グラフィックデザインの世界で、先鋭的な作風が高く評価されるオランダのデザインチーム、エクスペリメンタル・ジェットセット。日本でもプロジェクトを手がけた彼らが、その発想の秘密を語ります。
エクスペリメンタル・ジェットセットは、2015年に移転オープンしたニューヨークのホイットニー美術館の新しいグラフィック・アイデンティティをはじめ、世界的なプロジェクトを数多く手がけるオランダのデザインチームです。
この国の豊かなデザイン文化をバックグラウンドにもつ彼らは、一方で現代のサブカルチャーにも精通し、柔軟なセンスでグラフィックを進化させてきました。ユニークなチーム名は、ソニック・ユースのアルバム名に由来しています。来日したエクスペリメンタル・ジェットセットの3人に、彼らが手がけた日本のマッシュグループのCIデザインはじめ、これまでの代表的な仕事について尋ねました。
ホイットニー美術館のデザインのルール。
イルマ・ボームやメーフィス&ファン・ドゥールセンはじめ、何組ものグラフィックデザイナーが国際的に活躍している現在のオランダ。その中でもひときわ注目されるのが、アムステルダムを拠点にするエクスペリメンタル・ジェットセットです。エクスペリメンタル・ジェットセットは、マリエケ・ストーク、アーウィン・ブリンカーズ、ダニー・ヴァン・デン・ダンゲンが1997年に設立。アートスクールのクラスメートだった彼らの枠にはまらない活動は、しだいに規模を大きくしています。
彼らにとって最大のプロジェクトが、2015年春にニューヨークで移転オープンしたホイットニー美術館。街を代表する文化の発信地となったミートパッキング地区に、ノーマン・フォスターの設計によって建てられたこの美術館は、ニューヨークの新名所として多くの人が訪れています。エクスペリメンタル・ジェットセットにとって、そのグラフィックデザインは約3年がかりの大仕事でした。「ホイットニー美術館のアイデンティティで僕らが大切にしたのは、アートピースやアーティストが常に主役だということ。それが1枚のポスターなら、まず作品の写真があって、その余白に美術館のアイデンティティを伝える要素が存在すべきだと考えました。アート、アーティスト、そしてミュージアムの関係性を見据えてデザインしたのです」と彼らは語ります。結果として生まれたのは、ホイットニー美術館の頭文字である「W」を表す4本の直線を、作品の写真に応じて自由に変形させて用いるという手法でした。
「作品によって、毎回、Wの形は変わります。これはとても有機的なデザインだと言うことができるでしょう。周囲の要素により常に形を変えていくからです」とエクスペリメンタル・ジェットセットのダニー・ヴァン・デン・ダンゲン。この「W」はホイットニー美術館を表すだけでなく、この美術館の変化の歴史や、ニューヨークという街の鼓動のイメージも重ねられています。また彼らは、単に美術館のロゴやポスターをデザインしたのではないと言います。
「私たちがホイットニー美術館のためにしたことの大部分は、グラフィック・アイデンティティのインストラクション(指示書)の制作であり、独自のグラフィック言語をつくったことです。この美術館にはインハウスのデザイン部門があり、私たちのインストラクションに従って彼らが独自にデザインしていくことが、プロジェクトの前提でした。これは私たちには初めての経験で、分厚いマニュアルをつくるのは簡単なことではありませんでした」。
美術館に関係する多様な人々と話し合いを重ね、あらゆる場面を想定してデザインを考える、とても複雑な仕事だったと彼らは話します。その成果を、きわめて潔い表現に結晶させるところに、エクスペリメンタル・ジェットセットの力量が表れています。
2次元の枠を超えた、グラフィックのあり方。
ホイットニー美術館以前にエクスペリメンタル・ジェットセットが手がけた仕事で、特に印象に残っているものを教えてもらいました。ひとつは2000年にパリのポンピドゥーセンターで行われた「エリジアン・フィールズ」というエキシビション。
これは当時、カルト的な人気のあったファッション誌「パープル」の編集者だったエレン・フライスとオリヴィエ・ザームがキュレーターとなり、さまざまなタイプのアーティストが参加したグループ展でした。「エレンとオリヴィエから連絡があった時、私たちはデザインスタジオとして活動して間もなく、まだ学生気分だったので、それは夢のような話でした。最初に着手したのはカタログのデザインでしたが、展覧会にまつわる印刷物や展示室のサインのデザインもしたのはいい経験になりました。学生の頃から考えていた空間的で建築的なグラフィックのあり方を、大きな規模で実践できたからです」と彼ら。その表紙には日本人フォトグラファーの高橋恭司の作品が使用されました。他の参加作家には、エクスペリメンタル・ジェットセットという名前と縁の深いソニック・ユースの名前も。今回の来日時、現在は貴重なこのカタログを洋書店で見つけて盛り上がったそうです。
