2015年10月に急逝した伝説のアーティスト、バリー・ケイマン。彼の手がけた作品を紹介する追悼展示が、TAKEO KIKUCHI渋谷明治通り本店内のアトリエで行われています。
ロンドンでクリエイティブの第一線で活躍していたアーティスト集団「BUFFALO(バッファロー)」のメンバーのひとり、Barry Kamen(バリー・ケイマン)が、10月に急逝しました。渋谷明治通りにある「タケオキクチ」の本店内、バリーと約30年にわたり交流があったデザイナー菊池武夫さんのアトリエでは追悼展が行われており、バリーのアートワークを使用した『タケオキクチ』のウエアや小物、菊池氏のショーでバリーが着用した衣装などが展示されています。
バリー・ケイマンは、レイ・ペトリ氏が創始したクリエイティブ集団「BUFFALO」の一員で、スタイリストやアーティストのほかにもモデル、ビジュアルディレクター、アートワークデザインアーティストなどマルチに活動。菊池さんとは80年代から交流があり、東京とロンドンで行われたファッションショーに携わるなど約30年来の付き合いでした。
「バッファローとの出会いの方がバリーと出会うよりずっと早く、81年にパリから帰ってきてすぐに『メンズビギ』の秋冬コレクションのショーをやったんですが、その時にショーのモデルも含めてディレクション等をバッファローやその周囲の人たちにお願いしたのがきっかけでした」と菊池さん。
「というのも、その頃僕はストリートな気分で服をつくりたいとずっと思っており、でも、モデルにふさわしいと思う人たちがいなかったんです。本当だったら日本人でキャラクターが立ってる人がいればよかったんですが、当時はなかなか見つからなかった。その時にバッファロー集団のかっこよさに感動して、一緒にショーをやろうと決めました。創設者のレイ・ペトリさんと一緒にショーをやり、最初にすごいハンサムで当時ポップ歌手でもあったニック・ケイマンというバリーのお兄さんと知り合いになりました」
「当時、バリーとはまだ知り合ってなくて、ペトリさんと行なった85年秋冬のショーの時にバリーが初めてモデルとして登場しました。その時からなので30年以上。享年52歳だったので、多分彼は当時20才くらいで、まだスタイリストでも何でもなく、レイの手伝いをしているただの青年でした。でも、その当時からバリーはとても印象的な男でした。特に僕の服を着てショーに出た時の動きがすごかった。とにかく服の見せ方が他のモデルより際立っていて、その動きや表情には彼独特の感性が光っていました。モデルとしてとにかく優秀。ニックと一緒に育っているので、ファッションのなんたるかが、もうすでにその若さで分かっていたんです。その頃から彼はモデルではなくスタイリストの仕事をスタートし、同時に絵を描き出したんだと思います。アート系の学校を出ていたので、もともと絵は得意だったんでしょうが、僕から見るとやっぱり彼は絵よりもスタイリストとしての方が際立ってましたね」
特別な存在だった、バッファローとバリー。
今回展示されているものの中に、菊池さんの服をまるでキャンバスに見立てたように、バリーによってペイントが施されたものが何点かあります。それは単なるペイントではなく、それによって菊池さんの服は、より自由な遊び心を獲得したように見えます。そして、その一着一着からは、バリーの非凡なセンスが感じられます。
「その後、ペトリさんは亡くなりましたが、男っぽくて骨太ないわゆる“バッファロー スタイル”というものがあって、それをバリーは継承したんです」
バリーは2003年くらいから「Pen」のファッションストーリーのスタイリングも手がけてました。その素晴らしいクリエイションはいまでも伝説的です。
そして、バリーがバッファロースタイルを継承したのを菊池さんが知ったのは、本当に偶然でした。今回取材で菊池さんが見せてくれた雑誌「アリーナ」。これは菊池さんが偶然本屋で手に取ったものですが、バリーが一冊丸ごとディレクションをしたものでした。
「僕はこれをひと目見て、すぐバッファローだと分かりました。でも、レイがもういないので、バリーだなと思ったらとても感動しました。バッファローの再出発のような時期に出た一冊で、まさに彼らのスタイルが結集した一冊。かっこいいでしょ? バリー自身もモデルとして出てますね。最初、気づかなかったんですが、僕の服も入ってます。ブランド名が違いますが(笑)」
まさに1ページ1ページが全て印象的で強烈で、パワーにあふれた一冊。
「中でもモデルの選び方がものすごいかっこいい。ものの見方が独特なんです。似合わない人には着せない。自分が好きな人としか仕事しない。それに顔にも特徴があるよね。自分の中のパワーやエモーショナルな部分を外に出している人。そういう人をモデルに選んでいたんだと思います。究極は男っぽい男ということでしょうか。こういったスタイルもペトリさんを継承したものですね」
バリーは菊池さんにとってスタイリスト以上の特別な存在でした。
「スタイリングをやってもらうというよりも、彼からは洋服に対してやデザインのヒントをもらっていました。色々テーマなどを考える上で、彼なりのアーティスティックな視点から見た意見をいつも僕は聞いていて、自分の中で彼の感性がすごい刺激になっていました」
だからこそ、突然バリーが亡くなったと聞いた時は、菊池さんは目の前が真っ暗になるほど強いショックを受けたそうです。
「スタジオで倒れて亡くなっていたそうなんですが、彼は多分絵を描いていたんだと。というのも、彼は何日も飲まず食わずで製作に没頭してしまうんです。自分でクレイジーだと言っていましたが、集中すると何も感じなくなるらしい。誰か家にいたら助けられたのに、彼はその時ひとりだったので」
「いま、残ってるバッファローの中でフォトグラファーなどはいますが、いわゆるバッファロースタイルを丸ごと継承しているスタイリストはいないと僕は思っています。ただ、彼らの子どもたちの中でスタイルを受け継ぐ人が必ず出てくると思う。とにかく音楽から写真、スタイリング、ディレクションなどアートに対してすごい才能の持ち主が集まっていたので、ここで終わるのはもったいない。実際もう写真家のマーク・ルボンの息子はフォトグラファーだし、スタイリストのミッツィ・ローレンツにも子供がいるし。そういう次世代とまた仕事をするかもしれない。それはいまからとても楽しみです」
今回の展示は、菊池氏のごくプライベートなコレクションで、ショップ2階のアトリエ部分が使われており、規模的にはそれほど大きいとは言えません。しかし、バリーと菊池さんの素晴らしいクリエイションを、ごく間近でじっくり見ることができるまたとないチャンスです。既成の概念に捉われることなくアートからファッション、写真、雑誌まで様々なメディアをまたにかけて活躍していたバリー。彼が世界中に発信していたバッファローの精神とアートワークは、これからも忘れられる事は決してないのです。(大嶋慧子)
バリー・ケイマン追悼展示
~2015年12月末日まで
TAKEO KIKUCHI 渋谷明治通り本店
住所:東京都渋谷区神宮前6-25-10 1F&2F
時間:11時~20時 ※大晦日は18時までの営業
休日:元日