20世紀を代表するフランス人デザイナー、ジャン・プルーヴェ。彼が手がけた70点以上に及ぶ貴重な作品を展示するエキシビションが、3日間だけ開催されました。
世界的な再評価の広がりとともに、日本でも多くの人々を魅了しているジャン・プルーヴェ。日本初公開の「F 8×8 BCC組立住宅」はじめ、彼が残した70点以上のきわめて貴重な作品を展示するエキシビション「the CONSTRUCTOR ジャン・プルーヴェ:組立と解体のデザイン」展が、2016年10月に東京のフランス大使公邸で開催されました。会期はたった3日間余り。そこで表現されたのは、家具と建築を同じ視点でとらえ、住空間の革新を試みたプルーヴェのエッセンスでした。
会場となったフランス大使公邸、実はプルーヴェにゆかりある人物が手がけているのです。
今回、開催された「the CONSTRUCTOR ジャン・プルーヴェ:組立と解体のデザイン」展は、フランス人デザイナーのジャン・プルーヴェが生前に手がけた貴重な家具や建築の全体像を伝えるものでした。
プルーヴェは1901年パリ生まれ。31年にアトリエ・ジャン・プルーヴェを設立し、その頃からル・コルビュジエやシャルロット・ペリアンといった建築やデザインの世界の重要人物と交流をもつようになります。彼の作品として特に有名なのは、自身の工房で金属を折り曲げて製造した、独特の構造美をそなえる家具の数々です。現在は復刻品もありますが、希少価値の高いヴィンテージ品はコレクターにとって垂涎の的。「the CONSTRUCTOR」展で展示されたのはすべてヴィンテージ品で、日本初公開のものも多く含まれています。東京のフランス大使公邸で、このようなヴィンテージ家具のエキシビションが開催されるのも異例のことです。
4つのシーンに分かれた展示室のうち、最初の空間にはプルーヴェによる椅子の数々が展示されました。今回の展覧会の特徴は、量産が実現したモデルだけでなく、現存品がきわめて少ない少量生産の家具や試作品も出品されたことです。会場に並んだ椅子からは、それぞれに実験的なアプローチを取り入れ、独自の構造や形態を完成させようと努力し続けたプルーヴェの姿勢が伝わってきます。
たとえば彼の代表作である椅子「スタンダード」は、その原型と言えるモデル「チェア No.4」が1934年に発表され、ディテールや素材が何度も見直されて、1980年代まで新しいバリエーションを生み出しました。この展覧会では、幻の一脚である「チェア No.4」をはじめ、実際に「スタンダード」と呼ばれた50年代の椅子まで数脚のバリエーションを披露。ほかにも「アントニーチェア」や「ベルジェールチェア」といった、金属の造形が彫刻的な美しさを湛えた椅子も印象的でした。
「the CONSTRUCTOR」展は、ZOZOTOWNの創業者で現代芸術振興財団の会長を務める前澤友作のコレクションを中心として、長くプルーヴェの家具や建築を扱ってきたパリのパトリック・セガン・ギャラリーの協力によって実現しました。展覧会のために来日したパトリック・セガンは語ります。
「前澤さんの所有するジャン・プルーヴェ作品は質が高く、特に改良の過程を伝える貴重なものも数多く含まれています。今回、展示された70点以上の作品のうち約50点は前澤さんのもので、ほかはパトリック・セガン・ギャラリーが所有する作品で構成しました。日本でもプルーヴェの作品はよく知られていますが、彼は先見の明のある、戦後のフランスの復興を助けようとしたヒューマニスト。そんな人物像も伝えたいと思いました」
実は今回の会場となったフランス大使公邸は、プルーヴェに師事した建築家のジョゼフ・ベルモンが1950年代半ばにジャン・デマレとともに完成させたもの。これまで自身のギャラリーで行ったエキシビションをはじめ、数々のプルーヴェ展にかかわったセガンさんにとっても、この展覧会は特に思い入れがあったようです。
プルーヴェが思い描き、自らの手で実現していったイメージを体感できる空間に。
フランス大使公邸の中から日本庭園を望む展示室では、パトリック・セガンの視点でセレクトされたジャン・プルーヴェの家具がコーディネートしてありました。大きな窓のそばに置かれたのは、1951年発表の「ゲリドンカフェテリア組立テーブル」と、「スタンダードチェア」の原型といえる2脚の「チェア No.4」。この椅子は鋼板を折り曲げた後脚が特徴で、使用時に負担のかかる後脚と座面後部とのジョイントの強度を増すために、独特のフォルムを採用しています。そのフォルムは以降のプルーヴェ作品に繰り返し登場し、テーブル「ゲリドン」の脚部にも応用されました。そんな形態の一致も、プルーヴェ作品の調和を生んでいるのです。