アムステルダムを代表する近代美術館、ステデリック美術館が2003年に改修のため休館した際、エクスペリメンタル・ジェットセットは別の建物に期間限定でオープンしたステデリックミュージアムCMという美術施設のグラフィック・アイデンティティをデザインしています。このプロジェクトは、青と赤のストライプを印象的に用いたポップなもので、彼らの名前が広く知られるきっかけになりました。
「施設として使用された建物は、以前は郵便局として使われていた近代建築だったのです。そこから2色のパターンや機能的なタイポグラフィを発想していきました。ステデリック美術館は、ウィム・クロウェル、アントン・ベーケ、メーフィス&ファン・ドゥールセンなどオランダを代表する新旧のグラフィックデザイナーとも深いつながりをもつところ。そんな美術館にかかわれたことは、とても光栄でした。彼らはいまも私たちにとって大切なクライアントです」。デザインに際して、背景となる物事を注意深く調べ、新しい感覚で活かすスタンスが、このプロジェクトにも表れています。
最新作、日本企業とのコラボレーションとは。
エクスペリメンタル・ジェットセットの作品には、日本のアパレルブランドのためにデザインした「John Paul Ringo George」という有名なTシャツがあります。彼らの代表作ですが、あまりに有名になりすぎてしまい、困惑気味だったこともあったとか。とはいえ日本での仕事は、そのカルチャーに長年にわたり惹かれていた彼らには常に歓迎すべきものでした。
昨年11月に発表されたマッシュグループのCIは、そんなエクスペリメンタル・ジェットセットにとって日本での初めてのCIのプロジェクトです。今回、3人に大きなインスピレーションを与えたのは、日本の戦後の建築界を席巻したメタボリズムでした。マッシュホールディングス本社は建築家の村野藤吾が1976年に設計したもので、この建築の姿にも彼らはメタボリズムを感じたようです。「日本で生まれたメタボリズムというムーブメントに、私たちは以前から関心をもっていました。これは成長、拡張性、動き、モジュール性といった要素を建築に統合していく考え方です。マッシュという企業のあり方と、そのあり方は共通していると考えました」とエクスペリメンタル・ジェットセットのマリエケ・ストークは語ります。マッシュグループの事業の中心はアパレルですが、アジア各国への出店や、オーガニックコスメへの進出など、そのビジネスは変化し続けているのです。
マッシュグループのCIの主題になっているのは、矢印と構造です。
この矢印は長さの比率が1:2の3本の直線を60度の角度で組み合わせてできていて、30度単位で回転させながら組み合わせることで、無限の広がりをつくり出すことができます。日本の伝統文様のように規則的なパターンにすることも、ランダムなパターンをつくることも可能です。矢印が表すのは発展、社会的な責任、適応力、運動体。そして幾何学的な構造とパターンは、「全体は細部から成り立つ」という考えを表現しています。「ホイットニー美術館のプロジェクトと同じく、マッシュグループのCIはさまざまに変化し展開していくものになりました。私たちはロゴシステム、オリジナルの書体、名刺や封筒などをデザインしましたが、今後はインストラクションに基づいて、マッシュのインハウスのデザイナーがこのCIを活用していくことになります。私たちにとってデザインとは静的なものではありません。この点はまさにメタボリズムの建築家たちと同じ考え方なのです」
エクスペリメンタル・ジェットセットがオランダのリートフェルト・アカデミーを卒業した1997年頃、世の中ではデジタル化が進みつつあり、印刷物のデザインはやがてなくなると盛んに言われていたそうです。多くの学生がコンピューターの扱い方を覚えようとするなか、3人はあえてウィム・クロウェルやベン・ボス、このふたりが参加したトータルデザインの作品や当時の思想を顧みて、それをひとつのベースとして自分たちの作風を築いていったといいます。エクスペリメンタル・ジェットセットの仕事はスタイリッシュで颯爽とした印象を与えますが、根本にあるのはモダニストの精神。それは機能主義と自由な精神のミクスチャーと言い換えてもいいでしょう。(土田貴宏)