新進SF作家・小川哲が、Pen最新号「SF絶対主義。」掲載の書き下ろし小説『最後の不良』を解き明かします。

  • 後藤武浩:写真
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話題作『ゲームの王国』を上梓したSF作家、小川哲さん。Pen最新号「SF絶対主義。」のために書き下ろした小説『最後の不良』は、「ノームコア」の価値観に支配された世界を舞台とする物語です。小川さんが作品を通して伝えたかったことを訊きました。

日本SF会の権威である書評家の大森望さんが「今年一のSF小説だ」とまで絶賛する『ゲームの王国』。これを書いたのは第3回ハヤカワSFコンテストで大賞を受賞しデビューした、注目の若手SF作家・小川哲さんです。10月16日発売の『Pen』最新号「SF絶対主義。」では、そんな小川さんに『最後の不良』と題された小説を書き下してもらっています。作品設定の裏には、世間の誰もが「シンプルさ」や「機能性」ばかりを求めている現状への危惧が秘められていました。そんなメッセージを伝えるために、小川さんはなぜSFという手段を選んだのでしょうか? 

いわゆる「不良」が減っているのは、ノームコア的価値観の影響かもしれない。

●1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍中。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞し、デビューを果たす。今年8月には2作目となる『ゲームの王国』を刊行し、早くも話題となっている。

──今回の書き下ろし小説は、”究極の普通”と訳される「ノームコア」が進んだ社会が舞台ですが、ここ数年でファッションの世界に定着したノームコアに対して、違和感があったのですか?

小川 ノームコア的な考え方って、「お洒落しようと意識すること自体がお洒落じゃない」ってことだと思うんですよ。でもそれって、実は大変なことなんです。社会学者のピエール・ブルデューが「趣味のよさは差異に表れる」と主張していますが、他人と異なる服装をしたり、他人と異なる音楽を聴いたりすることが趣味のよさにつながるというのです。でも、そこにノームコアの思想が入ると、みんなシンプルで機能的なものを求めて、他人との差異がなくなる。パンツ幅も太いのや細いのが実用的じゃないからって同じ幅に落ち着いてしまう。そんな価値観が社会に蔓延すれば、流行がすべてなくなってしまいます。「竹の子族」とか「アムラー」とか、時代を斬り取るファッションのキーワードが最近は見つかりづらくなっているのかもしれません。僕もノームコア的な装いをしますが、求める価値観が「機能性」や「シンプル」で均一化してしまう、それはそれで気持ち悪いように思います。

──お洒落や流行と関係なく思える「不良」を主人公にしたのはなぜですか?

小川 ノームコアと真逆の存在のわかりやすい例として、不良を挙げました。不良は人と違うことを求めて派手な装飾を好みますよね。本作の中でも触れましたが、不良は目立ちたくて不良になったはずなのに、学校という総体の中で「不良」として記号化され、単一化される。流行も同じで、お洒落に敏感な最先端の人たちは他人と異なる装いをしているのに、しばらくすると、その装いが大衆の共通項となって画一化してしまう。不良—学校の関係性と、流行をつくり出す人—流行を追いかける人の関係性とがパラレルになると思い、本作の題材に選びました。

最近、いわゆる「不良」が数として減ってきているように感じますが、それもノームコア的な価値観が影響してるのかな、と。いまはシンプルであることがステータスだから、悪っぽいこととか目立つことが格好いいっていう価値観が崩れてるんじゃないですかね。悪いことが格好いい、なんて思うのは歪んでいるのかもしれません。だけど、それによって文化の一つの側面が失われつつあるとは思います。

──「価値観の均一化」という問題を、なぜSFで描こうとしたのですか?