また一方の壁際には、アルミニウムの引き戸が印象的な収納家具「ベルジェ・ルブロー社吊るしキャビネット」と、同じくベルジェ・ルブロー社のためのデスクや椅子を組み合わせました。空間全体を通して、プルーヴェが思い描き、自らの手で実現していったイメージを体感できるスペースです。
前澤友作さんは日本有数のアートコレクターとして知られ、2012年には現代アートの活性化を目指して現代芸術振興財団を設立しました。「the CONSTRUCTOR」展は、アートとともにデザインにも注目し、特にプルーヴェに惹かれてきた前澤さんのコレクションを中心に構成されています。「私たちは同じ気持ちでプルーヴェの作品を選んでいる」とセガンさんが言うように、前澤さんのコレクションはいまや世界でもトップクラスだといいます。
現在、広く価値が知れ渡っているプルーヴェの家具ですが、ある時代まではほぼ忘れ去られたような状況でした。1950年代に仕事上のトラブルに見舞われ、彼がそれまでデザインした家具の権利を失って、建築に注力したのが一因です。1980年代にいち早く彼を再評価し始めたのは、デザイナーのアズディン・アライアをはじめファッション業界の人々でした。その後はミュージシャンやアートコレクターが盛んにプルーヴェのヴィンテージ家具を買い求めるようになります。音楽、ファッション、アートに精通する前澤さんがプルーヴェのコレクターとして名を馳せるのは、必然的なことなのかもしれません。
戦後の暮らしに豊かさを与えた、建設家としての一面に迫る。
家具デザイナーとしてのイメージが強いジャン・プルーヴェですが、彼が生涯を通して関わり、特に後半生で最も打ち込んだジャンルは建築でした。彼は建築士の資格をもっていませんでしたが、だからこそ建築を概念的に発想するのではなく、建物をつくる視点からあらゆるものを創造する「建設家(コンストラクター)」として活躍します。「the CONSTRUCTOR」展でいちばん大きな展示室は、彼と建築の関わりをストレートに伝える空間になっていました。
まず目の前にそびえるのは、建物を支えるためにプルーヴェが発明したポルティークと呼ばれる支柱です。今回、展示されたのは1940年代に制作された5種類の建物のための支柱で、それぞれに少しずつフォルムやディテールが異なっています。共通するのは鋼板を折り曲げてつくられたことと、斜めのラインを取り入れていることで、その姿は椅子やテーブルのフレームと似通っています。
「鋼板製の支柱をデザインし、自身の工房で制作するために、プルーヴェは航空技術を参照したといわれています。彼の建築は、工業生産したものを現地で組み立てるという新しい考え方が根本にありました。それはローコストであるだけでなく、最も自然に負担をかけない建築のあり方だったのです」と、セガンさんは彼の意図を説明します。こうした考え方は、ル・コルビュジエらの影響で近代建築が根づいていった20世紀のヨーロッパにおいても先進的なものでした。
パトリック・セガン・ギャラリーでは、家具とともにプルーヴェの建築についても早くからリサーチを行い、いままでにいくつもの建物を発見して、展示を行ってきました。今回、会場ではそれらの建物を組み立てる様子をムービーで見ることができました。
「プルーヴェは戦時中は戦争に反対してレジスタンスに参加しており、戦後は復興のために自分ができることはなんでもやると政府に申し入れたそうです。トラック1台に積めるほどの建材を数人で組み立てられるプレファブ建築は、多くの人々が住まいを得られるように考えられたものでした」
こうして「the CONSTRUCTOR」展を見ていくと、プルーヴェが建築から家具までを一貫した発想でデザインし、さらにすべての製法についても十分な知識と経験をもって取り組んでいたという事実が浮かび上がってきます。プルーヴェが敬愛し、しばしばコラボレーションした20世紀建築の巨匠、ル・コルビュジエは「彼が手に触れ、構想するものはすべてがただちに優雅な造形的形態をとるとともに、強度的解決も、また施工方法も、まことにうまく実現されているのだ」と彼を絶賛しました。
