅了しました。会期中、チェリストの宮田大さんをふくむ19人の弦楽器奏者が会場内のライヴ・ステージに立ち、「展示品で生きた音楽を奏でる」という大胆な試みを成功させたのです。
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アジア初の大規模な展示となったこの展覧会。21挺のストラディヴァリウスを国内外の所有者のもとから安全に運び、一カ所で展示するというのもまたひとつの奇跡でした。これを実現した、日本ヴァイオリン代表取締役で展覧会実行委員長の中澤創太はこう語ります。
「オーナーに貸し出しを許可していただくために、すべての交渉に5年かかりました。断られ続けて、途中からは悔しさも加わって『絶対に実現させたい』という意地で続けましたね。オーナーに想いを伝えるためにカフェで待ち伏せをしたり(笑)」
開催までは苦労の連続でしたが、それだけに展示が完成したときは、改めてストラディヴァリウスの美しさに息をのんだといいます。
「21挺の楽器が並んだことで、これまでは価格ばかりが話題に上っていたストラディヴァリウスの、美術品としての価値も明らかになったと思います。時代によって作風も変わりますが、比較して見ることでアートとしての素晴らしさが際立つと思います。そしてなんといっても、聴覚に訴える比類のない音色。これを聴いていただくために、展示品を演奏する許可も特別にとったのです」
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「アントニオ・ストラディヴァリという人物について思うことは、とにかく勤勉であったということ。93歳まで生きましたが、92歳で製作した「ルーシー」(ヴァイオリニストの高嶋ちさ子が私有)を見ると、素晴らしい安定感で制作を続けていたことが分かります。朝から晩まで楽器製作を続けて、挑戦を続けた。メンタルや集中力が現代人より卓越していた人物だったのではないかと思います」
ヴァイオリンの王者ストラディヴァリウスが21挺も展示された会場は壮観で、世界中から集められた「本物」たちはガラスケースの中で神々しさを放っていました。ひとつひとつの楽器に歴史と物語があり、所有者や演奏家の強い感情が宿っているためでしょう。制作者のアントニオ・ストラディヴァリの卓越した「ものづくり」職人としての才気にも圧倒されます。ヴァイオリンの魅力を多面的に知ることができた、まさに”奇跡”的な展示でした。
問い合わせ先/日本ヴァイオリン www.nipponviolin.com