小川 SFにすることで、極端な状況を設定できるじゃないですか。そうすることで、実は身近に起きているのに読者が気づいていない問題にも、気づかせることができます。それがSFのもつ力じゃないかと僕は思っています。

デビュー作『ユートロニカのこちら側』では、情報管理社会が極限まで進んだ状態を描き、最新作『ゲームの王国』では、現実世界を「ゲーム」と置き換えることで、規則とは何なのかを考えさせる狙いがありました。そもそも規則がなぜ存在しているのか、なくなった場合どうなるのか、といったことは考えませんよね。現実社会では規則って曖昧だったり、恣意的に運用されることもありますが、ゲームだとルール違反できないし、した場合はペナルティを科される。物語の舞台をクメール・ルージュ時代のカンボジアからはじめたのも、その時代の規則っていうのが極端だったからです。違反すると処刑されるし、運用する側も誤ると処刑される。ある意味ゲーム的ですよね。

僕の作品はいまのところまだ2作しかありませんが、どちらも現在からそこまで遠くない未来の話で、王道なSF作品とは感じられないかもしれません。ですが、現実と地続きの世界の中でも、ありえない状況を設定することで、読者の常識を覆えそうと試みています。日頃SFを読まない人にこそ、そんなSFの仕掛けを愉しんでもらいたいです。

6つの発言から、小川哲のナカミを知る。

自身がふと疑問に感じたことや、身近に起こりつつある問題を作品に落とし込む小川さん。インタビューの中で触れられたなにげないエピソードからは、そんな小川さんの素顔を垣間見ることができました。以下に6つのエピソードを紹介しましょう。

「ラグビー部を辞めて、人生が変わった」

辛い練習に耐えられず、ラグビー部を高校1年で退部。なにかを辞めた、初めての経験だったそう。「追い込まれたら辞めればいいと気づいた、社会から外れた瞬間です」。後に会社員ではなく作家の道に進むことになる。

「ワンクリックで、済ませるって怖い」

「以前は何軒も店を回って服を買うのが楽しかったのに、最近はネットショッピングに流れてしまって」と小川さん。お洒落に金や時間をかけることがなくなってしまうのではという危機感も、本作を書く動機のひとつとなったそう。

「しんどい本を読めば、なにか起こるかと」

「18歳から23歳頃までは、世界文学のように難解なものばかり読むことでなにかが起こると信じ、娯楽小説を読むことを禁じていたんです」だがやがて、人間はそんなに単純に変わらないことに気づいたという。

「電子音が好きで、書名もそこから」

電子音が好きで、仲間うちのイベントでDJも務める小川さん。「音楽が文章のリズムに影響を与えているかも」と話します。デビュー作『ユートロニカのこちら側』タイトルの由来は音楽ジャンルのエレクトロニカから。

「SFになることも、ならないことも」

小川さんが読書で興奮するのは、自分の中の常識が覆された瞬間。そんな驚きを最も提供しやすいのがSFだ。「読者を興奮させるものを書きたいので、話の流れとしてSFになることが多いですが、ならないこともあります」

「筒井康隆で、開眼しました」

小川さんが初めて面白いと感じた小説は、中学1年生の頃に読んだ筒井康隆の『農協月へ行く』。農協職員が月に行って異星人と仲良くなるという話だが、登場人物の厚かましい性格に思わず笑ってしまったとか。

流行とは何なのか、誰もが同じ価値観に染まってしまうといかに恐ろしいのか、ということを考えさせられるインタビューでした。小川さんが書き下ろした『最後の不良』はPen最新号に掲載されていますので、ぜひ手に取ってみてください。6ページの短い小説の中に、広漠たる世界観が広がっています。

最新号はこちら→www.pen-online.jp/magazine/pen/439-sf.html

『ゲームの王国』上下巻

サロト・サル――後にポル・ポトと呼ばれたクメール・ルージュ首魁の隠し子とされるソリヤ。貧村ロベーブレソンに生を享けた、天賦の智性を持つ神童のムイタック。皮肉な運命と偶然に導かれたふたりは、軍靴と砲声に震える1974年のカンボジア、バタンバンで出会った。秘密警察、恐怖政治、テロ、強制労働、虐殺――百万人以上の生命を奪ったすべての不条理は、少女と少年を見つめながら進行する……あたかもゲームのように。

小川哲著 早川書房 2017年