そして、「the CONSTRUCTOR」展の中でも最大の見どころは、そんな彼が実際に建設を手がけた住宅が公開されたことでした。それが日本初公開となった「F 8X8 BCC 組立住宅」です。では、その空間に足を踏み入れてみましょう。
デザイン思想が詰まった、幻の住宅が東京にやってきました。
「F 8X8 BCC 組立住宅」は、1941年に個人向けに建てられたプレファブ建築で、ジャン・プルーヴェが関わった住宅としては初期のものです。当時、彼の工房には既に幅4mまで対応するプレス機があり、設備面では金属製の建材をつくることが可能でしたが、この住宅では木製の支柱や壁面が採用されています。戦時中の資源不足のため、代用できる部分はできるだけ金属よりも木を使ったのでしょう。作品名の「8X8」とは、一辺が8mの正方形で全体を構成しているという意味。その中央に暖炉があり、リビングルーム、主寝室、ふたつの子ども部屋、キッチンなどがあったそうです。
住宅内には、中央にコンパス型の木製の支柱があり、それ以外に室内には柱がありません。一対の支柱が天井の梁を支え、斜めの構造体によって建物全体を安定させているのです。現在は、以前にあった壁やキッチンなどは残っていませんが、そのぶん構造そのものがはっきりとわかるようになりました。ほとんどの部材は建物の完成当時のものが使われ、70年以上前の木造建築としては良好な状態です。
この「F 8X8 BCC 組立住宅」には、ある鉱山を監督する人物が、家族とともに住んでいたのだとセガンさんは説明します。
「この住宅は、プルーヴェが制作したプレファブ建築のシステムを使い、ル・コルビュジエの右腕だったピエール・ジャンヌレが設計したものです。まず床を組み上げ、支柱を立て、そこに梁をつけて屋根を設置します。さらに壁面を組み立てていくのです。基礎工事が不要なので、自然を傷つけることはありませんでした」
この家には、建設家として、また建築技師としてのプルーヴェの個性がすみずみまで豊かに発揮されています。「装飾的なものはなにもないのに美しい。それがプルーヴェの素晴らしさなのです」とセガンさんは話します。
空間の端々で感じる、フレンチ・モダニズムの息吹。
建築の魅力というものは、どんなに美しい写真を見ても、たくさんの本を読んでも、リアルに想像しにくいものです。その点で「the CONSTRUCTOR」展は、「F 8X8 BCC 組立住宅」によってジャン・プルーヴェのかかわった建築の力を実感させてくれました。窓を開閉するための金物をはじめ、あらゆるディテールや素材感にもプルーヴェの好みがうかがえます。こうしたものを間近に見て、その空間でひと時を過ごす体験ができるのは、日本ではほとんど例のなかったことです。
その空間の中には、プルーヴェと仲間たちのデザインした貴重なヴィンテージ家具が惜しげもなく置かれ、フランスのモダニズムのひとつの到達点を思わせるシーンをつくり出していました。ここがまさに今回の展覧会のクライマックスでした。
今回の展覧会は、ボリュームにおいても、クオリティにおいても、希少性においても、まさに夢のような展覧会でした。プルーヴェの偉業をこうして間近に見られる展覧会は、今後も考えにくいでしょう。彼の作品が時には数千万円という価格でオークションなどで売買されていることも、そのデザインの価値を裏づけています。
ただしパトリック・セガンのような目利きのギャラリストや、前澤友作のような熱心なコレクターがいなければ、その価値も広く知られることはなかったでしょう。プルーヴェの家具には公共施設の備品としてデザインされたものも多く、「F 8X8 BCC 組立住宅」は古びた木造プレファブ住宅に過ぎません。それでもフランス大使公邸でこうした展覧会が開催されたのは、20世紀のデザインや建築の文化的価値を尊重しようという総意があるからこそです。
20世紀の日本でも、多くの優れたデザイナーや建築家が存在し、世の中の近代化をリードする数々の作品を手がけました。しかし現在、それらの価値は次第に忘れられ、消えていこうとしています。「the CONSTRUCTOR」展は、そんな過去のデザインの価値を積極的に認める意義の大きさを、あらためて教えてくれた展覧会でもありました。(土田貴宏)
the CONSTRUCTOR ジャン・プルーヴェ:組立と解体のデザイン
フランス大使公邸 東京都港区南麻布4-11-44
開催期間:10月22・23・24日(会期終了)
現代芸術振興財団 http://gendai-art.org/