鳥取県の自社工場で行われている、最新設備と職人技が織りなす独自の靴づくり。世界で愛される「ニッポンメイド」は、このように生まれているのです。
いまオニツカタイガーのスニーカーは、履き心地のよさ、自然な表情、日本ならではのクラフトマンシップなど、その品質の高さから、世界の主要都市で極めて高い評価を得ています。しかし、これらオニツカタイガーの一つひとつの魅力は、実はブランド側が直接訴求した結果として広がった評価ではありません。あくまで手にしたユーザーが主観的に感じとり、自然に広がった共通認識であるということは特筆しておくべきでしょう。ここでは日本製にこだわったオニツカタイガーの「ニッポンメイド」シリーズが生まれる工程を追いながら、世界へと羽ばたいたその"メッセージ"の出どころを探ります。
世界に挑戦するための、最新鋭の設備と技術。
まず訪れたのは、鳥取県の境港市。アシックス国内唯一のシューズ生産拠点として、高付加価値モデルを中心に生産している山陰アシックス工業です。1969年に設立され、2016年に大規模な増改築が行われたこの工場では、効率化された最新の設備のもと、メイド・イン・ジャパンの高品質なシューズが数多く製作され、ここから世界へと送り出されています。
最初に目にしたのは、裁断されたレザーパーツを、「メキシコ66デラックス」のアッパーの形につなぎ合わせる縫製作業。30年以上のキャリアをもつ熟練の職人が、時間をかけて縫い上げていきます。厚みのある革の縫製には高い技術が必要とされ、パーツが重なり合う段差の部分には細心の注意が必要です。縫い上げられたアッパーは、次に〝吊り込み〞の作業で木型へと被せられます。スニーカーのデザインや素材の特性によっては、吊り込みを機械で行う場合と、手作業で行う場合の両方があります。木型の底面に吊り込まれたレザーはソール部分とののりしろになりますが、ここでは接着強度を高めるために、手作業による〝バフがけ(研磨)〞で表面の凹凸が綺麗にならされていくのです。その後ソールがしっかりと圧着されて、スニーカーの形が完成します。
このように一足のスニーカーがつくられる背景には、多くの職人による細かい手仕事があります。しかもここでは野球、陸上、レスリングなど、日本が世界に誇るトップアスリート用シューズと同じ製造ラインで、日本製にこだわった「ニッポンメイド」のスニーカーが生産されているのです。すなわち、メジャーリーガーやオリンピックのメダリストが履くシューズを手がけている熟練の職人が、同様の技術と設備を使ってスニーカーをつくり上げています。
しかし、これがすべてではありません。この後、場所を移して行われる最後の仕上げこそが、オニツカタイガーが誇るスニーカーに魂を与える、最も重要な工程と言っても過言ではないのです。
最後の"味付け"は、東大阪の小さな町工場が手がける。
境港の山陰アシックス工業でつくられた「ニッポンメイド」のスニーカーは、最後の仕上げのために大阪府東大阪市にある加工工場へと送られます。「ニッポンメイド」の立ち上げから、製品加工の全般を引き受けているのが、ここ佐川工芸。〝昔ながらの町工場〞という呼び名がしっくりとくる工場の佇まいは、世界のファッションシーンで注目されているスニーカーのイメージとは、一見すると随分とかけ離れています。しかしこの小さな町工場こそが、「ニッポンメイド」の魅力を特徴づける重要な役割を担っているのです。
「鳥取の工場でできた下地に、いろんな味付けをするのがうちの役割です」と、佐川工芸代表の佐川勝さんは語ります。1972年に操業を開始した佐川工芸は、これまで革製品やアパレルなどの幅広い分野で、特殊な製品加工の数々を手がけてきました。その豊富な経験のなかで蓄積された、染め、色付け、洗いなどの伝統技術が、「ニッポンメイド」にはふんだんに取り入れられているのです。
「私が子どもの頃は、買ったばかりのまっさらな運動靴がなんだか恥ずかしくて、自分でわざと汚していました。無表情な新品の靴よりも、ちょっとこなれていたほうがカッコいいんです」と佐川さん。
日本の職人の手で一足ずつ加工が施され、味わい深い個性が与えられたメイド・イン・ジャパンのスニーカー。手仕事の温かみという原点的な魅力の前では、言葉や文化の垣根は意味をなさないのかもしれません。
和の美意識が叶えた、表情豊かな風合いとデザイン
ひとつのデザインを生み出すために、「ニッポン メイド」のデザインチームは幾度となく職人たちのもとを訪れます。彼らがもつ多彩な表現方法をうまく引き出し、それをモダンなプロダクトへと昇華することが、「ニッポンメイド」独自のプロセスなのです。この実験的な取り組みが、日本の伝統技術を未来へとつないでいきます。
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