名古屋市内を中心に豊橋、岡崎にも舞台を広げ、3年ぶりに行われている「あいちトリエンナーレ」。国内外のアーティストが多数参加している注目のアートイベントを訪れました。
旅は、たくさんのことを教えてくれます。また、人生そのものが旅という考え方もあります。現在、愛知県で行われている「あいちトリエンナーレ2016」で芸術監督を務める写真家・映像人類学者の港千尋さんが掲げたテーマは、「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」。展覧会場を、かつて隊商が泊まった宿になぞらえました。世界中からアートの旅人が集う「宿」に出かけてみましょう。
日常と非日常、現実と非現実のあいだをさまよう。
「あいちトリエンナーレ2016」のテーマとして掲げられた「キャラヴァンサライ」の「サライ」は「家」の意味。実際に、今回のトリエンナーレでは日本やアメリカ・ヨーロッパはもとより、中央アジアや南米などから旅や異文化の出合いを思わせるアートが集いました。愛知県美術館と名古屋市美術館を中心に、名古屋・岡崎・豊橋の各地区の歴史ある建物に作品が並んでいます。
その中で、愛知芸術文化センターは一番大きな「宿」。30組あまりのアーティストが作品を展示しています。とくに目をひくのは大巻伸嗣の「Echoes Infinity―永遠と一瞬」。床に友禅の着物のような鮮やかな模様が描かれています。このシリーズは大巻さんが以前から手がけていたものですが、しばらく制作をやめていた時期がありました。
「東日本大震災の後、色をたくさん使ったこのシリーズはつくっていませんでした。でもテーマである『虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅』と聞いて、もう一度未来へ向かって踏み出せるようなものを作ろうと思ったんです」と大巻さん。「Echoes-Infinity―永遠と一瞬」は、できあがった当初は花や鳥などの絵がくっきりと描かれていますが、会期中に観客がその中に足を踏み入れるとその模様は次第に崩れて抽象的な模様になっていきます。ずっと続くものはないけれど、そこからまた新しいものが生まれてくる。そんなことを感じさせるアートです。
大巻さんは、名古屋市内の栄会場で「Liminal Air―黒の深度」という作品も展示しています。昨年の森美術館「シンプルなかたち」展にも出品された、空中に布が舞う作品のバリエーションですが、今回は暗闇の中に黒い布が舞っています。闇の中に舞う布は見るものの時間と空間の感覚を惑わせます。
「わたしにわかることは、ヒモは必ずからまるということだけです」。こんな独り言のような、何かの教訓のような言葉が書かれているのは愛知芸術文化センターの三田村光土里さんのインスタレーション。誰かの部屋か仕事場のようなところに本や風船やさまざまな小物や何かのパーツが組み合わされています。それらは特に珍しいものではなく、日々よく目にするものなのですが、日頃、あまり目にすることのない置き方、組み合わせ方がされていて日常と異次元との間にあるような感覚を覚えます。
三田村さんの作品は「Art & Breakfast」というプロジェクトで作られたもの。三田村さんが世界各地でその国の朝食を作り、人々とともにその朝食を食べ、その土地で見つけた材料で小さなインスタレーションを作ります。あいちトリエンナーレの作品は過去10年間の「Art & Breakfast」を集大成として再構成したもの。愛知や現在三田村さんが滞在中のドイツからも作品が加わります。日常にちょっと裂け目を入れることで、日々の暮らしが新鮮に見える。三田村さんのアートにはそんなちょっとしたマジックが仕掛けられています。
名古屋市美術館の地下には、奇妙な“工事現場”があります。建設工事に使うような材料が床に散らばっています。その周り、壁際の高さ80cmほどのところに細い通路がつくられていて、観客はそこを歩きながら散らかった床を見下ろすことになります。これは台湾のアーティスト、賴志盛(ライ・ヅーシャン)の作品です。彼の作品では観客と作品の関係が通常とは違うものになります。普通はアートも観客も互いに“安全圏”にあって、観客がアートの側に浸食するということはありません。賴の作品はその境界をあいまいにしてしまいます。美術館では額縁の中や仕切りの向こうにあるアートを少し離れて見るもの、という“お約束”がありますが、賴のアートはその常識を崩してしまうのです。
豊橋の「水上ビル」は、1960年代初頭に農業用水路の上に建てられたもの。ところどころが橋で区切られ、長さ800mにもわたって延びる、ちょっと変わった建物です。その一室に“鳥のための家”をつくったのはブラジル出身のラウラ・リマ。90年代から人と動物を等価に扱う作品などをつくってきました。今回の作品は4階建てのビルに約100羽の小鳥を放ち、観客はその中に入っていくというものです。鳥はアーティストがつくった止まり木や巣箱の間を自由に飛び回っています。人と動物の関係性が転換する作品です。
さまざまな会場に、ユニークな展示がちらばる。
同じ豊橋にある「開発ビル」では、最上階の以前は劇場だったスペースを使って、石田尚志さんが大がかりな映像インスタレーションを展開しています。劇場のステージや客席はもちろん、楽屋だったところにも映像が映し出されます。ステージ、客席、楽屋と本来は別々だったはずの空間が映像でつながれて、空間構成を変えてしまいます。
岡崎の戦後まもなく建てられたモダンなビルを架空の博物館にしてしまったのはインドのシュレヤス・カルレ。インドで作ったオブジェと、建物の中にあった日用品や建具を組み合わせたインスタレーションです。台所やもとあったガラスケースに収められたオブジェは何ともいえない愛らしさ。部屋を一つ一つ巡っていくと、そこが自分だけのために作られたミュージアムのような気がしてきます。
岡崎ではさらに古い、江戸時代に建てられた古民家も会場になっています。「石原邸」と呼ばれているその家は、1862年に建てられたもの。戦火を逃れて復元された、国の有形文化財にも登録された建物です。その家の棚や土間、藏にも佐藤翠や田附勝らのアートが顔を出します。150年あまりの歴史を持つ家の記憶と、新たにつくられたアートとが不思議に調和して、そこにしかない空間をつくり出します。
旅をテーマにした今回の「あいちトリエンナーレ」では日本の「先端」として、ときに厳しい状況にも置かれてきた沖縄と北海道にも目を向けます。名古屋の栄会場にある中央広小路ビルでは岡部昌生やミヤギフトシ、山城知佳子らが沖縄・北海道の開発や弾圧の歴史を込めた作品を展示しています。映像やテキストで現在進行中であるこれらの問題への問いを投げかけているのです。
旅によって行き来する人が増え、文明の邂逅が増えた分、衝突も多くなっています。人はもっと多様なものであり、その出会いにも多彩なものがあるはず。あらゆる価値観を表現することができるアートだからこそ、訴えることができるメッセージがあるのです。(青野尚子)
あいちトリエンナーレ2016
虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅
会期:2016年8月11日(木・祝)~10月23日(日)
おもな会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋市内のまちなか(長者町会場、栄会場、名古屋駅会場)、豊橋市内のまちなか(PLAT会場、水上ビル会場、豊橋駅前大通会場)、岡崎市内のまちなか(東岡崎駅会場、康生会場、六供会場)