いま日本に、新たなウイスキー蒸留所が増えています。国産の雄「イチローズモルト」に続く、ジャパニーズブランドの今後を担う蒸留所は、果たしてどこになるのでしょう? 有力株のひとつ「厚岸蒸溜所」で、そのビジョンを聞きました。
北海道・釧路の中心地から車で約1時間。太平洋に面した道東の港町・厚岸に、ウイスキーの蒸留所ができると話題になったのは、世間が「マッサンブーム」に沸いた2014年のことでした。しかも、その蒸留所を経営する会社は、酒づくりに携わるのがまったくの初めてだといいます。
「厚岸蒸溜所」。この蒸留所をめぐって、当初ささやかれたそんな不安混じりの噂は、いまや熱心なウイスキーファンたちの間で、「ここがジャパニーズウイスキーの新たな聖地になるかもしれない」という大きな期待へと変わりつつあります。
しかし、奇妙だと思いませんか? 厚岸蒸溜所は、昨年の11月に本格稼働し始めたばかり。商品はまだ正式にリリースされていないし、もちろん、実際に飲んでウイスキーの仕上がりを確認することもできません。それにもかかわらず、なぜ彼らはこの蒸留所の未来に心を躍らせているのでしょうか。
海と湿原に囲まれた、最高の気候と風土。
その謎を解くひとつ目のカギは、厚岸蒸溜所を取り巻く環境にあるといいます。所長の立崎勝幸さんは、次のように説明します。
「ウイスキーづくりには、冷涼で湿潤な気候、そして年間を通して一定の寒暖差があることが不可欠です。ここ厚岸は、まわりを広大な湿地に囲まれていて、海からも近い。夏は気温が25度くらいまで上がりますが、冬はマイナス10度台まで冷え込みます。したがって、これらふたつの重要な条件を満たした、理想的な環境が整っているといえるでしょう」
こうした風土に恵まれるのは、確かに珍しいこと。しかし一方で、それはなにも厚岸に限ったことではないはずです。では、なぜ厚岸でのウイスキーづくりにこだわるのでしょうか。その理由は、厚岸蒸溜所が追求するウイスキー像と関係があるようです。
ピートから樽まで、すべてを厚岸産でつくりたい。
厚岸蒸溜所を所有する堅展実業は、もともと、食品の原材料を海外から輸入し、国内で販売する商社。その社長である恵一さんは、いまから約20年前のある日、たまたまバーで口にしたウイスキーに衝撃を受けたといいます。シングルモルトの聖地として知られる、スコットランド・アイラ島の銘酒、アードベッグ17年でした。
「スモーキーで力強く、潮の香りを感じるアイラモルト。そんなウイスキーを、日本で、それも自分の手でつくりたいと考えるようになりました」
アイラモルトの特徴的な味わいを生み出す大切なファクターのひとつが、地中のピートを通って磨かれた仕込み水です。ピートは泥炭とも呼ばれ、日本ではおもに北海道の湿地にしか分布していません。豊富な水とピート。この条件から必然的に導き出されたのが、厚岸の地だったのです。
本場スコットランドから、最新の設備を導入。
厚岸蒸溜所が熱い視線を集める理由は、これだけではありません。「スコットランドの王道を踏襲するつくり」。それがふたつ目のカギです。
生産設備は、スコットランドの名門蒸留所も絶大な信頼をおく老舗メーカー「フォーサイス社」によるもの。ウイスキーづくりの象徴であるポットスチルだけでなく、麦汁を抽出するマッシュタンや、発酵に用いるウォッシュバックなどまで、すべて同社製です。
「しかし、どんなに素晴らしい生産設備があっても、それを動かすのは我々自身ですから」と、立崎さんは釘を刺します。特に注意を払っている工程を訊くと、意外な答えが返ってきました。
「熟成を除いて、ウイスキーづくりで最も重要なのは蒸留だと思われていますが、私たちがこだわっているのはマッシング(糖化)です。その完成度こそが、ウイスキーの最終的な仕上がりを左右すると考えています」
ウイスキーづくりは、糖化、発酵、蒸留、熟成の順で行われます。マッシングは、砕いた麦芽を温水と混ぜて、糖分が溶け出した麦汁をつくる工程。厚岸蒸溜所にとって、なぜこのプロセスが特別な意味をもつのでしょうか。
「『人事を尽くして天命を待つ』という言葉があります。その時の環境によって出来不出来が簡単に左右されてしまう発酵が『天命を待つ』ということであれば、その前のマッシングはいわば『人事を尽くす』部分にあたるでしょう。ハードウエアにあぐらをかくことなく、よりよいものをつくっていくという気概が、上質なウイスキーを生み出す原動力なのだと思います」